第55譚 人形師はそれを救済とは言わない

「お前は私を傲慢な暴君だと言うけれど、お前だって充分に傲慢だわ。人形の嘆きを終わらせた、と言ったわね? 人形を救済した気にでもなっているのかしら。人形は道具なのよ、遣い潰されるのが至高の幸福に決まっているじゃない」

「ああ、そうだよ」


 キョウは、反論しない。


「人形が道具というのには賛同しないが」


 唇の端をぎゅっと引き結んで、彼は言葉を繋ぐ。


「それ以外は全部、貴方が言う通りだ」


 ウィタは毒気を抜かれて、あ然と見返す。傲慢だと言われて、相手が肯定するとは考えてもみなかったようだ。弁解すればそれを論破してやろうと息を巻いていたに違いない。領主が我に返り、乾いた嘲笑を放つより早くキョウは言葉を連ねた。


「僕は傲慢だ。けれど傲慢じゃない正義なんて、独善性をはらまない救済なんて、世界にはきっとないよ。そんなものがあれば、彼女らはもうちょっと、幸福になれたはずだ。だから僕は、これを救いだとは言わない。それだけが僕の、人形師の矜持だ」


「……何よ……何よ、それ」


 動揺を隠しきれず、ウィタが髪を振り乱す。


「……もう、いいわ!」


 キッとこちらを睨んで、彼女は口角を引き裂く。

 派手な衣装から取り出されたのは小型拳銃だ。模造銃と見紛うくらいに緻密な装飾が、銃身には刻まれていた。浮き彫りになっているのは銀の薔薇か。


 群青の双眸がそれを睨んでいたが、はっと鼻で笑い飛ばす。これ以上にないほどの嘲りが込められていた。


「もうお前に用はないのよ!」


 怒りに任せて、ウィタは拳銃の撃鉄を起こす。


「何故、銀の人形が貴方をかばったのか、何も考えなかったのか?」

「考えたわぁ。考えたけれど、解らないのよぉ」


 拳銃の照準がさだまり、細い指が引鉄に掛かる。後は指に僅かな力がこめられるだけで、銃弾がキョウの胸を撃ち抜くだろう。レムノリアが間に踏みこもうとするが、キョウはそれを制止。視線が絡んだ一瞬にキョウが首を振るった。

 彼女と対峙するべきなのは人形ではない。

 悪意を持つものには悪意を伴った言葉しか通じないこともあるのだ。


「私は、あの人形を棄てたのに……ッ」


 引き鉄に掛けられた指が、震えている。


「棄てたという自覚はあったのか」

「使い物にならない駒は棄てて、代替を用意するというのは当然のことだわ」

「当然のことだと言いながら、どうして貴方は、そんな表情をするんだ」


 彼女は、化粧が塗りたくられた頬をこわばらせていた。数々のものを斬り棄ててきたウィタは、これまで経験したことがない感情のやり場に戸惑っているようだ。視線を迷わせて、派手な装飾で膨れた肩を震わす。

 途方に暮れた子供のように。


「なんなのよ、これ……なんなのよ!」


 銃を握りながらも、彼女は、恐れていた。

 銃に添えていた左腕を動かして胸のあたりに指を這わせた。痛みを押さえつけるように握り締めれば、衣装に施された薔薇の装飾が皺になっていく。かきむしるように伸びた爪を動かす。彼女からすれば、未知の痛覚を埋めこまれたような恐怖だけがあるはず。明らかに錯乱しているのが見て取れた。


「貴方がずっと、目を逸らし続けてきた罪の痛みだ」


 銀の人形は誰にも知られず、さいなまれていたのだ。

 何が辛いのか、何が悪いのかは知らなかったけれど、痛むという感覚だけは知っていた。十字架の傷は深くに刻まれ、じくじくと膿むのだ。罪がもたらす激痛は誰にも押しつけられない。


「物の痛みを思い知ればいい」


 銃のかわりに言葉で撃ち抜く。


「何よ、そんなものは知らないわッ! だって私は」

「当然のことをしただけ、だからか」


「ええ、そうよ! 私は罪なんて――ッ」


 見えない銃弾は胸に突き刺さり、魂を焦げつかす。弾頭は腫瘍を的確に食いちぎり、膿んだ傷跡に深く牙を埋めていった。痛みに喘ぐような語調でわめき散らして、ウィタが髪を振り乱す。

 醜態に醜態を重ねて。罪に罪を塗って。


 群青の眸が凄まじい敵意を放った。

 常に過ぎらせていた憎悪や軽蔑など及びもつかない。


「罪から目を逸らすなッ」


 断罪より激しく、彼は宣す。


「ッ――お前に何が解るって言うのよ」


 指が激しく跳ねて、引き鉄が押し込められた。

 銀の拳銃が啼く。激情に任せて放たれた一発の銃弾は鎧を纏った獰猛な狼を連想させる。鉛を鎧った狼の四肢が、風を踏み鳴らす。血潮を欲す牙は獲物を射抜かんと速度を増す。牙を剥く餓狼は唸りを巻き込んで、標的に飛び掛かり。


「貴方のことなんて解るわけがない」


 狼は黒髪だけを斬り裂いて、脇をすり抜けた。


 訓練も積まず、的確に相手を撃ち抜けるはずがない。ましてや、感情に任せて放たれた銃弾が標的に当たるなど有り得なかった。


「貴方はどこまでも浅はかだ」


 地に落ちた銃弾を蹴って、キョウが馬車を振り仰ぐ。


「言ったはずだ。僕は貴方を憐れまない。貴方の罪は貴方だけのものだ。他の誰にも理解できず、他の誰にも押しつけられない。僕が憐れむに値するのは人形を置いて他にはいない。貴方の人形は、貴方だけに忠誠を誓っていたんだ。代替は利かなかった。他の領主ではかえられず、人形師でも代替は務まらなかったんだよ……ッ」


 言の葉の一枚一枚には、言い知れない嘆きが根を張っていた。


 ウィタが蒼ざめていく。ゆるゆると投げ掛けられた言葉を理解して、子供のような仕草で首を真横に振るった。彼女の精神は瓦解する寸前に違いない。壊れるならば壊れてしまえばいいと、キョウは拳を握りしめる。ほんとうは牙を剥くようにして、わめきたかった。


 お前が壊したんじゃないか。お前が棄てたんだろうが。

 棄てられるより使い潰されることが人形の幸福だと知っていたくせに。


 しかしながら、遂にそれらは喉を震わさなかった。


「なんで棄てたんだ……ッ」


 他責に自責が織り込まれた糾弾だけが、空気を引き裂く。

 果たして誰に放たれた糾弾だったのか。

 様々なものを斬り棄てた領主か、人形を売り棄てた自身か、緩やかに自害を成し遂げた人形師か、居場所も知れぬ両親か。

 当人でさえ、解らなかった。


 激情をいなしきれず、キョウが立ち眩む。包帯が巻きつけられた脆弱な両脚では、立ち続けることは難しかった。けれどよろめきながら、崩れ落ちる瀬戸際で体勢を持ち直す。


「私の罪は私だけの……あ、」


 ウィタが喉を仰け反らす。酸素を求めるように舌が覗く。

 罪の味を受け留めた味蕾が痙攣。喉が焼きつきそうだ。

 それでもなお、繰り返さずにはいられなかった。


「私だけの、罪……私だけの人形……」

 幼子が言葉を確かめながら、復唱するかのようだ。


「私、だけ……かわりはない、私だけが」


 指から滑り落ちた銀製の銃が繁みに転がっていく。


「かわり……がない、かわりは」


 例えば、かわりが存在したら、どれほど良かっただろうか。

 所有権を移せたならば、銀の人形はロサに成れたはずだ。幌馬車に揺られ、数々の地域を巡って都市毎に異なる名物料理を味わい、嫌な記憶もいつかは塗り替えられただろうか。


 けれど、そうはならなかった。そうはならなかったのだ。


 主の許で幸福にはなれず。

 主を離れても幸福にはなれず。


 ようやっと、理解したのか。

 破裂したように慟哭が上がった。

 わめいても嘆いても、壊れたものは二度と動かない。なのに、愚かしくも縋らずにいられないのは人の性なのか。逝ってしまった後にしか解らないものは数知れず。


「あ、いやぁ……あた、しは、なんてことを……ッ」


 罪の後に遺されるものはいつだって。

 どうしようもない痛みと、傷みと、いたみだけなのだ。

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