第41譚 故に人形

 領主が手許てもとのベルを鳴らす。呼びだされた従者が、ふたりの縄を解いてくれた。続けて客室に御案内しますと言われ、キョウ一行は謁見の間から廊下に連れだされる。騎士とすれ違い、憎しみの視線で睨まれたが、無視して通り過ぎた。真実を知らない騎士は憐れだ。けれど、キョウにはいま、それに同情する余裕はない。


 客室は領主邸の一室というだけあり、実に豪奢ごうしゃな内装だった。あちらこちらに金細工や調度品が置かれ、落ち着く雰囲気ではない。窓からは街が一望できたが、貴族や騎士が暮らす立派な邸の屋根ばかりが連なっていた。風景を眺めて安らぐことはできそうにもない。「陛下から指示があれば、お伝えします」と残して、従者が立ち去った。


 考えるべきことは山積みだ。


 けれどキョウはまず旅行鞄から、人形の首を取り出す。銀の人形――いや、ロサが落ち込んでいれば、どうなぐさめようか。どう励まそうか。そう考えながら、人形の顔を覗き込んだキョウが全身をこわばらす。


「な、んで」


 人形が嘆いていたからではない。

 人形が怨んでいたからではない。

 人形が絶望していたからではない。


 美しく整った様相からは、あらゆる感情が抜け落ちていた。


 無だけが、綺麗な容貌を覆い尽くしている。感情が、魂が、乖離かいりしてしまったかのようだ。


 抱きかかえて幾度も揺らすが、緑眼りょくがんは宙を見つめて動かない。瞳の焦点はどこにも合っていなかった。現実ではない場所に捕らわれて、瞬きひとつもしない。亡骸を抱えているような、異質な重さだけが、腕にずしんと。


「ロサ……ロ、サ……返事をしてくれッ……ロ、」

「キョウさま」


 静かな呼びかけに視線を持ち上げた。


「もう、壊れております」


 信じたくないと首を真横に振るったが、虚ろな重量からは逃れられない。

 解っているのだ。解らないはずがない。くしゃりと相好を歪めてから、キョウが二度と動かない人形を抱き締めた。規則的な呼吸は続いていたが、そこにはもはや意志もなければ、意識の残骸すら見いだせない。

 棄てられた人形は壊れる。それが、人形の。


「なん、で壊れるんだよ……ッ」


 キョウが呻く。

 幾筋もの悲しみが右側の頬を濡らす。


 存在意義を失う絶望とは半身をもがれるような悲痛だ。

 けれどそれでも生きていけるのが人間という生物であった。浅ましくもみじめに。精悍にも強靱きょうじんに。人間は存在意義などなくとも、生を繋げるのだ。それが良いことか、悪いことかは解らないけれど。

 両親に棄てられた兄弟が生き延びたように。

 人間とはそういう生きものだと彼は常々考えていた。

 しかしながら、人形は存在意義無しには生きていけない。人形に意義を与えられるのは主を置いて他にはいなかった。どれほど人形を慈しんでいても、他の者では意味がない。故に遺された人形は停まり、引き離された人形は狂い、棄てられた人形は壊れるのだ。


「兄さんはどうして、人形にこんな宿命を与えたんだ」


 悪意を持たなかった人形師の、たったひとつの復讐なのか。

 銀の人形は身動ぎひとつせず、漠然ばくぜんと呼吸だけを繰り返していた。見兼ねたレムノリアが銀の睫毛に縁取られた瞼を降ろす。続けて真珠の耳飾りに触れて、彼女はため息をついた。


「キョウさまは、ご存じなのではございませんか?」


 白ばかりに覆われた、純真なる人形師の、その裏側を。

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