第22話 背中と頬と帯びる熱

一際騒がしい周りの声に目を覚ます。

朧気に映る時計は昼休みの時間を指している。

どうやら朝のホームルームから今にかけて、ずっと机で眠っていたらしい。

その証拠に体がバキバキだ。

午前中の全ての授業を聞いていないが、今日の時間割に移動教室はなかったため気を使わせて起こしてもらうこともなかったのが幸いだ。

……一回だけあるけど、ほんとに気まずいから、あれ。


未だ痛む腰を極力手で押さえないようにしながら、席を立つ。

時計を見た流れで神崎の席にも目を向けたが、そこに神崎の姿はなかった。

今日は木曜日。

それ故にきっと部室に先に行ってしまったのだろう。

机の横に掛けていた弁当を手に持ち、休み明けとは思えないほど、賑やかで騒がしい教室を後にする。


「──せ、先輩!」


「……姫島」


教室を出た直後に聞こえた、聞き馴染んだ声に首を振り向かせた。

そこには、後輩である姫島かぐやの姿があった。


「どうかしたか?」


「いえ、バイトのシフトを聞いておこうと思って……ゴ、ゴールデンウィークだけじゃないんですよね?」


こちらを上目遣いで捉えている姫島。

その姿からは、不安ながらも聞いてみようという必死さを感じる。


「一応そのつもりだ」


「よ、よかったー」


俺の答えに力を全て抜き切る勢いで、ため息をついた姫島。

そこまで俺の残留に安堵するほど人手不足だったなら、友達を誘っていれば良かったのに……。

プライベートと仕事はしっかり分けるということなのだろうか。

そのプロ根性、尊敬します。

……俺もこいつもバイトだけど。


「シフト……は正直よくわかってないんだよな……。姫島、お前のシフトはどんな感じだ?」


「私ですか? えーっと、営業日は基本的に全部ですかね」


「ガチ勢じゃん……」


指を顎に当てつつ、何気なく言葉を紡いだ姫島に内心で距離を少し置く。

学生の内からそんな働くなんて、大丈夫なの?

その域は新手のブラック企業対策だよ……。

対策は対策でも、入社を受け入れた上でのだけど。


「じ、じゃあとりあえず休業日って何曜日なんだ?」


「決まってないです。マスターの気分次第で変わるので」


「……自由過ぎない?」


いくら個人経営店だからって、休業日ランダムは余りにもフリーダムだよ。

アメリカもビックリするよ、これは。

……やはりあの老人マスター一味違う。


とはいえそれが許されているのもまた事実。

ゴールデンウィーク中、客が特に多かったという印象はなかったし、どちらかと言うと同じ客がコーヒーを何度もお代わりして、長い時間居座るというのが多かった。

きっとコアな客が多いのだろう。

よってマスターの気まぐれにも理解を示してくれる。

あそこは店と客がいい関係で結ばれている、ある意味理想のカフェなのかもしれない。


「あー、じゃあ今のところの休業と営業の予定をマスターに聞いておいてくれないか?参考にしたい」


「わかりました。多分放課後には教えられると思います」


「了解、助かる」


「いえ……それで今日もどこかで昼食ですか?」


文芸部の部員になったことを知らせに来た日と同じように、俺の手に握られている弁当箱に視線が向けられる。


「ああ……そうだけど」


「一体どこで食べてるんですか?」


「……言ったらつまらないだろ。クイズだクイズ。当ててみせなさい」


「うわっ、先輩うざい。……とりあえず今日は先約があるので、これで失礼します。また……放課後」


姫島は控えめに胸の前で手を振りながら、下りの階段の方を振り返り、歩き始める。

同じ階段を使うなんて言えないため、しばらくその背中を見つめ続けた。



「ごめん、遅れた」


「ううん……気にしないで。まだ全然時間経ってないから」


時計を横目に、神崎は穏やかな微笑みを浮かべている。

早足でその隣に腰を下ろすと、目の前に弁当を置いた。


「何してたの?」


弁当の包みに手を伸ばす前に、神崎から問いが投げかけられた。

大きな瞳はこちらを見据えていて、弁当など視界の隅に追いやられているだろう。

前かがみになっていた体を背もたれに預け、唾を飲み込むとゆっくりと口を開く。


「バイトのシフトの件について話してたんだ。……姫島と」


「……ふーん、それでシフトは決まったの?」


興味があるのかないのかが読み取れない声音と共に、首を傾げてくる神崎。

わざわざ隠すのも罪悪感を感じると思い、姫島の名前を出したが逆効果だったのだろうか。


「いや、まだ。店の予定を聞いた上で、決めようと思って」


「……なんで?」


「な、なんでって……そりゃあ、デートの日にちを決めやすいようにだよ」


小さな音量で言葉を紡ぐと同時に、頬が熱くなっていく。

それになりふり構わず、話を続けることにした。

俺の視線は神崎の目を外れ、机に向かっていく。


「昨日みたいに突然デートするっていうのも悪くないと思うけど、するならやっぱり最高のものにしたい……って思って。ほ、ほら俺か神崎の予定がわかってれば決めやすいだろ?」


やや興奮気味に早口で捲したてる。

自分でも不思議に思うくらい、今の俺は自分の気持ちに素直で正直だった。

多分、きっと、それはまだ微かに残っている気がするあの時の感触や温もりがそうさせている。

それらが奥底にあった単純な願望を引っ張りあげたのだろう。

そう考える他、なかった。


「ふふ、そうだね。ちゃんと事前に回るところとか決めてたら、昨日よりいいデートが出来そう」


神崎の共感を示す言葉に、少し姿勢を変えて、天井を仰ぎ見る。

困ったことに俺の頭は今、どのようなデートをするか、どこをデートするかなどに埋め尽くされている。

当然時計の秒針の音さえも気にならない。

……これが恋愛脳というやつなのかもしれない。


「水族館とか、動物園もいいかも──」


しかしそれ故に気づかなかった。

神崎の息遣いが変化したことに。

──姿勢を崩した挙句、椅子から転げ落ち床に倒れたことにも。


「か、神崎……? どうした、神崎!?」


必死に呼びかけるが、返事は返ってこない。

唯一返ってくるのは、先ほどより明らかに乱れた呼吸音。


「もしかして!」


神崎のか細い上半身を抱きかかえて、おでこに手を当てる。

手のひらに神崎の体温がおもむろに伝わって来るのを感じながら、様子を伺う。

そこまでの高温じゃないけど、高いな……。


「となると、保健室……か」


重々しく呟いた。

部室ここから保健室まではかなり遠い。

明らかに弱り、眠っている神崎をそこに連れていくには、おんぶかお、お姫様抱っこが一番だろう。

しかしそれらをするには問題がある。

それは途中で食堂を通ること。

それも昼休みの、だ。


昼食を食べている生徒はもちろん、購買に列を作っている者もいるだろう。

そんな所をお姫様抱っこで通過してしまえば、次の日から変な噂が立ってしまう。

最悪の場合、関係がバレることもあるかもしれない。


……いっそ先生をこちらに呼んで代わりに運んでもらうか。

幸いうちの高校の保健の先生は女性。

変なことをされる心配はないし、そうすれば最悪の事態も絶対に起きない──のだが。


「ん……篠……宮」


苦しそうな表情と声が俺を呼びかけ訴えてくる。

俺が先生を呼びに保健室に行っている間、神崎は一人になる。

体や心が弱っている時に、一人というのはつらいだろう。

周りからの目と神崎の苦しむ姿。

もはや天秤にかけるまでもない。

……バレた際は、神崎がなんとかしてくれるだろう。


「ああ、くそ!こ、これならセーフだ!きっと」


自分自身に必死に言い聞かせると、なるようになれと神崎を背中におぶる。

予想以上に軽かったことに驚きを隠せない。

発熱のため、少し熱い体温を背に感じながらも、極力揺らさないように一歩一歩丁寧に歩くことにした。

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