第26譚 薔薇の死に祈れることなどない

 土塊を積み上げただけの墓を最後に薔薇で飾る。

 薄紅の綺麗な薔薇を乗せてから、キョウは墓標にむかって頭をさげた。だが祈りは捧げなかった。彼に祈れることなど、なにひとつなかった。

 一夜明けて、雷雲はすでに去っていた。暴風雨など嘘だったように晴れ渡っている。けれど薔薇には未だ血痕が残って、ところどころが赤黒く染まっていた。無残に荒らされた薔薇園の片隅に騎士の亡骸を埋めて、簡素ではあるが追悼の意を表す。

 棺には小型の人形を収めた。

 呼吸すらしない人形だが、故人が寄り添って欲しいと願ってやまなかった娘の面影くらいは、そこに宿っているはずだと信じたい。


「彼は、兄さんに似ていた」


 墓を見つめながら、キョウがぽつりぽつりと語った。


「兄さんは他者の善意を信じていた。いや、善意だけを信じていたんだ。所有者からの命令に従い、人形が誰かを傷つけるなんて考えず、ましてや人形自身が不幸になるだなんて想像すらしなかった。人間が悪意を持つということすら、知らなかったんだ」


 似ていたのは紺碧こんぺきの眸だけではない。慰めなどいらなかったけれど、ユリウスが抱き寄せてくれた際に拒絶できなかったのは、面影が重なったからだ。

 有無を言わせない善意と優しさが、似ていた。


「故に人形もまた、暴走しないかぎりは悪意を理解できない」


 あるいは悪意を知ってしまったせいで暴走するのか。正確には解らないが、どちらも根本的には変わりがない。人形は悪意を持たない。それが、すべてだ。

 悪意を理解できない人形師が創作したのだ。

 よく考えれば、道理とも言えなくもない。


「愚かだと御思いですか?」

「人形が? それとも兄さんが? あるいはユリウスが?」

「ひとつは愚かでなくて、それ以外は愚かだと申されるおつもりですか?」


「そうだな、全員が、愚かだ。けれど僕は、彼らがうらやましいよ。僕はもう善意を信じられない。まずは悪意を疑わなければ、誰とも接することができなくなってしまった。臆病さは決して愚かしくはないが、さとくもない。ひたすらに惨めなだけだ、と理解しているつもりだ」


「左様でございますか」


 虹がちりばめられた双眸ひとみは相変わらず、静かだ。

 けれど研ぎ澄まされていた。


「お前は、僕の側だ」


 腕を伸ばす。

 真珠よりつややかな肌に触れてから、キョウが微笑む。


「お前は悪意を持たないが、悪意を理解している希有な存在だ」


 稀代きたいの人形師が最期に手がけた人形は、誰の依頼でもなく、人形師の理想にのみ基づいて創作されていた。所有権はキョウと記されており、その刻印を刻み終わると人形師は息を引き取ったのだ。刻印はすでに消えているが、額に触れる度に様々な思いが交錯していく。


 それから彼女は、一度たりともキョウの側から離れなかった。

 何があろうと、寄り添ってくれた。


「お前は僕の、僕だけの【者】だ」


 額を探る指に手を添えて、レムノリアが睫毛を震わす。


 風が通り過ぎて、薔薇の花びらが巻き上げられた。

 赤黒く染め抜かれた薔薇はすでに甘やかな香りを損ない、さびの臭いすら漂ってきそうだ。盲目の騎士が赤い薔薇を好まなかったのは、戦場を思い起こさせるからだったのだろうか。そう思わずにいられないほど、薔薇ははげしい色彩から痛みの香りを振りまいていた。

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