第45譚 すべては独善だと人形師は嘆く

「僕には破壊することしかできなかった。はじめからそうしなければならなかったんだ。劇場の人形に殺戮さつりくを起こさせてしまったのは僕の決断が遅すぎたからだ。そう、考えていた。人形の宿命を断ちきるには、そうするのが最善だと」


 うつろに喋っていたが、不意に言葉を詰まらす。


「実際に、人形の所有権を移転できればいいのに」


 昔一度人形創作の依頼をしたきり、依頼主が失踪するという事件があった。

 所有権の刻印はすでに刻まれているのにもかかわらず、主となるべく依頼主が姿を表さない。三週間ほど経過した頃になって、キョウは所有権の刻印を書き換えて別の客に販売したらどうか、と提案したのだ。

 人形が徐々に衰弱してきていたからだ。


 その頃には、人形は誰も迎えにこないと理解し始めていた。

 絶望に暮れる人形の姿は痛ましく、とても見てはいられなかった。棄てられた自身の影を重ねていたからだろうか。視線が絡む度に胸がずきんと痛んだ。けれど実兄は首を真横に振るって、できないんだ、とだけ告げた。

 そうして前触れもなく、人形はいなくなった。

 どうなったのかはけなかったが、ぼんやりとは想像がつく。


「結局は、僕の独善なんだよ」


 物だと嘲謔ちょうぎゃくされる人形が不憫ふびんで仕方がない。

 尊厳を踏みにじられ、傷つけられ、消耗される人形を眺めていると、胸の裏側が焼けるような心持ちになるのだ。助けたい、終わらせてやりたいと言う感傷の根底には、煩悶はんもんする人形を見ていたくない、という恣意しい的な願いがあった。


「人形を愛おしむ気持ちはあるけれど、きっとそれ以上に憐れみが強くて。憐れみより、僕自身の存在意義を求めているんだ。贖罪しょくざいなんて言葉に陶酔しているだけの――解っているんだ、自分自身の愚かさくらいは、けど」


 涙が滲む。額に腕を押しつけて、懺悔にすらならない自嘲じちょうを並べたてた。

 包帯が巻かれていない腕の感触は自分のものとは思えないほど気持ちが悪かった。血潮にまみれ、屍に埋もれたあの惨劇以来、肌の感触を受けつけなくなった。昔からわけもなく他人の体温が嫌いだったが、いまや素肌が接触すると、激しい拒絶反応が表れる。なまぬるい熱が、嫌だ。

 人形が相手ならば問題はない。けれど人間に触れられることは、どうしても我慢ならなかった。他人の肌だけではなく、自分自身の肌にも嫌悪感が湧く。


 包帯を巻きつけているのは主に接触を避ける為であり、次に心情的なものがあった。こうした疾患は精神的な傷に起因しており、時間が経過するにつれて癒えるどころか、傷は無残にみ始めていた。


 その根幹には、人間嫌いというものがあるのだろう。

 人間が持つ悪意というものが、キョウには受け入れられない。自身も含めて、人間という生き物は全部がおぞましかった。けれど人形は、人間に極めて近い容姿を持ちながら、綺麗な存在だ。裏切られないと知れば、無償の愛も注げる。騙されないと分かれば、信頼も置ける。

 そうした行為そのものが、打算的だと知りながら。


 あの惨劇以来変わってしまったのはそれだけではない。

 劇場の人形に殺戮をさせてしまった際、負傷した右側のは、濡れると色彩を移ろわせるようになった。眼球に怪我をすると本来の色彩が損なわれてしまうという事例は実際にあるようだ。怪我をしたのが片側のみだった場合は、当然ながらそちら側だけが変貌する。結果的に双眸そうぼうの色彩がそれぞれ異なるという状態になるそうだ。けれど濡れたときだけ、色彩が変貌するなんて事例はこれまで一度も聞いたことがなかった。まるで罪の烙印らくいんのようだ。

 いまも色彩が変わりつつある眼球を覆い隠して、彼はぐっと歯の根を食いしばった。


「旅が終わったら、僕は立ち続けてはいられない」


 包帯まみれの両脚を進ませているのはあがないだけだ。

 実兄が遺してくれた目標だけが、彼の存在意義を保ってくれていた。弟を育てなくてはならない、という目的で生き抜いてきた実兄のように。


 存在意義など自分自身で創りだせばいい。

 そう正論を述べるのはかんたんだ。

 あるいはそれができれば、どれほどいいだろうか。

 人形であれ、人間であれ、独りで立って歩けるものがどれくらいの割合でいるのか。正論だけでは生きられず、美談のようには救われなかった。


「僕は、何をしているんだろうか」

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