第30話 感情との決闘
せっかく早起きをしたというのに、太陽は雲に隠れ朝日が降りてこない。
その事に少し不満を持ちながら、裏門を過ぎた俺は下駄箱に向かっていた。
予想通り、門が開いたばかりの時刻に登校してくる生徒はおらず、周りに気を配る必要も無い。
いつも聞こえる話し声や部活の朝練の掛け声などは当然聞こえず、時々吹く風が木々を揺らす音だけが耳を満たしていた。
「確か……三年の下駄箱は隣……であいつのは……ここか」
昨日の記憶を頼りに目当てのものを探し当て、躊躇うことなく手紙を入れる。
しかし、この状況を他の人が見ても作戦がバレることはないが、別の意味でアウトな気がする。
妙な寒気がして、急いで立ち去ることにした。
だが──。
「──へえ、君……そういうこと」
肩越しから聞こえた、何かを察したような声がさらに寒気を呼び、足が凍りついたように動かなくなる。
「……早いですね、会長」
「私はいつもこれぐらいよ。それにしても、ね。……まあ、私は別に同性愛に反対は示さないけど」
「いや、この状況だとそうなりますけど、違うんですよ!」
「わかってるわ。昨日言ってた作戦でしょ」
冗談だと示すように口元に笑みを湛える会長を前に、安堵──いや、疲弊からため息をつく。
朝っぱらから心臓に悪いから、やめて欲しい……。
「でも、偽告白とは考えたわね」
「……すいません、でも他に方法がなくて」
この状況だけで解にたどり着いたのは流石と言う他ない。
しかし慣れからか、心は落ち着いている。
会長の立場からすれば、この作戦はあまり快く思わないかもしれない。
その不安は心のどこかに確かにあったし、実際に昨日説明をせずに、今この場まで会長に隠しておいた。
しかしそれを承知でここは押し切る。
解決に繋げるためには、これは必須なのだから。
「──安心しなさい。君が強い信念を持っているのは知ってるわ。だから別に止めようなんて思ってない」
「……そうですか」
「だいたい、私は生徒の自主性を重んじているのよ?問題として発展し、浮き彫りになることさえなければ、いちいち口を挟まないわ」
「初めて聞いたんですけど」
「当然よ。私も初めて言ったもの」
いつの間にか靴を履き替えていた会長は、俺の横を悠然と通り過ぎる。
その際にちらと見た横顔はやや得意げな色に染まっていて、一瞬だけ目を奪われた。
*
季節外れな、朝より気持ち冷たくなった風が、俺の体に吹き付ける。
学ランを教室に置いてきたため、身を包むのはワイシャツのみ。
正直涼しいと感じる余裕はなく、時間が経つにつれて帰りたいという切実な思いが主張を強くしていく。
先に待っておく必要があったとはいえ、ホームルームを抜け出してまで来たのは、失敗だったらしい。
ポケットの中に手を突っ込み、その中の携帯を握ったりして弄ぶ。
景色を眺めるのにも飽きた俺の目は、ただひたすらに屋上の入口の扉を映している。
「……来た」
足音がだんだん近づいているのを確認した俺は、再び決心するように携帯をいじった。
「やあ、姫島さん。俺に何の用……ってなんで、野郎がここに……!」
開かれた扉とともに発せられた声は、瞬く間に衣装を変えた。
こちらを睨む彼の態度の温度差は、言うまでもない。
「少し、お話をしませんか?」
「くだらない。俺は男なんかに興味はないんだ」
予想通り、淡白な対応と合わせて踵を返し屋上を出ていこうとする彼。
「──神崎のやつ。ちゃんと噂として機能して良かったですね」
ピタリと彼の足が止まる。
ここまで来たのだ。逃がす訳にはいかない。
「……どこでそれを?」
「そんなのはどうでもいいんです。……どうしてこんなことを?」
動揺を少しでも誘うことで、話の主導権は既に俺が握った。
回答を促すように彼の顔を見据える。
「……あいつに、神崎にムカついたからだ。だからSNSのアカウントを乗っ取って……あの投稿をした」
感情を抑えた様子で、言葉を紡ぐ先輩。
……これじゃあ、足りない。
動機の濃さも、感情も。
「……なるほど。──実は俺も……そう、思ってたんですよ」
「……そ、そうなのか!?」
人は共感者を得た場合、安堵が心を満たしそいつ自身をさらけ出す。
目の前の彼も例に漏れず、明らかに安心仕切った表情を浮かべている。
これならば、何も言わずとも勝手に話してくれるだろう。
……問題はそれまでに、俺が溢れ出てくる感情を抑えられるかどうかだ。
「だいたい、この俺が告白したにも関わらず眼中に無いとかおかしいだろ!ちょっと可愛いからって調子に乗り過ぎなんだよ!……はは、案外投稿した内容も事実かも──」
──そんなこと、無理だった。
たった数秒でも不可能だった。
落下防止のフェンスを思い切り殴った右手はヒリヒリと、風が吹く度に痛みを増していく。
未だ、ガシャンという音は余韻として耳に聞こえている。
「ど、どうしたんだよ。いきなり……」
言葉を止め、信じられないものを見たというふうに、先輩はこちらを顔を驚きの色に染めて眺めている。
それを確認し、感情の栓を締める。
ここで俺が全て吐き切っても、根本的には何も解決しないのだから。
「……いえ、共感のあまりつい」
薄い笑みで返した俺は、自分ながら心底気持ち悪いと思った。
*
証言は、情報は得た。
目的は達成されたはずなのに、気分は最悪だ。
溜まっていた怒りは、いつの間にかあいつに向けたものか俺自身に向けたものなのかがわからなくなっている。
「はあ……」
「──幸せ、逃げるよ」
「っ!……神崎」
誰もいないと思っていた教室には、神崎だけが残っていて俺の机に突っ伏しながらこちらに視線を送っている。
仕方なく隣の空席に腰を下ろす。
「神崎、昨日のは──」
「──頭撫でてくれない?」
「え、ああ、うん」
言われた通りに手を神崎の頭に乗せ、慎重に動かす。
その度に甘い香りが鼻に漂って来ている。
「……やっぱり信じてくれないものだね。とことん無視されて散々だった」
「だから言おうとしたんだよ、今日も休めって。……その前に電話切られたけど」
「それはラブレターをもらった篠宮が悪いの」
「だからそれは違うんだって……」
当人の言葉など犯人の言い訳のようなものだ。何一つ大衆には届かない。
それを神崎がわからないはずがないのだが……。
「……篠宮が頑張ってくれてるんだから、私も頑張らないと。そのために今、充電中なの」
「……一日でこれとか燃費悪すぎじゃないか?」
「貯めておく主義なの、私は」
神崎に対して否定の言葉は意味をなさない。
一度決めたことはやり遂げる、それが俺の知る神崎琴音だから。
だからその代わりに、決心をする。
これ以上、神崎がこんなことをしなくてもいいようにと。
「……ごめんな」
「え、何どうしたの?」
「いや、なんでもない。……俺はお前の味方だから」
自分に言い聞かせるように小さな声で呟く。
「ち、ちょっと!髪ボサボサになっちゃう」
「……悪い」
気づけば乱雑に動かしていた手を神崎の頭から外す。
すると不満げな視線がこちらを射抜く。
「……別に、やめろなんて言ってない」
「ボサボサまでは行かないけど、結構崩れてるぞ」
俺は髪をセットしたりしないため別にこんな状態でも気にないのだが、多感な女子高校生にとっては大問題だろう。
「どうせ後は帰るだけだから。ほら、続けて。優しくね」
「……はいよ」
本人がそういうのだから仕方がない。
再び手を乗せるが、どこかもう一度撫でたいと思っていた自分が喜んでいる。
「テスト明後日だけど、どうなの?」
「……わからない。きっとあれだ、勉強するほど不安になってくるシステム」
「前まで勉強してなかった人が何言ってんの……」
「受験期であったからな」
いくら高校で勉強してないとはいえ、一度経験したことは頭が、体が覚えている。
「まあ、私は自信が上回るから、そんなことないけどね」
「……みんながみんな、お前じゃない」
「じゃあそんな私からありがたいアドバイス。最終日だからって、明日は遅くまで詰め込まないで早く寝ること」
「……肝に銘じておくよ」
返事とともに撫でるのを続ける。
明日の予定は既に決まっている。
それを変えるつもりは、全くなかった。
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