第1話 俺だけが別の彼女を知っている

午前の授業が終わり昼休みを知らせるチャイムが鳴った。

それに合わせて、急ぎ食堂に向かう生徒や友達と固まり、机をくっつけ始める生徒など各々が行動を見せ始める。


「……眠っ」


そんな忙しなく風景を変え続ける教室の中で、欠伸を噛み殺す。

数学ってなんであんなに眠くなるんだろう。

教科書に睡眠薬刷り込んでるとか言われても信じちゃう。


四時間目に対する愚痴を内心でこぼしながら、まだ覚醒仕切っていない体のために、軽く伸びをする。

この四時間で蓄積された疲れが申し訳程度だが、体から抜けていくのを感じた。


「数学わけわかんなかったー。琴音教えてー」


「えー、もうしょうがないな」


抜け出た疲れの代わりなのか、耳に話し声が入り込んできた。

自然と視線がそちらに向く。

縋るように神崎に身を寄せる女子生徒に対し、呆れるように──かといって見捨てる風ではない反応を示す神崎。


彼女は容姿もさることながら、成績も優秀。

常に学年でトップを維持している。

先程の数学も特に引っかかる所もなかったのか、その表情には余裕が感じられる。

俺?俺はむしろ何もわからなくて、余裕まである。

……ダメダメじゃねえかよ。


「あっ……」


そんなセルフツッコミをしていると、神崎と目が合った。

口からは間抜けな声が漏れたが、気には留まらない。

髪の色とは対照的な黒い瞳に、思わず目を奪われる。

先が見えないトンネルのようなその深い暗色は、この一瞬、俺の意識を確かに掴んでいた。


「──琴音?どうかした?」


「……ううん、なんでもないよ。それで、どこがわからないの?」


だがそれは神崎に教えを乞うた女子生徒によって遮られた。

神崎の視線は既に彼女が示す教科書に向いている。


「大人しく移動するか……」


今のが引き金となった訳ではないが、弁当を手に持ち重い腰をあげる。

そのおかげで椅子がガコガコと音を鳴らすが、教室の喧騒はそれだけでは収まらない。

特に気にかけるでもなく、友達との会話に勤しむクラスメイト。


それらに背を向けて、教室の後ろの扉から静かに廊下に出た。

夏の暑さもまだ遠いものらしく、冷たい空気は俺を歓迎するように、肌に刺さった。



まだ眠気が僅かに残っているのか、足取りはいつもよりゆっくりになる。


「あっ先輩!こんにちはー」


階段を下りている途中、快活な声が耳を鳴らした。

階段には俺以外に生徒が見当たらない。

どうやら呼ばれているのは俺らしい。


伏せ気味だった視線を前にやると、午後の最初の授業──五時間目が体育なのか、そこには赤いジャージ姿の女子生徒がいた。


俺達が所属するこの学校では、学年によってジャージの色が異なっている。

俺たち二年生は緑、先輩である三年生は青、そして──後輩である一年生は赤となっている。


そんな彼女の名前は姫島かぐや。

端的に言って美少女。

珍しい名前に見合っている。

そして、廊下でちらほら名前を耳にする程度には、男子に人気がある女の子だ。


「……どうした。なんか用か?」


「なんと──私、文芸部に入部しました!」


バラエティ番組顔負けの間取りの後に、あどけない笑顔で報告をしてくる姫島。

実は彼女は俺の所属している部活──文芸部に仮入部で来ていたのだ。


まあ、そうでもなきゃ俺が美少女後輩と接点を持つことなどあり得ない。

ほら、今もまあまあ視線が飛んで来てるし。

人用の罠とか作る時とか大活躍しそうだな、こいつ。


「一体何が狙いなんだ?金か?」


「……違いますよ。どんだけ警戒してるんですか」


「銀行員並みには」


「それ、警戒してるのかしてないのか、わからないです……」


俺の反応に呆れの表情を見せる姫島。

活動が地味な文芸部には人が集まらない。

何せ本読むだけだからね。


それは校内の誰もが知っているだろう。

だからこそ、一年生に『入部しました!』など言われたら『お前本気か?』と疑ってしまうのだ。

それも一年生版神崎である姫島にそれを言われれば、疑いを通り越して警戒してしまうのも当然である。

薔薇にはトゲがあるって言われてるからね!


「普通に雰囲気いいなって思っただけです!」


「ほんとか?……ならいいんだけど」


とても姫島には、あの静かで穏やかな雰囲気を理解出来ないと思っていたが、そこまで強く言われては否定をする気にもなれない。

渋々と了承の意を頷きに乗せた。


「じゃあ早速なんだけど、今日の部活──」


「──あー、えーっと……ごめんなさい!今日はちょっと……」


「えー……」


目をあちこちに泳がせた挙句、深々と謝る姫島に対し、思わず間抜けな声が漏れる。

……もしかして掃除させようとしたの見破られたかな?


「入部初日だよね?」


「ちょっと外せない用事が……」


俺の言葉に、申し訳なさそうに視線をどんどん落としていく姫島。

それに合わせて周りの視線が攻撃性を増していく。

そこから姫島の人気度が伺える。

……俺、悪いこと何もしてないのに。

構図的には弁解の余地はないけど。


「はあ……わかった。今日はそれでいいよ」


俺は運動部のように、そこまで部活に固執している訳では無い。

姫島も真剣に謝っていることだし、今回は特別だ。

──決して!決して周りの圧に負けた訳では無いので、そこは勘違いしないように!


「ありがとうございます!……ほんとにごめんなさい──ってあれ?」


「……どうした?」


「いや、先輩がお弁当持ってたので。どこかで食べるんですか?」


俺の手元の弁当箱と顔とを視線が行き来する。

傾げられた首により、ウェーブがかかった髪が静かに揺れる。

地毛なのか、傍また染めたのか推測が難しい。

それにしてもよく気づいたな。

将来の夢、Gメンなの?


「まあ……そんな感じ」


曖昧な返事。

しかし姫島には十分だったようで、表情がぱっと明るくなる。


「そ、それじゃあ、私もご一緒していいですか?」


「……え?いやいや、姫島は引く手あまただろ。それに次の時間移動教室っぽいし」


予想外の食い付きを見せる姫島に対し、わざとらしく周り、そして姫島の姿に視線を送り、やんわりと断る。

周りが少しざわめいたがもう慣れた。

……嘘。なんか背中がむず痒い。


「……別にそんなのは関係──」


「──かぐやー!食堂行こー!」


「……ほら、呼んでるぞ」


先程の姫島と似た快活な声が俺の背後から、俺達の間に流れた。

かぐやという名前など、この学校では姫島以外に居ないだろう。

その証拠に姫島もその呼び掛けに手を振って応えている。

迷子になった時とか便利そう。


「……今度機会があったら、ご一緒してもいいですか?」


「あー、うん。機会があればな」


「……!──はい!」


ぎこちない肯定の言葉とともに姫島を見送る。

それに対する返事もされ、そこで会話は終わった。


──はずなのに、どうしてまだ視線がチクチク刺さるんですか!

なんなら警戒心を剥き出しにしたものまである。

一体俺が何したって言うんだ……。

ため息を呑み込み、それらから必死に逃げるように目的地──俺にとっての食堂に急いだ。



「──遅い」


「……移動速くない?」


目的地──文芸部の部室に到着した俺を待ち構えていたのは、俺の彼女──神崎琴音だった。

週に一度の木曜日。

俺と神崎は文芸部室ここで、一緒に昼食をとることになっている。


しかしその姿は俺を歓迎している様子ではない。

むしろちょっと怒っているような……。


長机に肘を突き、不機嫌そうにこちらを見やるその瞳は先程と変わらない。

気を抜けば一瞬で呑み込まれてしまいそうだ。

長くてすらっとした細い脚はそれらを強調するように組まれていて、規則的なリズムで床を軽快に叩いている。


「……ぱぱーっと説明して来たの。篠宮待ってるだろうなーって思ったから」


小さな顔を手に乗せたまま、口を尖らせる神崎。

こんな姿ですら絵になるのだから、美人ってすごい。


「ごめん。まさかこんなに速く来てるなんて思わなくて」


「本当よ。──罰として肩、貸して」


素っ気ない言い草。

神崎は左隣の椅子を引くと、首の動きで座るように促した。

俺を急かすように、未だトントンと木材がなる音が部屋に満たされている。


特に返事の言葉など口にせず、せっせと椅子に座る。

そもそも遅刻して来た俺に拒否権などないのだ。

持ってきた弁当を机に置いた途端、右肩に重さが加わった。

といっても重すぎる訳ではなく、むしろ心地よいもの。

いや、やっぱり栗色の髪が首に当たって少しくすぐったい。


「……さっきの時間、寝てたでしょ?」


神崎は上目遣いで俺の顔を見上げる。

甘い香りが鼻を弄ぶ。

さっきの時間というのは、数学の授業を指しているのだろうか。

……誠司、わかんない!


「寝てない」


「嘘。──だって私見てたよ?」


「……少しだけね?」


視線を掴んで離さないその目は、全てを見透かしているような気がしてならない。

そういう見てたっていうのは、先に言ってもらわないと。

誘導尋問うま過ぎる。ちょっと違うか。


「授業で寝るっていうのが、イマイチわからないの。教えてくれない?」


「お前それ大半の学生を煽ってるからな」


「大半というか、勉強が苦手な人でしょ」


「煽ってる自覚があるのがたち悪いな……。少なくとも、俺はそっち側だ」


「ふふ──苦手なら私が教えてあげよっか?」


試すような口ぶりで提案されたのは、先程教室で見た記憶に新しいものだった。

ていうか文系なのに、なんで数学出来るの。

数学が苦手だから文系に行くんじゃないの?

……違うか。それは俺だ。


「うーん……俺が出来るレベルで頼む」


「いいよ。──それなら九九からやろっか」


「おい……」


なんで高校二年生から小学校二年生に戻っちゃったんだよ。

流石に九九は出来るよ……算数だもん。


「ふふっ、冗談だよ」


笑い声が耳をくすぐった。


未だ俺の肩に頭を乗せる彼女。

──これが俺だけが知る神崎琴音の一面だ。

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