第40譚 殺意を凍らせて

 言葉を選びながら、キョウが慎重に事の顛末を語っていく。ユリウス=ホローポが殺害された事実は領主が知り及ぶ通りだ。されどユリウス=ホローポが所持していた人形は、主を殺害されたことにより暴走。領主が差し向けた銀の人形を破壊して、消息を絶ってしまった。

 近日以内には領主に襲撃をかけてくるのではないか、と憶測を述べた。


「そう……【あれ】は、壊されたのね」

「はい。ですが銀の人形は、完全には破壊されておりません」


 旅行鞄に視線を落とす。人形が主との再会の感動に打ち震えているのが、感じ取れるようだ。

 人形に存在意義を与えられるものは、主人の他にはいなかった。どれほど不幸に蝕まれていても、どれほど愛情に餓えていても、存在意義を持たないことほど恐ろしいことはない。産まれてすぐに両親から存在を拒絶されたキョウは、その恐怖がどれほどのものかを知っていた。


 壊れるならば主の側で、と願い続けた人形ならば。

 その献身に報いてやりたい。


「生き残った頭部をお返しさせて頂こうと」


 赤いひとみがすっと、細められた。


「敗けた人形なんて、どうでも良いわぁ」


 彼女は、にべもない口調で払い除ける。

 壊れかけた玩具を棄てるように。飽きた書籍を棄てるように。

 人形を投げ棄てるのだ。


「ですがッ、……まだ銀の人形は生きております……!」


 声が一瞬裏返り、キョウは感情を殺しきれなかった。

 大型のかばんを眺めながら、彼女は平然と吐き連ねるのだ。


「頭部だけの人形なんて、もはや役には立たない。棄て置けばいいわ。そんながらくたより、私は【それ】を破壊した人形が欲しいのよ。捕獲して、服従させる術はないのかしら? 所有権を移転すれば、暴走していようと忠実な下僕になるのではないかしら?」


 怒りの限度を越すと、逆に血液が凍結していくようだ。

 雪煙が吹き荒れるように激情が逆巻いたが、殺意や憎悪は内側だけに押し留める。縄がなければいますぐに契約書を叩きつけて、領主の四肢に銃弾を撃ち込みたかった。逆に言えば、両腕が動かないおかげで冷静さを保てているのだ。

 理性を損なっても最悪の結末しか産まない。


 二度と人形に誰かを殺させない為には。プエッラに復讐をさせない為には。


 キョウは黙って、氷塊ひょうかいを腑に落とす。


「人形師ならば、何か良策を示してみせて頂戴」


 懸命に感情を殺して、声を絞りだす。


「良い考えがあります。人形には所有権を示す刻印があります。それを刻み直せば、人形はいともかんたんに領主さまのものになります。人形師である僕にならば、それができるかと。この邸に滞在させて頂ければ、人形の襲撃を待って捕獲してみせましょう」


 虚実を織り混ぜるより、徹頭徹尾てっとうてつび虚構だけを込めれば、どこか悠然ゆうぜんかたれた。


「ずいぶんと自信があるのね。お前は、呼吸をする人形と何か関係があるのかしら?」


 ウィタは片眉を持ち上げた。

 疑いに満ちた視線がキョウを射抜く。


「はい。僕はあの人形を創作した人形師の、実弟ですので」

「実弟――? 謀ったら、承知しないわよ」

「事実です。僕は人形を創作する技術は持ちませんが。疑われるのでしたら工房を訪れた使者に検証して頂いても構いませんよ。接客をさせて頂いたのは僕ですので」


 人形師の片割れという称号は、実際には何の意味も持たない。

 肝心の技術を引き継いでいないのだ。けれど信憑性を増すのには役立ったようだ。真紅の双眸ひとみが細められる。純粋な微笑みではなく、あざけりを滲ませていたが、疑いの念はずいぶんと薄れていた。

 ぱんっと、扇が破裂するような音を立てた。


「いいわ、私に人形を献上しなさい」


 包帯に護られない肌が、赤い色彩にさらされて戦慄わななく。

 恐怖ではなく、嫌悪にてられて。


「それができれば、お前の罪科ざいかは見逃してあげるわぁ」


 ユリウス=ホローポ殺害の嫌疑がかけられているかぎりは都市から逃げられない。そう、暗に告げていたが、キョウは逃げるつもりなどなかった。ここに連れてこられた段階で協力するか、無実の罪科で処刑されるか、という選択肢しかないのだ。あらゆる事柄が領主の計画通りに進行していく――ように見せかけて、最終的にはキョウが操れるような局面に持ち込む。

 もっともこれは、窮余きゅうよの策だ。

 心の激痛を引き換えにして、人形を護り抜く為の。

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