第1譚  それは呼吸をする人形だった

 片割れの月盤が、豪奢ごうしゃな城の屋根に掛かっていた。

 湖のほとりに建てられた城は夜霧に包まれ、ぼんやりとした輪郭を結んでいる。

 城の随所には見事な装飾が施されており、屋根の先端には鷹の像、壁にも等間隔に繊細な彫刻があしらわれていた。鷹は権威の象徴であり、それを誇示したいという城主の思惑が見え隠れしている。


 しっとりと濡れた壁は月の余韻を受けて、白さを増していた。

 白塗りの綺麗な壁からは歴史の重みが感じられない。

 形だけを整えた、砂の城のようだ。


 城の広間には下級貴族が集い、華やかな夜宴の最中であった。

 円型の食卓がいくつも用意され、それぞれの席を移動しながら貴族らは世間話に花を咲かせている。会場の中央部には石製の椅子が置かれていた。未だ誰も座っていない。改まった席ではないのか、各々葡萄酒ワインを嗜みながら情報を交換したり、自慢話を織り込んだりと賑やかだ。貴族と総称しても子爵や令嬢、下級伯爵夫人など多岐に渡った。共通していることがあるとすれば、全員がとある催事を見物しに集っているということだ。夜宴に参加できるものは限られており、退屈を持て余す物好きな下級貴族だけに招待状が届けられていた。


 酔いが程良くまわった頃、主催者であるブルート男爵が参加者全員に呼びかけた。


「今宵は御集り頂きまして、至極光栄に存じ上げます。宴もたけなわでございますので、これより夜宴の主演目を開催致します。どうか楽しんでいかれますように」


 男爵が恭しく礼をしたのが合図だったのか、奥から全裸の娘が連れてこられた。


 頭には黒い布袋をかぶせられ、四肢の白さばかりが異様に際立っていた。

 痛々しいほど柔らかな裸足を引きずって、惨めらしく貴族の狭間を進んでいく。立ち止まりそうになると、首に繋がれた縄を手繰られた。転びそうになりながら、歩調を戻す。

 娘が椅子に腰掛けた。石製の椅子は軋みもせず、冷ややかに娘の肢体を受け入れる。


 布袋がすっと、取り払われた。

 娘の素顔を見て、その場にいた全員が呼吸を詰まらせた。


 醜かったからではない。


 逆だ。


 全裸の娘は、美しかったのだ。


 首に縄を結ばれた姿は畜生のようだが、惨めさでは打ち消せないほどに彼女の容姿は整っていた。いや、整っているという表現では、娘の美しさをおとしめかねない。


 湖のように透き通った瞳に通り雨を連想させる蒼い髪。

 薔薇色に染まった肌には、無数の青あざが浮かんでいた。無残な痕がどうしてか、薄紅の薔薇にまじった紫薔薇を連想させて、妙に艶めかしかった。倒錯的だが、透き通った肌をより美しく魅せていることは否めない。


 娘の視線は先ほどから落ち着かず、逃げ場を探すように動き続けていた。隠しきれない恐怖の色が横顔を陰らせている。


 もっとも娘には逃げ場などない。

 物理的な拘束ではなく、精神的な支配がそれを許さなかった。


「こちらが、呼吸をする人形でございます」


 これが人形だとは、にわかには信じ難い。

 だが偽りでないということは、男爵の口振りから伝わってきた。

「これが人形なのか」「稀代きたいの人形師が創作したというあの――」などと語り、貴族がざわめく。


 人形の娘が震えながら、主である男爵を振り仰ぐ。何も言わなかったが、これから起こることを予測して不安でたまらないという様子だ。それでも逃げる素振りを見せないのは、男爵が「動くな」と命じたからに他ならなかった。

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