第47譚 幼稚な暴君
六頭立ての馬車に揺られて、大通を進んでいく。
早朝ということもあり、都市は人影が途絶えて静まり返っていた。色彩豊かな建物が軒を連ねているが、飲食店街はまだ看板が並べられておらず、美味しそうな香りも漂ってはこない。
あれから一晩が経過して、キョウは冷静さを取り戻していた。
全身に包帯を巻きつけて、武装も整っていた。ある程度の激情ならば、難なく包帯の隙間に押し込める。傍らにはレムノリアが寄り添っており、周辺の警戒を怠らず、視線を巡らせていた。
「領主さま、いえウィタ=ラティウムさま」
右側の座席に腰かけていたウィタ=ラティウムが視線を持ち上げた。
彼女は相変わらず、赤く染め抜かれた衣装をまとっていた。
謁見の間で見た際よりはまだ動きやすそうだが、肩や胸にあしらわれた複雑な装飾はまるで血濡れた
「恐らくは数日以内には人形が襲撃をかけてくるかと。移動中に奇襲を受けたら、自衛を第一に御考えいただけますよう、お願いします。僕らは即座に人形捕獲の為に動きますので、護衛の役割が果たせるかどうかは判りません」
「護衛は必要ないわ。腕利きの騎士を連れているもの」
両脇だけではなく、前後にも二名ずつ騎士を配置していた。
有事の際は騎士が戦ってくれるはずだ。もっとも騎士程度では、暴走している人形の相手が務まるとは思えなかった。警備が薄すぎる。加えて、見ず知らずの人形師を同乗させるなど、領主という地位から考えれば有りえないことだ。暗殺という危険に考えが及ばないのだろうか。
だがそれは、キョウが関与すべきことではない。助言する気もなかった。
「人形師さんは人形を捕獲して、所有権の刻印を書き替えてくれれば、それでいいわぁ。騎士がどんな状況に陥っても、そちらに専念なさい」
「お任せ下さい、ウィタ=ラティウムさま」
プエッラはどこにいて、何を想っているのだろうか。
すでにプエッラが都市に侵入している可能性はあった。けれど現段階では、一般市民には危害を加えてはいないようだ。無差別に他者を傷つけないだけでもまだ救いがある。
馬車が曲がり角に差しかかった。右折した途端に子供が横断歩道に飛びだしてきた。急に曲がってきた馬車に驚いたのか、子供はあ然とこちらを振り仰ぐ。道の端を避けるわけでもなく、ひざまずくわけでもなく。それがいかに危険極まりないことか、その子供は理解していなかった。
馬車が急停止する。
「急に馬車を停めて、どうかしたのかしら?」
「いえちょっと、子供が」
御者が一瞬、失言だった、と蒼ざめた。
ウィタは窓を
「そう、斬り捨てて頂戴」
いともかんたんに言い捨てた。
命令を受けた先頭の騎士が子供に近寄っていく。子供は身体がすくんで動けないようだ。脇の路地から駆け寄ってきた母親と思しき若い女性が子供を抱きかかえた。騎士を見返して、彼女は泣きながら懸命にわめいていた。
二度とこんなことはさせない。だから助けて――と。
よく見ればその母親は、キョウが宿屋から見かけたあの家族連れだった。
「騎士をとめてください」
キョウが努めて、静かに訴えた。
「なぜかしら?」
「何も斬り捨てることはないでしょう」
「だからなぜ、斬り捨ててはいけないのよ?」
退屈そうに首を傾げて、赤い
「道の真ん中に邪魔な石が落ちていたら、取り除くでしょう?」
「御言葉ながら、人間は石ではありません」
「一緒だわ。だって幾らでもかわりがいるんだもの」
確信を持って、彼女は語尾を結ぶ。
それは、鳩は動物だよ、と言い張る子供にも似て、非常に愚かしかった。けれど鳩が動物ではないように、実際には、者の代替など存在し得ない。役割の代替すらなかなかできないのに、存在そのものの代替などできるはずがないのだ。あるいはかわりがあれば、よかったのか。
母親にかわりがいれば、主人にかわりがいれば。
「かわりなんていませんよ」
キョウは正論など好んでいない。けれど苦言せずにはいられなかった。
「彼女にとって息子は彼だけ、あの子供にとって母親はひとりだけ。互いにかけがえがない存在なんですよ。たやすく奪っていいものではありません。領主さまあっても、騎士であっても」
「……ふうん?」
騎士が剣を抜き放つ。
母親が子供を抱く腕にぎゅっと、力を込めた。
「…………なんだか面倒になったわぁ」
ウィタは肩をすくめると、窓の隙間から腕を伸ばして騎士に命令の撤回を告げる。
騎士が剣を鞘に収めた。列に戻っていく騎士の横顔には安堵さえ浮かんでいる。誰も子供を斬り捨てたくなどないのだ。母親が慌てて道端に避け、
何事もなかったように馬車がまた、走り始めた。
関心をなくしたのか、ウィタは親子連れを振り返ることもなく、指輪を見つめていた。
「人形師さんは彼と似たようなことを言うのね」
紅が乗せられた唇をとがらす。
眉根を寄せながら、彼女は吐き連ねた。
「彼はいつもそうだったわ。私が邪魔なものを除けようとすると、脇からあれやこれやとくちばしをいれてきて。いくつになっても子供を扱うみたいにして」
彼とはユリウス=ホローポのことだろうか。
問いかけようとしたが、不機嫌そうな彼女に尋ねるほど無神経ではない。他には思い当たらないので、そうに違いないと結論づける。ユリウスから領主の話題を耳にしていた際は、ウィタ=ラティウムが女性だとは予想だにしていなかった。ユリウスからすれば、領主は妹の年齢に当たる。絶対的な忠誠を誓っていたというよりは、情があったのだろうか。
「ねぇ、人形師さん」
ウィタは、甘ったるい声で語りかけてきた。
「お前は知らないようだけれど、かわりなんていくらでもいるのよ。騎士の代替はいくらでも、御者の代替や召使の代替なんて腐るほど。都市の離婚率を知っているかしら? 夫の替えも妻の替えも、母親の替えも父親の替えもいくらだって用意できるわ」
「できませんよ。代替的に役割は果たせても、存在の替えはどこにもありません」
「まったくもって、平行線ね。頑固すぎるのってどうかと思うけれど」
会話を途切れさせて、流れていく街並みを眺めた。
都市の中心部から遠ざかり、外壁が近づいてきていた。壁の内側は綺麗に整備されており、外から眺めるのとはまた違った威厳を備えている。繰り返される戦から、この壁は都市を護り続けてきたのだ。
外壁を通過する際のみ、窓は垂れ幕のようなもので覆われた。下賤な門番に領主の姿を曝すことはいとわれるのだ。陽射しが遮られ、座席は薄闇に満たされる。車輪の軋みだけが、明確な輪郭を結んでいた。御者と門番の会話がぼんやりと聞こえる。特に重要な会話はないようだ。
キョウが漠然とそれを傍観していると、隣で甘いため息が転がされた。
「領主だって、そうよ」
何のことかと問い返そうとしたが、そうすることが
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