第54譚 使い棄ての領主
街道を遡り、馬車がある場所に帰りつく。
馬車は未だに横転していた。取り外された左側の扉から、ウィタ=ラティウムが頭を覗かす。
無数の硝子が突き刺さった両脚には、丁寧に包帯が巻きつけられていた。御者が意識を取り戻したのか、あるいは騎士が追いついたのだろうか。遠くから眺めたかぎりでは、彼女の他には動く人影はなかった。誰もいないということは、救援を要請しにいったのだろうか。
「人形を捕獲してきたのね、褒めて遣わすわ」
ウィタ=ラティウムは、嫣然と含み笑いを浮かべた。両脚が痛むだろうに、余裕に満ちた態度を崩さない。領主の誇りがそうさせるのだろうか。あるいは絶対に弱みを握られたくない、という予防線なのか。動揺をすっかりと飲み込んで、いまは落ち着いているようだ。
「いいえ、人形は僕が破壊しました」
耳を疑ったようにウィタが眉根を寄せた。人形が眠っているのか、停まっているのか、遠くからでは判らなかったようだ。額を貫かれた痕を見とめて、彼女は怒りを表す。
「どういうことかしら? 詳しく報告して頂戴」
「人形の嘆きを終わらせるには他に術はありませんでした」
「そんなことはどうだっていいわぁ。ラティウムが次なる戦争で勝利を収めるには人形という兵器が必需なのよ。人形を破壊したことがどれほどの損失になるか、お前は分かっていないわ。ラティウムは二度と負けてはならないのよ」
言葉の端々から、歯軋りをする音が漏れてきた。
屈辱に憎悪、憤怒に――隠しきれないあせりが織り込まれていた。
あせりとは潜在的な恐怖から這い寄る影のようなものだ。彼女が抱える影の重量は知り得ない。けれどキョウからすれば、何があろうと人形を兵器扱いする言動は許しがたかった。
「先に契約を破ったのは貴方でしょう?」
懐から羊皮紙を取りだす。
箇条を確認させる為に渡した白紙とは異なり、正真正銘の契約書だ。
書かせた当時はただの言い訳だったが、機を見計らえば、一枚の紙が絶大な効果を持つ証書になる。ウィタ=ラティウムと書かれた調印を掲げて、キョウは相手に突きつけた。
「第二条 人形には他者に危害を及ぼす命令を下すべからず。殺害及び傷害に繋がる指示を発令することを禁じ、戦争を始めとしていかなる争いにも利用するべからず――契約書にはその旨が明記してありますが、確認していないのでしょうか? もっとも講和条約さえ反故しようとしている貴方には、何を言っても無駄でしょうが」
憎々しげに睨みつければ、領主が赤い
羊皮紙、壊れた人形、人形師と視線を動かして、彼女は首を真横に振るった。
「――駄目なのよぉ」
子供が駄々をこねるようにため息を吐く。
「私は、ラティウムの栄誉を護り通す為に産まれてきたのよ。それなのに、敗戦同然の講和条約なんて結ばされて。屈辱だわ、でもこれは私自身の恥ではないのよ、ラティウムに対する侮辱なのよ。汚辱は取り除かなければならないわ。一刻も早く」
何を言い出すのかと思ったら、そんなことか。
「いま、貴方がするべきことは再戦などではなく、都市の経済回復ではありませんか? 市民に豊かさをもたらせずに勝利は導けないか、と」
「市民ですって? 民にはいくらでもかわりがいるじゃない。豊かさが欲しいのならば、もっともっともっと、働けばいいわぁ。ラティウムの栄誉だけは何を犠牲にしても取り返さなければならないのよ。代替が利く民なんて、いくらでも切り捨てればいいじゃないの」
領主が掲げる価値観は歪み過ぎていた。
「ラティウムの栄誉は何にも代え難いのよ」
掲げるだけならばいい。
けれどそれを押しつけられて、幾人の民が斬り捨てられたのか。銀の人形が血潮に犯されたのか。薔薇の人形が傷ついたのか。彼女の矜持や身勝手に振りまわされて、穏やかに暮らしていた人形の幸福すら奪い取られたのだ。
拳銃を抜き放ちそうになった彼を差し留めたのは他でもない。
豊満な胸を張って語られた、一言であった。
彼女は語る。
悠然と。凛然と。
当然と。
「ラティウムを護る為ならば、私は私すらなげうちましょう」
なにひとつの疑いもためらいも持たず。
彼女はそう、言い放った。
「当然のことよ、代替が利くのは私もまた同様なのだから」
赤い
以前から疑問だったのだ。
彼女は領主という地位にありながら、身の安全を軽視していた。軽率とも言えるが、より正確にいうならば、目的を達成する為には形振りを構っていないのだ。不審な旅人を謁見の間に通して交渉する。馬車に同乗するのに拳銃の所持を許可する。極めつけては御者にこの場を離れさせ、キョウ一行の帰還を待つという行動――どう考えても危険だ。危機管理能力が乏しいというよりは、撃たれたら撃たれたで構わないという自棄が滲んでいた。
民に尽くさないというのもある意味ではそうだ。
民衆の不満を集めるというのは賢い政治のやりかたではない。目的があるとは言えども、彼女は危険な状況に身を置きすぎていた。
「言ったじゃない。代替がないものなんてないのよ」
違和感だけは常につきまとっていた。
深くは探らずにいたが。
「そうか、貴方は――」
操り人形なのか。
言い掛けて、言葉を飲み込んだ。
ウィタ=ラティウムは領主の血脈に縛られ、細糸のかわりに赤い血管で操られている人形にすぎないのだ。献身ではなく、妄執に近かった。創作物でありながら者であった人形とは異なり、者でありながら物と等価に身をやつしてきたのだ。
「私にはね、十五人の姉妹がいるのよ。男児が産まれなかったから、誰より優秀だった私が領主の座に就いたけれど。私が命を落とすことがあっても、次に優秀な妹が待っているわ。彼女が殺されても、まだ次が。領主は、いくらでも代替が利くのよ」
彼女は、嘆きを込めずに述べた。
幼い頃から繰り返して覚えた詩句を暗唱しているかのようだ。
「誰も彼もが、遣い棄ての駒にすぎないのよ」
領主にさえ代替が利くのだと考えているが故に。
ウィタ=ラティウムは決して、棄てられたくないのだ。
棄てられるくらいならば、使い潰されたい。必要とあれば、殺されても構わない。決して棄てられたくはないと願いながら、棄てられることは当然だと言い聞かせて誤魔化す。自身が無能だから棄てられたのではないのだ、と。
価値観そのものは紛れもなく、人形の思考だったが、彼女は歪み過ぎていた。
人間であるが故に、歪んだ価値観には悪意が蔓を伸ばす。
絡み取られてしまった結果が、この操り人形の醜態だ。
盲目の騎士は憐れんだのだろうか。代替を用意されて、なげうたれた駒を慈しんで、誠心誠意尽くそうと誓ったに違いない。彼は優しかったのだ。遂に裏切られても、憎まないほどには。
キョウには真似できそうにもなかった。
「僕は、貴方を憐れまないよ」
衝きつけるように言い放てば、彼女は頬を赤く燃やす。
「憐れませてなるものですか……ッ」
「ああ、憐れまない。代替が利くと自嘲するくらいならば、代替など用意できないほどに愛されるべきだ。傲慢な暴君として君臨するのではなく、誰からも愛される領主になるべきなんだよ。それをせずに自暴自棄になっている貴方は、
「不愉快だわぁ、とっても」
ウィタが
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