第28譚 嘆けど 薔薇は咲きもどらず

 墓前から離れ、屋敷を後にしようと薔薇の庭を進んでいく。

 石畳の端でぴたりと、革靴が立ち止まった。

 声が聴こえたのだ。動物かと思いかけたが、再度聴こえてきた声は間違いなく、言語を象っていた。薔薇が絡むしげみに視線を落とせば、髪の房が石畳に伸びていた。


「あるじ。あぁ、あるじ」


 つやめく銀髪には見覚えがあった。


「どうせ壊れるならば、あなたの側で……壊れたかった」


 蔓の向こう側には、人形の首が転がっていた。

 透き通った肌には血糊が張りつき、硬く絞られた瞼の縁からは涙が滲んでいた。結い込まれていた髪はほどけて泥に浸り、昨晩の高潔さは見る影もない。

 斬り落とされた頭部だけで生き長らえていたのか。


 キョウもこの事態には驚愕を禁じ得ない。この状態で自己修復は不可能だ。身体が回収できても修理する腕が動かない。あるいはレムノリアならば、修復可能だろうか。

 いや彼女は、以前完膚無かんぷなきほどに壊された人形を見た際に修復不可能だと述べた。その人形は四肢を斬り落とされていた。頭部だけの人形はそれより修復できる可能性が低い。

 五感が正常に機能しているかも解らない。けれど声をかけた。


「聞こえているか?」

「……っ……あなたは、昨晩の」


 目を見開いて、銀の人形がこちらを振り仰ぐ。

 声は酷くかすれていた。雨ざらしにされたせいか、あるいは彼女特有の声質なのか。


「ああ、旅の人形師だよ」

「部外者、か?」

「完全なる部外者というわけじゃない」


 キョウがその場に膝をつく。石畳は濡れていたが、汚れなどいとわなかった。

 戦闘に秀でた人形とは言えど、頭部だけになれば攻撃する手段を持たない。けれど一度外套に隠された拳銃を確認してから、彼は努めて穏やかに語りかけた。


「痛みはあるか?」

「ない。痛覚が、壊れたみたい」


 人形は心臓部が破壊されないかぎりは、停止しない。

 理論上ではそうだったが、実際に目撃すると信じ難い光景に眩暈めまいを起こしそうだ。無残だが、醜悪だとは感じさせない。整った容貌が凄惨せいさんさを遠ざけて、神秘性すら漂わせていた。いや美貌のみが、そうさせているのではない。銀の人形は惨たらしく破壊されてなお、わずかたりとも悪意を持たなかった。


「わたしを破壊する?」

「痛みを感じていないのならば、壊す必要がない」


 彼女は悪意を持って、ユリウスを殺害したわけではない。

 人形に罪などあろうはずもなかった。いつだって悪意とは常に人形を持つ側にあるのだ。

 剣が人を殺めるのではない。剣を振るうものが、人を殺めるのだ。


 キョウがレムノリアに視線を投げてから、銀の人形を見つめた。


「御意にございます」


 無言の指示を受け取り、レムノリアが薔薇の繁みに腕を伸ばす。

 慎重に人形の頭部を持ち上げた。ぼたぼたと鉄の華がこぼれ落ちて、仕着せに染みを残す。衣装だけならばいいが、馬車の清掃は時間と手間がかかる。人形の首を前掛けで包んで、その場から運んだ。銀の人形は戸惑っていたが、抵抗する腕は持たない。


 幌馬車に乗り込んで、薔薇にとざされた屋敷から離れていく。

 群青の双眸ひとみは、二度と振り返らなかった。前だけを睨んで橋を渡れば、甘い香りの余韻が後ろ髪を引き寄せた。けれど余韻は、余韻にすぎない。



 悲しくても。悲しくなくとも。

 散ってしまった花びらは、決して咲き返らないのだ。

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