第21譚 斯くして片割と人形だけが残された

 キョウは変わらず黙っていたが、手袋に覆われた指を動かして、右腕を強く握りしめた。腕は微かに震えていた。

 キョウの様子に気づかず、ユリウスが、懐かしげに言葉を連ねた。


「弟さんはまだ子供だったが、稚気を脱していて、非常に丁寧な対応をしてくれた。黒髪に群青の眼差しが映えていて、とても印象的だったよ。お兄さんは工房から姿を現すことは滅多にないらしいが、幸運にもお逢いすることができてね。挨拶程度しかしていないが、穏やかな紺碧こんぺきの瞳をしていた。微笑みかけたら、笑い返してくれたんだ。君の故郷の近くに暮らしていたはずなのだが、逢う機会があれば、是非とも伝えて欲しいことが」

「稀代の人形師は、一年と三ヶ月前に他界しました……ッ」


 堪えきれないとばかりにキョウが遮った。

 半ば無意識に声を荒げてしまっていた。

 肩を震わせて、荒くなる息を押し殺す。怒鳴ってしまったが、怒りを覚えているわけではない。ただやり場のない悲しみが押し寄せて、これ以上黙ってはいられなかったのだ。気持ちが落ち着くのを待ってから、彼は努めて静かな物言いで付け加えた。


「残されたのは、人形師の片割れだけでした」


 ユリウスはキョウの様子に驚いていたが、それを聞いて事情を理解したようだ。いや、納得したというべきだろうか。痛ましそうに節くれだった指を震わせて、首を真横に振るった。


「そうか、君だったのか。君があの、人形師の……」

「……はい。よく覚えておいででしたね」

「いや思い返せば、君の声はあの頃から変わっていない。ああ、何故に思い出せなかったのだろうか。もっと早く気がつけば良かったよ。君はどうして、教えてくれなかったんだい?」


 キョウが言いよどみ、曖昧に微笑む。


「僕は、人形師の遺した人形がどのように暮らしているかを知りたかったんです。なので、身許を明かす必要性はない、と考えていました。逆に何も伝えないほうが、より自然に暮らしている人形の姿を拝見できるかと」


 嘘を吐いたわけではない。必要以上は語らなかっただけだ。ユリウスは追求せず、痩せた手指を伸ばして、キョウの包帯に覆われた腕を握り締めた。腕からたどり、掌に触れて包み込む。一連の仕草は葬列するものを慰めて、見知らぬ棺に哀悼あいとうを捧げるかのようなものだった。


「あの人形師さんはもう、この世にはいないのだね」


 言葉にすれば、重い。

 ずんと、雨垂れの合間に尾を引く。


「彼はまだ若く、才能に溢れていた。これほど技術があれば、将来は希望に満ちていたに違いないというのに。何故に亡くなられてしまったのか。いや話したくないことならば、無理にとは言わないが、私からすれば恩人のような御方だ。恩人が死去された経緯を知りたい」


 キョウは唇の両端をしぼって、数秒黙り込んでいたが、ゆるゆると語り始めた。


「彼の人形は命を宿しています。奇跡の人形、そう呼べば明解ですが、その奇跡がどのような原理で起こっているのか、どこから湧いているものなのか、ご想像はつきますか?」

「いや申し訳ないが、予想もつかない」


 紺碧が隠された瞼と見つめあい、群青の双眸が残酷な真実を告げた。


「奇跡の人形には、人形師自身の生命の欠片が埋め込まれているんですよ」


 奇跡は起こるから奇跡だ、と誰かが言った。

 奇跡は起こらないから奇跡だ、と別の誰かが言った。

 どちらが正解かなんて、分からない。けれど奇跡とは、得てして残酷だ。代償を求めない救いが存在しないように。犠牲を引き換えずに起こる奇跡も存在し得ない。

 人形の呼吸はそのまま、人形師の脈動だった。


「どのようにして、人形に生命を埋め込んだのか。はたしてそれが現実に可能だったのか。人形創作の技術に関しては、僕にすら教授してはくれませんでした。急に工房を訪れることも禁止されていたくらいです。ですが彼は比喩ひゆではなく、実際に自身の命を削り、魂さえも捧げて人形に殉じました」


 そうして彼は、三百二十五体の人形を創り、息を引き取ったのだ。


 唯一の肉親が衰弱していくのを感じ取りながら、キョウには何もできなかった。かわりに人形を創作することはおろか、人形創作に明け暮れる兄弟を止めることもできなかった。


 碧眼にくまを浮かべて、それでも彼は笑っていた。創作した人形が誰かの幸せに繋がるのならば、とただひたすらに人間の善意を信じていたのだ。もうやめろと言いかけたこともあったが、その度に柔らかな微笑みで遮られた。


「僕は、彼の遺した人形が、幸せに暮らすことを願っています」


 疲れ果てたように、人形師の片割れは願いを浮かべた。

 包帯の白に塗れた拳を額に押し当てて、戦慄わななく。


「誰かの幸せを願い、創られた人形が、誰かの純粋な幸福に寄り添っていることを願って。ただそれだけを祈って、僕は旅を続け――」


 言葉は、そこで途切れた。


「ユリウス、殿?」


 痩せた両腕が、キョウを抱き寄せていたのだ。

 かんたんに砕けてしまいそうな薄い身体を慎重に包み、ユリウスが囁きかけた。


「辛かっただろう? 苦しかっただろう? こんな小さな身体でよく堪えてきたね。君は、自分自身を責めているのかもしれないが、その必要はないんだよ。君のお兄さんが他界されたのは君のせいじゃない。これはとても不運なことだったんだ。君は罪悪感など抱かなくてもいい。君には何の責任もないんだ」


 有無を言わせない優しさが、そこには宿っていた。


 二度と開かない瞼の隙間から涙が浮かぶ。

 キョウは醒めたような視線でそれを見つめていたが、諦めたように目を瞑り、それきり動かなかった。相手の慰めに反論はしないが、同意もしない。包帯越しに体温を感じる。薄い身体を包み込む腕は優しかったが、キョウからすれば身の置き場がなかった。だらりと項垂れた肩からは、いたたまれなさがにじんでいる。けれど強引に遠ざけるには、盲目の騎士は善意に満ちすぎていた。


 ユリウスが身体を離してから、キョウはゆっくりと瞼を押し上げた。

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