第33譚 民衆は剣を憎んだ

「ああ、旅人さんかい。さぞや驚いたろうね」

「はい、この事態は一体。彼は何かを嘆願していたようでしたが」

「実は度重なる増税があってね、経営が破綻するものや貧しさに喘ぐものが増えてきているんだよ。ただでさえ、戦争が終わってから五年しか経っていないのに」


 五年とは微妙な数字だ。市民が戦争による貧しさから立ち直るには不充分な期間だが、税率を引き上げなければならないほど体制側が困窮こんきゅうしているとは考えにくい。都市が侵略されていないのならば、なおのことだ。


 ならば、何の為に税を徴収するのか。

 キョウが遠まわしにそう尋ねると、老婆は眉根を寄せた。


「いや、詳しくは知らないんだけれどねえ。度重なる増税は、領主さまがもう一度、戦争を起こそうとしている証拠なんじゃないか、って噂が流れているのさ」

 考えたくもない話だけれど、と付け加えた。

 されど税率を引き上げる動機ならば、それがもっとも信憑性は高い。


 敗戦同然の時局に追い込まれたラティウムは講和条約を結ぶことにより、都市の侵略及び壊滅は免れた。被害は最小限に留めたが、敗北には変わりはない。ウィタ=ラティウムが如何程いかほどの屈辱に塗れ、報復の意志に燃えたかは想像するに難くなかった。恐らくは講和条約を破ってでも、相手の喉笛に喰らいつく機会を待ちかねている。しかし戦争をするには、莫大な資金が掛かった。それを税金からまかなおうとしているとすれば、辻褄つじつまが合うのだ。


「銀髪の従者を雇ってから、領主さまの目が変わったんだよ」

「銀髪の従者、ですか?」


「そうさ。一時期は意気消沈しておられたんだが、他所の地方からきた銀髪の従者をはべらすようになってからは戦意が甦ってね。逆らう相手は民衆だろうと従者だろうと構わず。昔から人情が通じないというか、気持ちの機微が御理解できないような御方だったけれど、手負いの獣みたいになられて。あの従者はまるで、領主さまが持たない牙や爪の役割を果たしているみたいだよ。いまは一緒にはいなかったようだけれど、みんな、銀髪の従者を恐れているんだ」


 領主が畏怖の対象ならば、銀の人形は恐怖の対象か。

 いや、すでに人形は憎悪の象徴にされていた。


「いま、彼を手にかけたのは騎士でしたが」


「騎士は民衆の味方だよ。領主さまの手前では刑罰を加えるしかないけれど、そうでない場合は見逃してくれているんだ。領主の政事に疑問を抱いているものもいて、詫びながら徴税していく騎士だっているくらいだよ。けれど銀髪の従者は、ただ黙々と領主さまの命令を遂行する。彼女ほど残虐で冷酷な従者にはいないね」


 民衆は剣を振るう者ではなく、剣そのものを憎んでいるかのようだ。

 罪を憎んで人を憎まず、とは大層な心構えだが、時に致命的な矛盾をはらみかねない。人間から悪意や善意を切り離せないように、罪人から罪を引き剥がすこともできないのだ。

 間違えてはならない。


「銀髪の従者は、領主さまの悪意そのものだ」


 領主の悪意は、領主のものだ。


「ユリウス=ホローポさまがいらっしゃれば、民を護ってくれたのにねぇ」


 そう言いながら、老婆は遠くを見つめた。

 キョウは一旦思考を断ちきって、首を傾ぐ。


「ユリウス=ホローポ殿ですか?」


 ユリウス=ホローポという盲目の騎士は、知っていた。

 されどユリウス=ホローポという英雄がどのように戦場を生き抜いて、民衆からどう思われていたのかは知り及ぶところではない。彼は過去の経緯を語ってくれたが、あくまでも彼自身の主観によるものだ。客観的に眺めた評価とは多少なりとも違っているはずだ。


「ユリウスさまは騎士だよ。戦争では常に最前線で戦っておられてね。雄々しくて強くて、優しかったんだ。当時は息子も遠征していたんだけれど、敵に追い詰められた際にユリウスさまが駆けつけてくれて、命を救われたんだよ。講和条約を結べたのもあの御方のお働きがあってのことさ。敵兵があの御方を畏れたから、なるべく穏便おんびんに、と条約を持ちかけてきたんだ」


 何故、英雄が都市から異動させられたのか。

 ずっと疑問に思っていたが、事態は想像していた以上に単純だったようだ。


 独裁的に都市を支配して、税を搾取さくしゅする際に英雄の存在は邪魔なのだ。

 厚い忠誠心を持つ騎士であれ、こうした処刑の場面を目撃すれば、民の為に何らかの行動を起こすに違いない。当人はすでに剣は握れないが、象徴的な存在が先頭にいることで強くなれるのが民衆というものだ。


「あの御方は英雄なんだよ」


 慕われていた。

 故に英雄は民から遠ざけられ、ほふられた。


 彼は決して、聡い生きかたはしなかった。

 純粋に故郷の安寧を願い、剣を振るい続けたのだ。誰も疑わず、誰も憎まず、自分自身だけを責め続けていた。されどそうした愚直さゆえに民には慕われ、敗戦後五年経過しても英雄と称えられているのだ。


「帰ってきてくれないかねぇ」


 キョウは、事実を告げられなかった。

 告げて、どうにかなるような問題でもない。


 安らかな最期ではなかった。いいんだ、と彼は言い残したが、実際には何も良かったわけではない。嘆きや怨みを残さなかった。それだけのことだ。

 けれど最愛の人形に寄り添われて瞼を重ねた今際いまわの姿は、嘘偽りなく、彼の本望であったのだろうとも思った。


「詳しく教えて頂きまして、有り難うございます。ですがこれほど詳細な事情まで御聞きしてもよかったのでしょうか? 危険が及ぶようなことはないのですか?」


 嘆願しただけで斬り捨てられるのだ。悪評を流したことが知れれば、ただで済むはずがない。話している場所が大通だ。兵士や騎士に聞きとがめられる可能性は充分にあった。けれど老婆は、首を真横に振るい、こう言い添えた。


「領主さまは民衆の噂なんて気にしておられないよ。進行の邪魔をしたから斬り捨てた、それだけさ。嘆願なんて始めから聞いちゃいない。そういう御方さね。取りあえず、領主さまが通られる際は絶対に道路に飛びだしたりするんじゃないよ」

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