第34譚 人形は幸も不幸も知らない

 老婆と別れ、キョウ一行は誰も通らないであろう裏路地に逸れた。

 こつこつと靴音が物憂ものういげに反響していく。

 裏路地はどんな場所より早く、夜の緞帳どんちょうが垂れていた。建物が密集しているので、斜陽が射さないのだ。折り重なった影から肌に張りつくような寒さが漂っていて、空気はよどんでいた。


「僕の推測は的中していたようだ」


 キョウが振り返らず、レムノリアに語りかけた。


「ウィタ=ラティウムは戦争を始めるつもりなんだよ――人形を使って」


 人形を剣と振るい、人形を銃弾と扱おうと言うのだ。

 決して許せることではない。


「銀の人形は戦闘技術に秀でていた。人形は常識から逸脱した身体能力を有しているが、彼女ほどの戦闘技術を得るにはかなり鍛錬たんれんが必要になる。プエッラのように暴走していれば別だが。銀の人形が繰りだす剣術を目の当たりにして、ウィタ=ラティウムが人形を欲している動機はこれに違いない、と確信を得ていたんだ」


 髪を掻き上げて、彼が眉根を寄せた。


「いや、違うか。銀の人形は戦闘技術に秀でているわけじゃない」


 努めて冷静に、彼は続けた。


「銀の人形と戦闘していた際、プエッラは左側の脇腹を狙っていた。心臓を狙ったんだ。けれど人形の心臓部は胸部にはない。脇腹を裂かれた程度では人形は壊れない。続けて首を狙い、頭部を斬り落とした。プエッラには人形関連の知識はなかったが、人体構造は把握していたんだ。ユリウスは心臓を患っていた。ちょっとでも病状が良くならないかと彼女なりに調べたに違いない。だが逆にレムノリアが人間と戦ったら、いやそんなことは決してさせないが、どこを狙うのか、予想がつくか?」


「恐らく、心臓は狙いませんわ。額を狙ってしまうかと」


「身についた知識というものは、身体を動かす。もっとも額を貫かれても人間は死ぬが。プエッラだけではなく銀の人形もそうだ。彼女は心臓を刺し貫こうとしたが、扉の隙間からだったということもあり、狙いは肺に逸れてしまった。けれど肋骨に当たらず、的確にその隙間を刺し貫いたんだ。どういうことか、解るか?」


「慣れているということでしょうか」


「ああ、そうだ。銀の人形は、ロサは」


 砂を踏みしめて、キョウが後ろをかえりみる。

 影が差し込む双眸そうぼうは凄まじい激情に燃えていた。



「――【人】を殺すことに慣れているんだ」



 言葉にすれば、もはや堪えきれなかった。

 一筋の涙が右側の眼窩がんかから流れていく。押し込めていた激情が一斉に横溢しては、頬ばかりを濡らす。逆巻くのは憎悪ではなく、怒りでもなかった。暗澹たる絶望ばかりが渦を巻いて、途方に暮れたように彼はその場に立ち尽くす。


 殺させられる。それが悪意に満ちた命令だとすら知らず。

 殺させられた。それが悪意の連鎖しか生まないと知らされず。

 どれほど惨たらしく、悲愴ひそうなことか。


「すまない、すまない……っ」


 キョウは旅行鞄を受け取って、抱き締めた。


「辛いことをさせてしまった」


 中に収められた美しい人形には、何も解らない。

 何故、人形師が嘆くのか。何故、人形師が謝るのか。何故、殺戮さつりくが辛いことなのか。何故、主の命令が悪意に満ちていると言われるのか。何故、人を壊してはならないのか。何故、命令を護ることが誰かを悲しませるのか。何故民衆から恐れられているのか。

 何故――。


「わたしは、辛くなかった、のに」


 取り出された首は、ぼんやりと。


「たまに胸のあたりが痛んでも、辛くなんて、なかったのに」


 子供のように睫毛を傾けた。


「――何故、あなたは泣く?」


 濡れた右側の眸が色彩を移ろわせて、黄金を宿す。

 幸も不幸も知らない、残酷なほどに無垢な人形を抱き締めた。


「許してくれとは言わない。憎んでくれても構わない」


 憎んでくれないことなど解っているけれど。誰かが罰してくれれば、どれほどいいかと思わないわけではないけれど。自分自身を石畳に組み伏せ、絞め殺す幻覚に浮かされながら、キョウが歯を食いしばった。


「僕が売り渡したんだ」


 誰が駒鳥を――。

 そんな一節から始まる童謡がある。


 誰が駒鳥を殺したのか――。殺したのは銀の人形で命じたのが領主。けれど殺されたのは殺さなければならない境遇におとしめたのは人形師の片割れだ。巡り巡れば、原罪を抱えるべきは自分自身だ、と彼は信じてやまない。

 だから、と。


「すまなかった」


 夜の帳がゆったりと、街全域を覆い尽くしていく。

 傾いた太陽は外壁の向こう側に落ちて、熟れた果実のような夕焼けが徐々に褪せていた。

 太陽の残滓すら差し込まない路地では、途方に暮れたものが集い、影に浸っている。肥えた下弦の月が外壁にかかってもまだ彼は、その場で蹲っていた。

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