第13話 予想外の連続
漂ってきた香気に鼻が反応し、ゆっくりと視界が開けていく。
「ん……?」
あの後、いつの間にか寝てしまっていたらしく、腕には洋服が擦れていたのか痕がはっきりと残っている。
「──あ、起きたんだ。ちょうどご飯だから起こそうと思ってたんだけど……」
顔をあげた先にはエプロン姿の神崎が居て、その手には茶碗が二つ握られている。
……これ絶対いい奥さんになるやつじゃん。絵面がもう完全にそれ。
「はい、これ。ご飯と味噌汁」
「サンキュ」
すると神崎は急ぎ足でキッチンに引き返した。
と思えば、即座に戻って来た。今度は両手でひとつの器を抱えている。
「それと──じゃじゃーん!肉じゃがを作りました!」
「おお……!しっかりと美味そう」
「……何その言い方。ひねくれ者にはあげませーん」
置かれた器は再び神崎の手元に戻っていく。
「べ、別にひねくれてないって。凄い美味そうだから食べさせてください!」
「最初からそう言えばいいのよ」
目の前から湯気が立ち昇る。
綺麗に切り分けられたじゃがいもに、汁を身に纏ったしらたき。
それらは眠りから覚めたばかりだというのに、食欲を駆り立ててくる。
──ただ一つを除いて。
「人参……やはりお前もいるんだな」
まるで親の仇と出くわした時のように、器の中で存在を主張する人参を睨む。
肉じゃがと聞いた時は、嬉しさで忘れていたが油断していた……。
「何かっこつけてるの……もしかして嫌い?」
「いや、嫌いというか……人参の方が食べられるのを嫌がっているというか……」
目をあちらこちらに泳がせつつも、必死に言葉を並べる。
だってオレンジだよ!オレンジ!
どこから持ってきたのさ、その色素!
普通、自然界で出来ないでしょ!?
「何はともあれ、好き嫌いは駄目だよ。それに人参にはちゃんと栄養あるんだから」
神崎は真剣な面持ちで諭すように口を開く。
流石はサッカー部マネージャー。
栄養管理には気を使っているようだ。
「わかってるけど……嫌いなのはどうしようもないだろ」
食べ物であれ、人であれ、嫌いなものはそう簡単には克服できない。
そうでなきゃ嫌いになってないのだから。
なんなら、理由すら明確になっていない場合もあるからな。
「──私が食べさせてあげるから、それで……頑張れないかな?」
「え……?」
「ほ、ほら!やっぱり篠宮には健康でいて欲しいっていうか、人参の可能性を知って欲しいというか……」
神崎は頬を赤く染めながらも、早口で捲し立てる。
人参の可能性って…………そんなに伸び代あるの?
意外とやるな、カカ──じゃなかったキャロット。
まあ、とにかく。
これは願ってもないチャンス。
今まで何度も弁当を一緒に食べてきたが、未だに食べさせてもらう──いわゆるあーんをされたことが無い。
それ故にこればっかりは、提案に乗らない訳にはいかないのだ。
「……神崎がいいなら──」
──ピリリリリリ。
無機質な電子音が部屋に響き渡る。
それは俺の言葉を途中でぶった切っても尚、鳴り続ける。
……機械なんだから、空気読めよ!タイミングってものがあるだろ!
「──もしもし?」
どうやら音の発生源は神崎の携帯だったらしい。
俺の携帯だったら割ってたぞ、多分。
晴らしどころのない怒りを抱える俺とは対照的に、神崎は笑顔で声の調子も弾んでいる。
「わざわざありがとね!──うん、うんじゃあまた今度!じゃあねー」
携帯から耳を離すと同時に、ふうと息遣いが聞こえた。
「美玖ちゃんから。元気だったよ」
自分を見つめる視線が催促のものだと思ったのか、電話相手が神崎の口から告げられる。
……ん? でも、なんで美玖?
いくら仲がいいとはいえ、友達の家に泊まっている最中に電話するか?
ていうかいつの間に連絡先交換してたの、君たち。
お泊まり会に誘われているぐらいだ。言うまでもなく美玖は友達に恵まれているし、美玖も彼女らを大切に思っているはずだ。
だからこそ、気がかりだ。
今の電話のやり取りがどのようなものなのか。
もしかしたらとんでもないことが裏で──
「じゃあ、お風呂入ってくるね。食べ終わったら、流しに置いといて」
「ああ、行ってらっしゃい……」
……直接美玖に聞くか?
いや、きっとあいつの事だ。何かあったとしても絶対に話さない…………ん?
「ま、待って神崎!今……今、なんて言った?」
「え、お風呂入ってくるねって…………覗いちゃ駄目だよ?」
先程の提案を思い出させるような微かに照れが混じった表情。
だがそれも見れたのはほんの少しだけ。
神崎はリビングを後にすると、風呂場の方に体を向けた。
そこでまるで視界を遮るようにドアが閉まるが、あの様子なら風呂の場所も知っていると思われる。
「まじか……いや、まじか……」
どんな状況なのか理解しきれておらず、開いた口が塞がらない。
そこに無感情のまま、肉じゃがを押し入れた。
作ってもらって申し訳ないが、味は正直わからなかった。
*
リビングのドアが開き、入浴を終えたであろう神崎が戻って来た。
といっても俺は机の木目を睨み続けているため、視界にその姿が入らない。
足音がゆっくりと前方を通り過ぎ、キッチンに向かう。
ほのかにシャンプーの匂いが立つ。
「……あ、肉じゃがどうだった?」
「う、美味かった」
嘘だ。
本当は肉の味も、じゃがいもの味も、ひいては人参の味までほとんど覚えていないのだから。
「そっか、ならよかった」
安堵に似たため息が続けて聞こえた。
……聞くならこのタイミングしかない。
どうして神崎は入浴をしたのか。
──この状況が出来上がった理由を。
「──それで……」
顔をキッチンに向け口を開こうとする。
だが開かない。
目の前の光景に、目を見開いてしまったから。
「ん?……どうしたの?」
こちらの様子を訝しむように、首を傾げながらダイニングに出てくる神崎。
「……そ、その格好」
固まり始める思考の中で、何とか言葉を紡ぎ出した。
それとは対照的に神崎はキョトンとした表情の後、視線を自らに落としながら続ける。
「ああ、これ?……美玖ちゃんのやつを借りたの。服なんて持ってきてなかったから」
その姿は見慣れたもののはずなのに、人が違うだけでこんなに変わるのかと思わせるほどに新鮮に目に映る。
今の神崎は美玖の寝間着を身に纏っていて、サイズがあまり変わらないのか違和感を感じない。
「──どこ見てんの」
「いや、別にどこも」
鋭い視線に思わず目を逸らす。
まずい。
気づけばその慎ましやかな胸に目がいってしまっていた。
そしてこれ以上何か喋れば、容赦しないと視線に強い決意というか信念というか、そんな感じのものを感じる。
……怖いよ。
「どうして……寝間着?」
恐怖を何とか押さえつけて、尋ねる。
本来聞きたかったものとは異なるが、本質はきっと変わらないだろう。
それほど──思考を一瞬で剥ぎ取るくらいには、神崎のその姿は魅力的でインパクトがあった。
「──言ったじゃん。覚悟してねって」
「まあ、それは覚えてるけど」
実際は頭を撫でられたことの方が鮮明に覚えているが、それは言わぬが仏というやつだろう。
「夜の時間を使わなきゃ教えきれないもん」
「……それこそ来週のゴールデンウィークとかで良くないか?」
時間というのは早いもので、気づけば四月も終わり、五月にさしかかろうとしている。
「そういえば言ってなかったね。……私、ゴールデンウィークは旅行だから」
「え、そうなの?」
大きな頷きが返ってきた。
「──だから、お泊まりくらいは……ね」
柔和な微笑みが目の前で穏やかに咲いた。
その言葉の端々には、自嘲のようなものが含んでいるように感じてしまう。
あくまでも自分のわがままだと、そう言い張るつもりらしい。
「……それじゃあ、せっかく初めてのお泊まりが勉強だけにならないように、しっかりと教えてくれ。……先生」
「む……勉強道具すら持ってない生徒の先生なんてしません。早く持ってきなさい、篠宮くん」
「……はい」
お互い顔を見合わせ笑いあった後、一度片付けた勉強道具を取りに再び階段を上がった。
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