第24話 頼れる相手

家に着いた俺はいつもなら真っ先に自分の部屋に向かうところを、リビングのドアを開け入室する。

そこまで荷物を入れていないはずなのに、カバンをやけに重く感じソファに投げ捨てるように置いた。


「あ、お兄ちゃんおかえりー」


キッチンから美玖の間延びした声が響いた。

見るとどうやら何かを作っているらしく、制服エプロン姿で広いとは言えないキッチンを縦横無尽に駆け回っている。

ポニーテールがまるで本物みたいだ。


「……ただいま」


「琴音さんなら、私の部屋で寝てるよー」


スリッパが床を滑る音と共に発せられた報告を軽く聞き流し、ダイニングに座る。

きっと学校からの呼び出しに応じた後、自分のことは二の次で神崎の看病をしてくれたのだろう。

そこには無造作に、教科書や問題集が散らばっていた。


「……お見舞いはいいの?」


やがてタオルで手を拭きながら、美玖がこちらに出てくる。

そして俺の様子を伺うかのように、訝しげな視線を送ってきた。

それを横目で認識しながら、散らばった美玖の勉強道具をひとつにまとめる。


「……風邪だった場合、移るかもしれないだろ。今はいいんだよ」


重たい唇を動かすと、代わりにと言わんばかりに、スペースを得た目の前のテーブルに俺の勉強道具を置いた。

今のはただの口実。

実際はただただ、神崎に会いたくないだけだった。


「そんなの関係ないでしょ? なんで勉強なんかするの」


背後から呆れ混じりのため息が聞こえた。


「なんでって……ご褒美の──。ああ、そうか。俺、別に勉強しなくてもいいのか」


「……お兄ちゃん?」


筆箱に伸ばしかけた手を止め、天井を見上げる。

目標がなくなった今、俺が勉強する理由などない。

それどころか自分の感情さえも不明瞭で、無意識のうちに口がほころぶ。


「──もしかして何かあったの?琴音さん関係で」


相変わらず、こういう時は鋭い。

口上こそ問いかけだが、発せられた声は冷静できっと確信からによるものだろう。

先程の姫島のような表情で迫る美玖に対して深いため息をついた。


「……別になんでもない。ほっといてくれ」


静かに込み上げてくる何かを抑え込み乱暴に席を立つ。

それでも背中に刺さり続ける視線が払えなくてうっとおしい。


「やっぱり何かあったんじゃん。しょうがない、妹の私が一肌脱いであげる」


「余計なお世話だ。お前には関係ない」


突き放すように言葉を吐き捨てる。

すると床が音を鳴らし、美玖が俺の前に回り込む。

その表情は俺の言葉に崩れていることもなく、むしろ得意げな──世話の焼ける弟を呆れながらも見守る姉のような表情を見せている。

──それが、どこか気に入らない。


「もう、いい加減素直になってよ。どうせ──」


「うるさい。お前に話して、何になるんだよ!俺ですら、まだ整理もついてないんだぞ!……わかったような口ぶり、すんな」


喉奥に詰まったものを吐き出すように、込み上げてきたものを美玖に、いや辺りにぶちまけた。

そして美玖の顔を見ないように、ベージュの床を睨みつける。


……最低だ。

今の自分の状態にはため息すらもつけない。

気を利かせて話を聞き出そうとした実の妹に、手を差し伸べてくれた後輩に八つ当たりに近しいことをするなんて。

わかってはいる。

これが間違った行為なのだと。

それでも、それでも俺は──。


「──わかるよ。だって、妹だもん私」


静かに紡がれる言葉。

予想していたものとはだいぶ違うそれに反応するように、ゆっくりと顔をあげる。


「お兄ちゃんが、なんでも一人で抱え込むことも知ってるんだよ?」


「っ……!」


穏やかな微笑みとともに発せられた言葉はかけられた言葉と似ていて、美玖が神崎の姿と重なる。

……俺は単純だ。

今のだけで、鉛のようだった心も軽くなってしまうのだから。


「だから話してくれない?整理なら、二人でも出来るよ」


ね?と傾げられた首、浮かぶ笑顔を前に気づく。

確かに俺は美玖の言う通り、新たにわかった神崎のことを胸の内で抱え込んでいた。

でもそれは昔やっていた馴染みのあるものでは無くて、単純に忘れるため。そのことから逃げるためにしていたのだ。

でももう逃げない。向き合う。

──俺はもう、頼り方はわかるはずだから。


「……神崎に裏切られた」


「唐突だね。証拠は?」


驚きの表情を見せることなく、手を差し伸べてくる美玖。

ポケットから携帯を取り出し、ある画面を表示、手のひらに置いた。


「これは……SNSの琴音さんのアカウント?」


「らしい」


すると、美玖は画面を睨みつけながらスワイプを始める。しかし気になるものがすぐにあったようで携帯から指を離した。


「これか……中学生が見るものじゃないな……」


嫌々といった様子で引き続き画面を凝視する美玖。

それもそのはず。

神崎のアカウントからの投稿は倫理に反している──不純異性行為についてのものが多いのだから。

気づけば、納得のいく答えに行き着いたのか、美玖は首を縦に振っている。


「なるほど。確かにこの内容じゃ裏切られたってなるか。──でも、琴音さんに限っては絶対ないと思うよ。これはデマとかフェイクとかそういうもの。最悪の場合、乗っ取りかもね」


「……証拠は?」


妙に自信ありげに話を続ける美玖に対し尋ねる。

絶対という言葉を怪しんだ訳では無い。

自分が思い至らなかった可能性を認めたくない、という一心で。

それを知ってか、知らずか美玖は嫌な顔一つせずに口を再び開く。


「琴音さんをお兄ちゃんが初めて連れてきた日、覚えてる?」


「……ああ、あのバターチキンカレーの時だろ」


未だ舌に残る味はその日のことを鮮明に思い出させる。


「うん。それで、ちょうどそれを作ってる時に琴音さんが話してくれたの。お兄ちゃんの好きなところを」


「俺の……好きなところ?」


普段なら頬が熱くなるであろう事実にも、今では無意識に繰り返すだけ。


「凄かったよー。もう暴走してたね、あれは。思わず共感──じゃなくて!ひ、引いちゃうぐらい」


俺とは対照的に、途中、慌てた様子を見せながらも、懐かしむような目で天井を見上げている美玖。

やがてこちらに目を向けた時には、視線に強い意志がこもっていた。


「だから、琴音さんがお兄ちゃんを裏切ることなんてありえないよ」


「……」


話された真実、美玖の思いが込められた目に、思わず言葉を失う。

思えばなんで俺はあれを見ただけで信じてしまったのだろうか。

いつもなら物事の裏を探ることなど造作もない癖に、肝心な時に限ってどうして。

霧が晴れたように、クリアになった脳は後悔を武器に、自分自身を締め付けていく。


「──それは多分、琴音さんのことが本当に好きだったから。好きな人に裏切られたという初撃のインパクトが冷静さをなくさせたんだよ。……別にこれ自体は全然おかしくないからね。古典の世界だって恋に現を抜かしてるやつばっかでしょ?」


そんな俺に視線を預けながら、リビングを落ち着かない様子でウロウロし始める美玖。それでも説明は筋が通っている。

……いや、それよりも驚くことがあるだろ。


「美玖……なんで……?」


「冷静になったらお兄ちゃんは、自分を追い詰めるだろうなーって思っただけだよ。だから代わりに答えてあげたの」


得意げな表情のまま、今度は美玖は俺の横を通り過ぎた。

そしてキッチンから少し小さめの鍋を持って戻ってくると、強引にミトンを俺の両手にはめ込み持たせた。

そこからは作りたてを主張するかのように、湯気が立っている。

……どうやらこいつに隠し事は出来ないらしい。


「──雑炊。あとは二人で話し合うこと。──あとどんなことになっても、私はお兄ちゃんの味方だから」


「……わかった。ありがとな、色々」


今はその言葉がありがたい。胸に、心に染みていくのを感じる。

そして美玖が大きく頷いたのを確認すると、視界を湯気が遮る中リビングを後にする。


──神崎と話をする。

家に着いた最初から、こうするべきだったのだ。

そんな小学生でもわかりそうなことをせずに、俺は受験生実の妹に何を付き合わせていたんだろうか。

軽く自分を戒める。

階段を上がる前に見上げた二階は、暗がりでよく見えなかった。

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