第3譚  救いの手は差しだされる

 予想だにしていなかった事態に全員があ然となり、反応が遅れる。護衛を務める兵士だけが素早く剣を抜いていた。もっとも即座に少年を斬り捨てられる位置にはいない。


「動くな! 動いたら男爵の命はないものと思え」


 男爵の額に照準を合わせて、少年が睨みを利かす。

 兵士は動けなかった。男爵も怯え、ごくりと喉をひきつらせる。

 緊張する一同を眺めて、少年は懐から一枚の紙を取り出した。羊皮紙に書かれたそれは、契約書のようだ。


「第四条 故意に人形を破損及び破壊するべからず。貴殿はこの条項を破り、拷問器具を試用したばかりか、好事家こうずか共の卑陋ひろうなる娯楽に人形を利用した。許しがたい契約違反だ。契約に従い、人形を回収させてもらおうか」


「どういうことだ。貴様は一体……ッ」


 男爵が呻き声をあげたが、そこから先は言えなかった。

 森側に面する窓から何者かが飛び込んできたのだ。

 窓硝子が砕けてその場に飛び散り、貴族から悲鳴が上がった。人間とは思えない身のこなしで着地したその人物は、仕着せをひるがえして少年を振り向く。

 その場にいた全員が状況も忘れて魅入られるほどに妖艶な女性だったが、美しい、と一言では表現できない。攻撃的な美貌というべきか、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。


 少年が視線だけで彼女に命令を下す。

 女性は軽く会釈えしゃくをして、人形に接近していく。

 異常事態を理解しながらも人形は椅子から動けない。男爵が不動を命じたからか、あまりの激痛に身動き一つ取れないのか。人形の性質を知るものならば、前者だとすぐに理解するはずだ。


 血にまみれた人形の側で立ち止まり、女性がひざまずく。

 素性が知れない女性に振り仰がれ、人形が動揺したのが見て取れた。恐怖以上に色濃いのは困惑であり、あきらかに理解が追いついていない。激痛に麻痺した思考では状況を把握することすら難しいようだ。


「逃げますか?」


 人形が視線を迷わす。

 何を問われたのか、解らなかったようだ。


「あなたを縛りつけ、虐げるものから逃げたいですか?」


 幾分かかみ砕いて、質問は再度投げかけられた。

 それでも真意が計れない様子を見かねて、女性が人形の髪に指を絡めた。ぐっと引き寄せて、耳に触れるかどうかという位置でささやく。


「貴方の主から逃げるのでしたら、手を貸しましょう」


 ごくりと、人形の細すぎる喉が跳ねた。

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