第4譚  されど 人形は 救済を選ばない

 こうした夜宴が開催されたのは一度や二度ではない。拷問器具の収集が趣味であるブルート男爵は、貴重な道具を入手する度に夜宴を催しては人形で試していた。戦争で成り上がった豪商というだけあり、夜宴で試用した器具を販売したりもしていたようだ。


 爪を一枚一枚剥がされたり関節をひとつずつ叩き潰されたり、繰り返される責苦は人形の精神に深い傷跡を残したに違いない。人形はある程度の怪我ならば自己修復することが可能だが、精神に刻まれた傷はかんたんには癒せない。

 物と虐げられ、耐え続けた人形には、いつ限界がきてもおかしくはなかった。

 契約はすでに破られており、逃亡をとがめられるものはいなかった。


 人形は何を思ったのだろうか。嬉しそうに頬を緩めて、透明な雫を零す。人形の震える指先が女性に触れたが、引き寄せようとはしなかった。数秒で指を引っ込めて、今度は自身の喉を握り込む。叫び続けてすりきれた喉では、なかなか明瞭めいりょうな言葉にはならなかった。

 なんとか一言だけ、転がす。


「……できません。私にはそんなことは」


 足首を斬り落とされた右側の膝を見つめながら、人形は微笑む。


「どんなことがあっても、どんなことをされても主様の側に」


 木の葉がこすれるような細い声だったが、彼女は迷いなく言葉を紡いでいく。

 痛みを感じていないわけではない。虐げられていることを理解して、雑に扱われていることに悲しみを覚えながら、彼女はここにいたい、と告げるのだ。

 痛みに怯え、恐怖にさいなまれ、それでも必要とされているかぎりは。

 存在を許してもらえているかぎりは。


「それが、人形の」

「本望ですか?」


 人形が頷く。女性もまた、頷き返す。

 女性は逃げますかと問いかけながら、人形が決して、所有者から逃亡するという選択肢を選ばないことを知っていたようだ。人形の性質を理解していながら、問いかけずにはいられなかったのだ。仕着せを揺らして、女性が立ち上がった。女性が去ってしまうと思ったのだろうか。

 人形は相手の袖を握りしめて、すがりつく。


「お願いが、あります。どうか、私を、壊してください」


 貴族が後ろでざわめいていた。


「痛くて、苦しくて――いつ耐えられなくなるかと想像すると、私は怖くて。その頃にはきっと、私は必要ではなくなって、主様はこんな人形遊びには飽きられて。それだったら、いまこうして主様に尽くしていられるうちに私を壊して下さいませんか?」


 人形が人形であるかぎりは、安らかな眠りは訪れない。それならばどれほど残酷であっても、苦しみの連鎖に終止符を打つのが慈悲と言うものなのだろうか。

 救いとは言えなかった。

 けれど女性は、恭しくその場で腰を曲げた。


「承知致しました」


 紫に透き通った睫毛をふせて、女性が腰に帯びたスティレットを抜き放つ。

 何かを思い出したかのように人形が喉を震わせた。


「あとひとつだけ。主様にはどうか」


 最後までは聞かず、一瞬で人形の眉間を刺し貫く。

 人間の場合は胸部に心臓が存在するが、人形の中枢ちゅうすうは額に埋め込まれていた。そこを破壊されないかぎりは人形は停止しない。人形の心臓だけを正確に貫いて、女性がスティレットを引き抜く。生暖かい血潮を受けて、彼女はほんのわずかに頬をこわばらせた。人形が紡ぎかけた懇願は霧散むさんしてしまったが、何を伝えたかったのかは理解できる。


 不意に銃声が響き渡った。

 少年ががねを押し込んだのだ。


「物の痛みを思い知れ」


 男爵が崩れ落ちていく。脚を撃たれて。

 床に這いつくばって悶絶もんぜつする初老の醜態を睥睨へいげいして、少年が身をひるがえす。

 人形が最期までおもんばかっていた相手を殺すことはしない。仕着せ姿の女性が少年に駆け寄り、小柄な身体を軽々と抱きかかえる。銃で威嚇いかくしながら、ふたりは貴族の間を進んでいく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る