第10譚 穏やかな茶会と人形

 薔薇園に張り巡らされた遊歩道は綺麗に煉瓦レンガが敷かれ、見えなくともつまずかないよう、配慮されている。薔薇が絡まるアーチを抜け、ささやかな広場に案内された。広場にはティーテーブルが置かれていた。茶会の準備が進められている途中のようだ。


「丁度良かったよ。一緒にどうだい?」

「よろしいのですか? それでは御言葉に甘えさせて頂きます」


 深々と礼をして、キョウが勧められた椅子に腰掛けた。

 レムノリアは同席するべきか否かと悩んでいるようだ。キョウにうながされて隣の席につく。彼女は大柄な革張りの旅行鞄を持っていた。なかには商品である人形が収められている。必要になれば、すぐに取り出せるよう、テーブルの脇に置いた。


 いつの間にか姿が見えなくなっていたプエッラが、銀のワゴンに様々な道具や茶菓子を積んで運んできた。紅茶の用意が整ったようだ。プエッラはうんと背伸びをして、紅茶を注いでいく。茶葉の香りが一帯に漂い、全員の席に紅茶が配られた。良ければと角砂糖を渡されたので、キョウは有難く、それを受け取った。

 香り高い紅茶の雫が喉を通り抜けていく。

 ティーカップを傾けて、キョウが感想を述べた。


「非常に上質な紅茶ですね。香りからすると、アールグレイでしょうか」

「よく判ったね。裏庭でベルガモットを栽培しているんだよ」


 薔薇園の他には果樹園もあるのか。よく管理できているものだ、とキョウは感心する。


「心を込めて栽培されているのが解ります。そうでなければ、これほど香り高い精油は採取できないでしょう。海辺ならばベルガモットはよく育ちますが、森に覆われたこの地域でベルガモットを栽培するには、大変なご苦労があると推察致します」


「そう言って貰えると嬉しいよ。と言っても、庭の管理は彼女に任せきりなのだけれど」


 褒められたのが気恥ずかしかったのか、プエッラが頬を赤く染めた。

 プエッラはすでに給仕の役割を終えて、一緒に茶会を楽しんでいた。もっとも彼女は、紅茶より茶菓子が気に入ったようだ。スコーンを頬張って、幸せそうな表情を浮かべていた。


「紅茶を飲みながらでよければ、人形を見せてもらって構わないかい?」

「はい。是非ともお願い致します」


 隣にいたレムノリアが旅行鞄から木箱を取り出す。直径は二十cm、高さは三十cmほど。旅行鞄には計三個の木箱が詰められていた。

 順番に並べてから、ゆっくりと蓋を取っていく。


 右側の箱には優雅に微笑む人形が収められていた。引き込まれそうなほどに澄んだ青い瞳が印象的だ。窮屈な箱のなかでも凛と背筋を伸ばして、胸を張っていた。

 真中の箱には黒い瞳をした乳絞り娘の人形が詰められていた。垂れがちな眉毛が可愛らしい。だぼっとした麻の民族衣装を着込んで、長い髪を三つ編みに結わえていた。

 最後に残された左側の箱には、神秘的な人形が微笑んでいた。幼気な眼差しはちょっとだけ悪戯っぽくて、薄く染まった頬は子供特有の愛らしさを振りまいている。髪は薄紅に染められており、午後の光を受けて、きらきらと艶めいていた。

 箱に詰められた少女らはみな、いまにも呼吸をし始めそうな豊かな表情をしていた。


 プエッラが興味深そうに身を乗り出す。椅子が軋む音からそれを感じ取ったのか、ユリウスが微笑みを浮かべる。「好きなものを選びなさい」と言われ、プエッラは嬉しそうに人形を見比べた。くるくると団栗眼が動いて、散々悩んでから左側を指さす。


「プエッラは、これが好きなのです。だって、髪がプエッラと一緒なのですよ?」


 光の輪がプエッラの髪をくと、一瞬だけ、薔薇がほころぶ。

 その色相は、人形の髪と見事に重なった。


「それではこれを買わせてもらおうかな。金貨三十枚で足りるかい?」

「いえ、十五枚で充分です」

「遠慮しなくていいよ。これほど素晴らしい人形に金貨十五枚では申し訳ない。三十枚でも足りないくらいだよ。どうか受け取ってくれ」


 キョウが創作した人形は精微を極めていたが、目が見えないユリウスにはそれは分からないはずだ。それにも関わらず、彼は大量の金貨が詰まった袋を差し出す。これにはキョウは困惑して、言葉を詰まらせた。


「お気持ちは非常に有難いのですが、受け取れません」

「受け取って置きなさい。君くらいの年齢で旅をするのは容易なことではないだろう?」


 押し問答を長引かせては、逆に失礼になりかねない。遠慮がちに金貨を受け取り、人形を渡す。他の木箱はレムノリアがすでに旅行鞄に片付けていた。箱に収められた人形を見つめて、プエッラが目を輝かす。取り出してもいいかとユリウスに問いかけたが、茶会が終わってからと言われてしまった。彼女だけが急いで飲んだからと言って茶会が終わるわけではないのだが、懸命に熱いのを我慢して紅茶を飲む姿は、とても可愛らしかった。


「彼女はユリウス殿の娘さんですか?」


 問いかけには、微かに緊張が込められていた。


「ははは、残念ながらそうじゃないよ。娘のように大事な存在だがね」


 詳しい事情は語らない。問い詰めることもできたが、キョウはそうしなかった。

「そうなんですか」と話題を終わらせて、紅茶で喉を潤す。茶菓子は美味しそうだったが、いまは食べる気にはならない。上質な紅茶の風味だけを嗜みたかった。


「君が連れているその女性とはどういった関係なのかな? 姉弟ではないようだね」

「ああ、申し遅れましたが、彼女は護衛兼世話係です。旅をするのに、僕ひとりではいささか心細いので、彼女に同行してもらっています」


 ずっと黙っていたレムノリアが深々と礼をして、社交辞令的な微笑みを浮かべた。


「レムノリアと申します。以後御見知り置き頂ければ、幸いでございます」


 行商に携わるものが女性の護衛を雇うことは一般的ではないが、貴族の間ではさほど珍しいことではない。女性の護衛ならば見栄えもよく、貴族の貧弱さが際立つこともなかった。また有事の際には、身体が大柄なだけで頭が悪い傭兵より役立つのだ。


 ユリウスは丁重に挨拶を返して、またキョウに向き直す。


「これまでいくつくらいの街を巡ってきたんだい?」

「街だけでしたら十二、集落や農村も含めば二十八ほどでしょうか」

「ほお、ずいぶんと長い期間、旅をしているんだね」

「いえ、故郷を発ってからは一年しか経っていません」


 各街の滞在期間は最低限。旅の疲労を癒す間もなく、街から街へと渡っていくだけの旅路だったことが、わずかな期間に詰め込まれた距離の密度が語っていた。

 慌ただしく各地を転々としながら、人形を販売していたのか。

 どう考えても、効率的な方法ではない。


「故郷はどこにあるんだい?」

「大陸の最東にある集落群のひとつです」

「確かに東部には集落が密集していたね。君が暮らしていたのはどんな場所だったのかな?」

「豊かな森に覆われていて、とても美しい滝が森の随処にある場所でした。様々な実りがあり、季節により柑橘系かんきつけいの果実やウリ科の果菜が収穫できて、とても恵まれた土地だったんです」

「素晴らしい場所じゃないか。どうして君は、故郷から旅立ったんだい?」


 群青の双眸が一瞬だけ陰り、喉が凍りついたように声が途切れてしまった。動揺を覚られることは避けたいのか、無理に穏やかな声を絞りだす。


「僕が創作した人形を、様々な御方に見て頂きたかったので」


 語尾がややかすれていた。

 ユリウスは何も疑問を抱かなかったようだ。


「そうか。人形は、素晴らしいものだ。生活にそっと寄り添って、孤独をやわらげてくれる人形は、世界中で最も優しい【芸術】だと私は思っているよ。君のような人形師とこうして話すことができて、今日はなんて素晴らしい一日なのだろうか」


 上機嫌で紅茶を啜る彼は、先程より若返っているようだ。

 常に目を塞いでいることに加えて、杖で痩せた身体を支えていたので、老いた印象を受けたが、実際には四十代前半くらいなのではないだろうか。彼が英雄と称えられていた戦争が約五年前に終戦を迎えたことを考慮すれば、そうでなければ辻褄が合わない。

 キョウは、彼のことをもっと知らなければならなかった。

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