人形師は祈らない

夢見里 龍

序章

プロローグ 幻想譚は 人形 からはじまる

 その娘は、美しすぎた。


 初雪より透き通った肌。卵を裏返したような顎の輪郭に薄く染まった頬。抱きしめたら壊れそうなほど華奢な肩。肩に掛かった髪からは、甘やかな香りが立ち昇っている。髪の流れに添って、細かな星の粒が散っていた。


 熟れた果実のような乳房は豊かな円みを帯びていた。呼吸する度に揺れ、不用意に触れれば落ちてしまいそうだ。リボンで結んだようにくびれた腰もまた、ぞくりとするほどなまめかしかった。背中から腰に掛けての曲線は、妙に野性的だ。細い骨格に巻きついたしなやかな筋肉は、草原を駆ける鹿や谷間を飛び交う鷹を連想させる。両脚はしっかりと床を踏みしめて、大理石の上に十枚の爪を並べていた。


 派手に着飾った薔薇の美麗さではなく、純潔を誇る白百合の可憐さでもない。

 あえて例えるならば氷の華。あるいは花弁を模した水晶。刻の束縛から逃れ、枯れもせず散りもしない永遠の大輪――抽象的な表現に値する現実離れした美しさが、そこにはあった。


 影だけをまとい、静謐せいひつをたたえた娘の姿は、いかなる芸術より他者の心を惹きつけてやまない。


 彼女の容姿を語るのに、決して差し引いてはならないのが双眸ひとみだ。

 眼窩がんかにはまった完璧な円球は、宝珠に例えるには安すぎるほど色彩が深い。

 金星、あるいは木星。星より遥かに位置する惑星と比類すべき神秘性を有していた。光の加減により色彩は刻々と移り変わっていく。赤みを残した紫に瞬いたかと思えば、みずみずしい浅葱あさぎを覗かせ、月盤を縁取るとばりの群青が過ぎった。息衝く色彩はこの上なく美しかったが、故に魔性的としか言いようがなかった。


 常軌を逸した美貌は、もはや生物の域ではない。

 神か、悪魔か、妖精か。

 異質な存在だと言われたほうが、よほど信じられるほどだ。

 そうした疑念は当然であり、また正解でもあった。


 娘は人間ではない。生物ですらない。

 人間の模造品に過ぎなかった。


 呼吸をする人形は物だろうか。

 それとも者たり得るのだろうか。


 そのどちらであろうとも、人形は人形でしかない。


 人間にはならず、故に美しい。

 その娘は、美しすぎた。

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