第53譚 それは悲しくも美しい《最期》
「ご主人さま」
彼の涙がとまってから、レムノリアが声を掛けた。
「さきほどは御命令に逆らい、申し訳ございませんでした」
「怒ってはいない。逆に嬉しかったよ」
人形は物ではない。者だ。
意志的に行動して当然だ、とキョウは思っていた。
「僕が求めているのは忠実な道具じゃない。側に寄り添ってくれる存在だ。僕を護ろうとしてくれた、お前の意志を尊重したい。もっとも僕の指示を信頼して、従ってくれるに越したことはないがな。けれど僕は言葉が足らなかった。心配させてすまなかったと反省しているよ」
「ご厚情に痛み入ります」
最後に創られ、最期を与えるその眼差しは、常に静かだ。
虹の宝珠を埋め込んだかのような双眸が群青を映す度、その彼方に銀河を見晴らす。その眸は惑星より遠く、未知的な美しさを併せ持っている。美しさとは裏返せば残酷さになり、また悲しさにもなりかねた。
故に彼女は、冷酷なほどに美しい。
「僕が死んだら、お前は壊れるのか?」
薄い体温をまとった頬に手を当てて、問いかけた。
これほど美しくて高潔なものが、自身の生死如きで揺らぐとは考えがたい。彼女が壊れる未来など考えたくはなかった。彼女は終わりを与えるものであり、潰えるべき存在ではない。
そう信じていたかったが、彼の人形は緩やかに頷く。
「貴方さまがおられない私自身には意義などございません」
「お前が壊れても僕は」
「私はそれを望みませんわ」
「解っているよ」
けれど、と彼はわずかに目許を緩めた。
「お前が壊れても僕は壊れない。壊れることはできないけれど。だからと言って、お前が壊れても構わないわけじゃない。僕を遺して逝くなよ」
しなやかな指が、頬から滑り落ちた包帯の指を繋ぎとめた。小指を絡めれば、子供の遊びにすぎないが、誓いがかたちになるような錯覚を起こす。
命令ではなかった。契約でもなければ誓約でさえない。
ただの約束だけれど。
「厳守致しますわ、キョウさま」
小夜啼鳥が時刻を忘れて、
燦々と降りそそぐ光の五線譜に乗せられた旋律が、しめやかに森の枝葉を震わす。悼むように茨を包み込む囀りは、薔薇の人形が奏でてくれた鎮魂歌と重なった。遂に最愛の人の代替を得られなかった作曲家が紡ぎあげた葬送の三拍子。決して暗い曲想ではないが、音譜の端々からは悼みを感じさせてやまない。
「……ave atque vale.」
茨を跨いで、キョウが踵を返す。
一陣の風が吹き抜けた。
外套が揺れて、包帯に包まれた脆弱な両脚が露わになった。白い布で隠された罪は
――――こんにちは、そうしてさようなら。
それは吟遊詩人の訳で、この言葉のもうひとつの意味は。
さようなら、幸せでいて。
あるいは、さようなら、安らかに――――。
小夜啼鳥は啼きやまない。
いつまでも森に清らかな鎮魂の歌を響かせ続けた。
森を抜けたキョウ一行は砂利が敷かれた街道に靴底を落とす。
レムノリアは壊れた薔薇の人形を抱えていた。互いの幸福を願うならば、ユリウス=ホローポの隣に埋葬するべきだ。天界や霊魂が実際にあるかどうかは解らない。実在したとしても霊魂を持たない人形は、天界にはいけない。けれど弔意が無意味なものだとは思えなかった。
薔薇で飾りつけて、永遠に安らかな眠りを与えてやりたかった。
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