第14譚 穏やかな食卓に幸福は満ちて
並べられた料理の数々は、どれも美味しそうなものばかりだ。
片時も会話が途絶えることなく、食卓は暖かな雰囲気に包まれていた。食事を取りながら、キョウは旅の途上での出来事を話す。以前、立ち寄った都市の美しい風景や変わった特産物など。旅人しか知り得ない話題ばかりで場を盛り上げた。彼が料理に没頭すると、今度はユリウスが薔薇の知識やプエッラがいかに気立てのよい娘かを語ってくれた。
「ということは、こちらの料理はプエッラさんがご用意されたんですか。どの料理も美味しくて、ああ、特にこちらのパイは絶品でした。もう一個頂いても構いませんか?」
「もちろんだよ。どんどん食べてくれたまえ」
紙ナフキンが敷かれた取り皿を差し出すと、長方形のポテトパイが乗せられた。
網目状に織り込まれたパイ生地は、綺麗な黄金色に焼き上がっており、美味しそうな光沢を放っている。ナイフを差し込んで、真ん中からきりわけると湯気が立ち昇った。ベーコン特有の食欲をそそる香りが、ぽわりと広がっていく。もっともそれだけならば、これほど爆発的な匂いにはならない。刺激的な
都市の繁華街で煙突からこの香りが漂ってきたら、誰もが立ち寄るに違いなかった。
熱々のうちに頬張れば、素朴な味わいが全身を満たす。
歯が食い込んだ瞬間はさくっと。
隙間から溢れてきた中身はほくほくとしていて、舌で転がすだけでとろけてしまった。じゃがいもは丁寧に潰されており、ベーコンも柔らかくなるまで煮込まれている。どの具材もなめらかな舌触りを邪魔しない。素朴だが、繊細な心遣いが込められていた。
母なる大地に包まれているかのような優しい風味だ。
ぴりりとした胡椒の香りは、厳しい冬の寒さか、照りつける夏の太陽か。そうした時期を乗り越えて、樹木は根を肥やして麗しい華をつけるのだ。
「これほど美味しい料理は食べたことがありませんよ」
キョウが心からの称賛を述べた。
薔薇のタルトを運んできたプエッラが、ぺこりとお辞儀をする。
「ありがとうございます。喜んでもらえて、嬉しいのです」
大輪の薔薇が、タルト生地の真中に咲き誇っていた。
当然ながら本物の薔薇ではない。黄を
ふわりと、薔薇の香りすら漂ってくるようだ。
「いや、ちゃんと薔薇の香りがしてる……?」
「はいなのですよ。底に薔薇のジャムが塗ってあるのです」
どうぞと差し出されたが、しばらくは香りを楽しんでいたかった。
視覚では食事を楽しめないユリウスは、香りから料理の風味や芸術性を探っているようだ。プエッラが創作した料理はどうしてこれほど魅惑的な香りを放っているのか。いまやっと、その理由が明らかになったような気がした。
なるほど。全ては盲目の騎士の為なのか。
細やかな配慮は、彼女の献身と忠誠の証であるのだ。
「薔薇園を眺めていた際も思ったのだが、君は物と物を寄り添わすのが得意なんだね。素材同士を寄り添わせたり多種の薔薇を調和させたり、素晴らしい技術だ」
「そんなに大したことはしていませんのです?」
照れくさそうに頬を染めて、彼女は小首を傾げた。
その仕草は、スプリング・エフェメラル――通称春の妖精とも言われるカタクリの華を思い起こさせた。薄紅に艶めく髪といい、彼女は薔薇園に舞い降りた花の精のようだ。こうして眺めると、キョウが販売した人形と非常に似ていた。
「だんなさまの為に何かできれば、と」
薔薇色の髪に相応しい、夕陽に似た瞳を輝かせて。
彼女は、純真無垢な微笑みを咲かす。
「美味しい料理を用意したり、屋敷を綺麗に掃除したり、薔薇が長く咲き誇れるように庭を整えたり、それくらいしかプエッラにはできないのですよ。だから精一杯やるのです」
人形の存在価値か。プエッラの存在意義か。
献身に含まれている比重はどちらが重いのか。
純粋な眼差しからは、判断がつかない。
「幸せなのか」と問いかけたかったが、キョウはぐっと、それを飲み干す。
言葉にさせては、あらゆることが曖昧になってしまいそうだ。人形の微笑みには、ほんのわずかたりとも影はなかった。微笑みの色彩、声の音程、そうしたものほど確かなものはない。持ち上げられた頬や緩んだ目許に至るまでが、「幸福だ」とそう告げていた。
「そう、か」
それならばいい、とキョウが安堵したように頷く。
どう受け取ったのか、プエッラはわたわたと両腕を振った。
「あ、でもでも、今晩の御夕食はおきゃくさまに喜んでもらいたくて張りきったのですよ?」
「嬉しいよ。旅をしていると、暖かな食事を取れる機会はないんだ。
包帯と手袋に覆われた指が優しく、薔薇色に染まった髪を
慈しむような仕草は、張り詰めた表情ばかりをしているキョウの印象からは程遠かった。
決して壊さないように、傷つけないように。
そんな心遣いが
「ふふっ、キョウさんはなんだかお兄さまみたいなのですよ」
くすぐったそうにプエッラが笑い声を上げた。
「素敵なお兄さんができてよかったね、プエッラ」
「はい。嬉しいのです」
塞いだ
キョウは久し振りに訪れた穏やかな時をかみ締めながら、薔薇のタルトを食べ進めた。甘くて香り高い薔薇の菓子は、身体の内側からも香りを立ち昇らせそうだ。レムノリアはというと、静かな微笑を浮かべてその場には馴染んでいるが、会話には加わらない。
食事を終えて、プエッラが食卓の片付けに掛かった。
「手伝っても構いませんか?」
レムノリアが席から立ちあがって、食器を食卓の端に寄せていく。
プエッラは「お客さまにそんなことをさせちゃだめなのですよ」と言っていたが、レムノリアは手際よく食器を抱えて、台所に踏み込んでいってしまった。慌てたプエッラが小走りで追いかけていくのを見送ってから、キョウはユリウスに向き直す。
彼が何かを話しがっていることは、プエッラやレムノリアを引き留めなかった段階で察していた。
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