第11譚 老騎士の竟の住処

「僕からもひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだい? 私に答えられることだったら、どんな質問にも応えるよ」


 漆を取扱うように言葉を選んで、慎重に問いかけた。


「このあたりは自然が豊かで素晴らしい場所だと存じます。ですが、不便ではないのでしょうか? 買い物をなさるにしても都市まではかなり距離があります。近辺には施設がないので、医療や教育などで不都合さを感じられることもあるかと推察致します」


 そうして核心的な個所に言葉を伸ばす。


「ユリウス殿は時の英雄と聞き及んでおります。ここは騎士殿の御屋敷を構えるには、少々都市から離れ過ぎているように思うのですが」


 息を詰めて。

 じっと相手の反応を待ち受けた。



「そんなことか」


 ユリウスが破顔一笑して、場の緊張がかき消された。


「英雄なんて大層なものではないけれど、ラティウムの為に命を賭して戦い抜いたことは事実だよ。ただ情けないことに戦争中大怪我を負ってしまってね、両眼を斬られてしまった。怪我が癒えた当初は、うっすらと見えていたのだが、徐々に視界が薄れてこの通りさ。他にも私は難病を患っていてね、もう長くないんだ。戦中の不摂生が祟ったのだろうか。あるいは破傷風はしょうふうが病を運んだのだろうか。ああ、伝染するものではないから、心配はいらないよ。どちらにしても私は、もう戦場に復帰できない。敗戦は確実だろうと絶望していたが、陛下が相手と講和条約を結んで、見事終戦に導かれたんだ。それだけではない。陛下は戦争での負傷をして、静かな土地を与えてくださったんだよ」


 微笑みを崩さず、彼は見えない双眸で薔薇園を眺めた。


「戦に明け暮れていた私が、これほど穏やかな余生を送れるとは思っていなかったよ。講和条約を結んでからは争いもなくなり、この地域は平穏に満ちている。都市での生活と比較すれば、不便さは感じざるを得ないが、これほど静かで穏やかな暮らしはないよ。私には妻も子供もいないが、ここには娘同然のプエッラもいてくれるんだ」


 瞼の裏側にはどんな色彩が宿っているのだろうか。青か、緑か。あるいは橙なのか。想像することしかできないが、温厚で暖かな眼差しに違いなかった。


「私にとってはね、つい住処すみかなんだよ」


 彼は、幸福を信じきっていた。

 キョウは何も言えず、ただ当たり障りのない相槌あいづちを転がす。愛想笑いで誤魔化して、感傷を押し戻すように紅茶を流し込んだ。せかえりそうな苦味に軽く、眉間を寄せる。


「今晩の宿はもう用意しているのかな?」

「いえ、まだ」


 いまから引き返して、都市に入れるかどうかは微妙なところだ。

 大都市ならば、夕刻以降も門番が待機しているが、あの程度の規模の都市ではそうはいかない。間に合わなかったら幌馬車で泊まらなければならなかった。


「よかったら、この屋敷に泊まっていかないかい?」

「とんでもございません。そこまで御世話になるわけには……」


 遠慮がちにそう言いながら、キョウは窺うように相手を見返す。


「是非とも泊まって欲しいんだ。この場所は静かで気に入っているが、誰かが訪れることは滅多になくてね。もちろん、急いでいるのならばそれでも構わない」


「暖かき御心遣いに感謝致します。それでは一晩だけ」


 ユリウスは嬉しそうに唇の端を持ち上げた。

 プエッラがすかさず、「客室に案内しましょうか」と声をかけてきた。準備をしなくても構わないのかとユリウスが尋ねたが、プエッラはえっへんと背筋を伸ばす。「こんなこともあろうかとお掃除はかかさずしていたのです」と威張る言動からは、幼さ以上に勤勉さが滲んでいた。そう言えば、庭を管理しているのも彼女だと聞き及んでいた。


「プエッラが案内しますね。ついてきてくださいです、お客さま」

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