第31譚 束の間のやすらぎ 後編

 レムノリアがもう一カ所寄りたい店舗があるというので、そちらに付き合うことになった。前掛が血まみれになってしまったので、それを買い替え、ついでに衣装も新調したいとのことだ。斧で裂かれた部分は縫い直されていたが、よくよく見れば洗いきれなかった染みが残っていた。前掛は洗い替えがあるが、仕着せは以前くまに襲われた際に一着駄目にして、それから着替えていなかったようだ。


「晩の間に洗濯をして、朝には着られるようにしておりましたので」

「そうだったのか、てっきり洗濯もしていないのかと思っていたが」


 キョウは素直な感想を述べた。


「左様でございますか。ご主人さまは、私をそれほど不衛生な人形だと思っておりましたのね。そうまで的確に女性の逆鱗に触れられるとは感服致しますわ」


 振り向きざまに笑いかけられた。けれど完璧に目が笑っていない。

 キョウは肩をすくめながら、凍えそうな視線から逃れようと試みた。それらしい店舗を発見して、慌ててそれを指さす。レムノリアはまだ膨れていたが、取りあえず気は逸らせたようだ。


 窓枠の向こう側には、様々な衣装が飾られていた。一般的な洋服屋とは違い、ここでは主に制服や仮装などを取り扱っているようだ。ここならば仕着せも販売しているはずだ。

 店員に声をかけようとする間もなく、相手から近づいてきてくれた。


「何を御探しでしょうか?」


 陽気そうな若い女性の店員だ。


「仕着せは取り扱っておりますか?」

「はい。ご案内しますね」


 店員に連れられて、レムノリアが等間隔に並ぶ棚の奥側に消えていく。

 一緒に探すつもりはない。キョウはしばらくして戻ってきた店員に話しかけて、この街では近時変わった事件などはなかったか、と尋ねた。店員はきょとんと、小首を傾ぐ。これだけでは不審に疑われても仕方がない。今朝都市に到着したばかりなのだが、と付け加えると、納得したようで親身になってくれた。

 いわく、一週間前に税率が引き上げられたので景気は落ち込んでいるが、大規模な事件などは起こっていない。旅人には過ごしやすい都市なのではないだろうかとのことだ。

 プエッラはまだ、都市や領主邸には襲撃をかけていない。確実に領主を殺害する為に身体を修復するだろうとの読みは、当たっていたのだ。だとすれば、まだ猶予ゆうよがあった。


「ただ、ひとつだけ気をつけて頂きたいことがあって」


 言いにくそうにしながら、店員が声をひそめて囁きかけた。


「領主さまには決してお会いにならないようになさってください。昼間は出かけておられますが、夕方頃になると馬車に乗って大通を通られます。その際に居合わせてしまったら、気づかれる前に路地に逸れるか。その場で膝をついて通り過ぎるまでは頭を上げないように」

「穏やかではないが、条例でもあるのか?」

「いえ、……あの、ちゃんと御伝えしましたからね?」


 あからさまに言葉を濁されてしまった。追及したかったが、相手の目線が拒絶反応を示していた。別の話題から訊きだせないかと思考を巡らす。


「キョウさま」


 もう一度、語りかけようとした際、聞き慣れた声で呼びかけられた。


「御手伝いを頂いても構いませんか?」


 レムノリアは試着室にいるようだ。布の隙間から白くて滑らかな背中が覗いていた。

 背中に縫いつけられた紐製の釦が留められないようだ。両肩や腰は隠れており、どんな衣装かは解らないが、仕着せではない。釦を留めるのはいいのだが、キョウは手袋をつけているので非常に扱いにくかった。三度ほど挑戦してから諦めて手袋を脱いで、釦を留める。

 数十秒後。彼女は布を開け放って、試着室から姿を表す。


「如何でございますか? キョウさま」


 くびれた細い腰に手を当てて、隙がない曲線を見せつけた。

 詰襟に押さえられた胸は窮屈きゅうくつそうに存在を主張しており、思いきり息を吸い込んだらはちきれそうだ。胸部に並ぶ飾りボタンは華を象っていた。横裾よこすその両側には深い切り込みが入っていて、柔らかな太腿ふとももが露わになっている。程よく引き締まった脚が覗くさまは、非常に扇情的だ。

 身体の線を露わにする衣装は、易々と着こなせるものではない。

 けれど類稀な美貌は、奇抜な衣装でさえ従わせていた。


「東洋の衣装だそうでございます」


 動揺を隠しきれず、キョウがかっと頬に朱を差す。

 視線のやり場が見当たらず、あからさまに視線を逸らしてしまった。


「慎みに欠けているんじゃないか?」


 やっと考えついた感想がそれだ。

 レムノリアが「左様でございますか?」と小首を傾げて、長い裾をつまんで揺らす。丁寧に織られた藍の生地は角度によりその色相を変え、緻密な紋様を浮かばせた。それは構わないのだが、素脚が目に飛び込んできて、キョウは余計に顔を背けてしまった。


「それでは、着替えて参ります」


 再度、布が引かれた。着替えを待たなくてはならない。

 どう暇を潰そうかと考えていたが、一部始終を眺めていた店員が寄ってきた。


「お連れさまですよね。なんて御美しいんでしょうか。引き締まっていて、けれど女性特有の柔らかさを損なっていなくて。あの体型でしたら、どんな衣装でも御似合いになられますよ」


 徹底的な美貌とは同性でさえ魅了するようだ。

 美しいばかりではない。ある種の攻撃性を持つ美相は、競争や嫉妬を根絶やしにするのだ。競えるような対象ではないと、直感的に認識するのだ。

 嫉妬など想像しただけでも愚かしかった。

 本能的な諦めに理解が伴えば尊敬に転じていく。


「あの女性と街を散策されるんでしたら、もっと相応しい衣装がありますよ。もちろん、その衣装も……その、奇抜でいいと、思うんですけれど」


 ためらいがちに服装の奇態さを指摘される。キョウは首を真横に振るった。


「僕はこれで構わない。肌をさらしたくないんだ」

「お客さまは御顔立ちが整っておられますので、手をかけないのは非常にもったいないと思いますよ。例えばこのような衣装などが御似合いになられるかと」


 頼んでもいないのに、店員は棚から礼服を持ってきた。群青の生地に金の刺繍が施された衣装は格調高く、貴族の子息が着用していてもおかしくなかった。奇妙な服装をしているキョウにも物怖じせず、積極的に接客をしてくれる。逆に言えば、包帯に隠されているものが何か、触れていいものなのかどうかすら考えない。

 一度合わせようと、店員が軽く手を引っ張った。

 素肌が触れたのが早いか。


「――ッ……あ」


 キョウは店員の手を振り払っていた。


 意識しての行動ではない。

 相手も驚いていたが、キョウ自身が最も動揺していた。ただでさえ白い頬が完全に蒼ざめ、身体が細かく震えている。


「あっ、あの、えっと、大変失礼しました……っ」

「い、いや僕が、悪かった。すまない」


 気まずくなり、店員はそそくさと棚の陳列作業に戻ってしまった。

 キョウは触れられたところをさすり、呼吸を整える。手袋をはめなおして、やっと落ち着いた頃に試着室からすらりと伸びた脚が踏みだしてきた。やっと仕着せを選んだのかと振り返ったキョウは、また真っ赤にのぼせあがった。


 薄紫に艶めく髪からは、うさぎを模した耳が伸びていた。

 完璧に胸が露わになっており、艶かしさでは東洋の衣装とは比較にならないほどだ。全体像はレオタードに似ていたが、各部には制服の雰囲気を残していた。袖はついておらず、手首付近には装飾的に袖口が巻きつけられている。襟もついていて、蝶ネクタイが結ばれていた。

 豊満な乳房はちょっと動いたら、こぼれそうだ。


「こちらでしたら、御気に召しますか?」


 小首を傾げると、ぴょこんと耳が揺れた。尻尾もついているようだ。


「先程の衣装と同じようにしか見えないんだが」


 キョウからの感想は相変わらず、にべもない。

 虹を映す双眸が落胆したような陰りを覗かせて。


「左様でございますか」


 意地になったように嫣然えんぜんと口端を持ち上げた。

 それからは何着も着ては脱ぎ捨て、着替えては披露することを繰り返した。そうした行為はキョウが疲労困憊するまで続けられた。やっと憂さが晴れたのか、レムノリアが店員に会計に頼む。


「まさかとは思うが、全部買うわけじゃないだろうな」


 着替えた衣装は十着を超えていた。しかも豪華なものばかりなので、値段的にも荷物的にも購入できる量ではない。旅の荷物が全て衣装になりかねなかった。


「当然でございます。荷物は増やしませんわ。ただの人形遊びでございますので、なにとぞご安堵召されますように。こちらの衣装のみ購入しても構いませんか?」

「それだけでいいのか?」


 彼女が購入するのは仕着せ三枚だけ。


「仕着せを身に着ければ、自然と背筋が伸びますので」


 会計の際にふと、キョウがあるものに視線を映す。手に取り、「これも一緒に購入してくれ」と渡してから、レムノリアを待たずに洋服屋から立ち去った。店員とはもう顔を合わせたくない。路地の曲がり角付近で待っていると、紙袋を提げたレムノリアが合流してきた。


「お時間を取らせて申し訳ございませんでした」

「確かに疲れたが、……まあ、気分転換にはなったよ」


 レムノリアなりに気をつかってくれたのだろうとキョウは思う。彼女自身も相当楽しんでいたが。


 脇に逸れて、誰も通らなさそうな細い路地に踏み込んだ。旅行鞄から首を取り出す。ロザは退屈を持て余していたのか、ぼんやりと寝ぼけていた。三つ編みにできなかった髪の房を耳に掛けて、耳たぶに飾りをつけてやると目を瞬かす。


「何」


 警戒を覗かせた。

 怖がらせたいわけではない。キョウはロザのもう片側の耳につけようとしていた飾りを見せてあげた。


「耳飾りだよ。お前に似合うと思ったんだ」

「人形に装飾なんて、必要ない」

「言っただろう? 生命維持に必要かどうかなんて、さして重要じゃない。そんな事を指摘したら、人間にも衣服や装飾なんて生きていくためには必要じゃない。けれどそこには、別の必要性があるんだよ。綺麗な服を身に着けて、綺麗な飾りを贈られて、嬉しくない女性はいないだろう?」


 彼女は相当に動揺したようだ。


「どうしてわたしに、優しくする?」


 たどたどしく、問いかけた。


「優しくすることには理由が必要か?」

「理由がないと不安になるんだ」

「そうか。じゃあ人形だからと言っておこうか。お前が打算を持たない人形だから、僕も理屈抜きで優しく接することができるんだよ」


 手袋を取って髪を梳いても、頬に触れても、震えはこなかった。

 彼女が、人形だからだ。


 ロサはまだ視線を揺らしていたが、ぼんやりと納得はしたようだ。


 細い路地だが、いつ誰が通るかは判らない。首を旅行鞄に隠す。

 旅行鞄を抱え直して路地を進んでいく。建物の間には洗濯物が張り巡らされ、頭上高くを覆っていた。ぱたぱたと風に揺らめく洗濯物の群れは、旗のように彩り豊かだ。


 黄昏はまだ遠い。

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