第32譚 領主との遭遇

 街の散策を続けるか。一度宿に帰って、休むか。

 どちらにせよ、路地からは出なければならないが、雑踏が渦巻く大通を予想するとキョウは嫌気が差した。


 路地から大通の様子を覗いて、違和感に気づく。

 まばらにしか人影がないのだ。賑やかさは鳴りをひそめて、通り過ぎるものはみな何かに追われているようだ。先ほどまでの慌ただしさとは異なる緊張感が、その足取りからは滲んでいる。


 異変を感じながら、大通に踏み込みかけたキョウは後ろからレムノリアに引き寄せられた。何があったのかと視線だけで問いかけると、レムノリアは黙って、大路の東側を睨みつけた。


 馬車がこちらに進んできていた。


 金細工が施された四頭立ての馬車は市民が乗れるような代物ではない。馬に取りつけられたくらあぶみもまた華美すぎて、悪趣味としかいいようがなかった。馬車の両脇には立派な馬に跨った騎士が控えている。

 大規模な行進ではないが、物々しい雰囲気が漂っていた。

 はたして、どんな貴族が乗っているのか。


 いや、待て。

 キョウが記憶を掘り返す。


「ウィタ=ラティウム、か」


 その場に居あわせてしまった全員が、石畳に膝をつき、頭を垂れた。

 激しい雨の粒に叩かれた植物が、堪えかねて茎を曲げるかのようだ。民衆の頭上を突き進む馬車の軋みは、軍馬のいななきや戦車のとどろき錯誤さくごさせて、言葉無き圧制を振りまく。不意に車輪が石の破片をはねて、近くにいた老婆の頬を裂いた。けれど微かな呻きすら押し込めて、彼女は激痛に耐える。

 何事もなく、馬車が通過しようとした、その時だ。


「領主さま――!」


 みすぼらしい格好をした農夫が進路に立ち塞がった。

 群衆の幾人かがざわめいたが、馬車が停まったのを見て、声を殺す。何も見ていない。何も聞こえていないと言いたげに視線を落として、民衆は懸命に石畳の砂を数えた。


「領主さま、どうか増税を取りやめて頂きたく、嘆願申し上げます。これ以上増税なさると葡萄ぶどう農家は年貢を納めることもままならず、すでにいくつもの葡萄農家が経営不振に陥っております。このままでは葡萄の収穫量にも――」


 馬上の騎士が近づいてきた。彼は懸命に訴えていたが、騎士は何も言わない。

 無言で剣を抜き放つ。続けて起こる事態を予測して、連なっていた背中がこわばった。

 騎士が剣を振るう。悲鳴に重ねて、血飛沫が上がった。農夫が倒れる。剣をさやに収める無機質な音が悲鳴の余韻を断ち切った。


 そうして何事もなかったように馬車が動きだす。

 窓には布が掛けられており、ウィタ=ラティウム当人の姿は確認できなかった。


 馬は進路に転がっていた邪魔な亡骸を蹴って、通り過ぎていく。

 車輪の音が聞こえなくなってから、やっと全員が順に頭を上げて、農夫の亡骸に群がった。無造作に転がされたその身体からはまだおびただしい量の血潮が溢れていた。けれどすでに息はしていない。泣きながら亡骸を抱いている男は、彼の知り合いだろうか。だからやめておけと。どうしてこんなことに。いくつかは聞き取れたが、涙で潰れて声になっていないものが半数以上だ。


「何があったんですか?」


 やや離れた場所から亡骸を悼んでいた老婆に近づき、キョウはそう尋ねかけた。

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