第48譚 薔薇の首と決戦の幕

 外壁を越えると、続けて街道に差しかかった。

 森に挟まれた街道は以前通りがかった時より雑草が増えているようだ。激しい雨を乗り越えて、しっかりと砂利の隙間に根を張ったのだ。白詰草を蹴散らしながら、慎重に車輪を転がす。車輪が激しく跳ねようものならば、御者の首も刎ねられかねない。


 眺めているかぎりは、のどかな風景だ。

 けれど以前通りがかった際とは何かが違っていた。


 森全域が異常に静かなのだ。鳥のさえずりすら途絶えていた。野生動物はみな息を殺して、なにかを警戒しているのが感じ取れた。

 レムノリアがキョウに目配せをする。キョウが拳銃に手を掛けた。

 銃を所持する許可はちゃんと得ていた。もちろん領主にむければ、その場で処刑という条件はついていたが、信頼できない相手にたいして警戒が薄すぎるのではないかとやはり気にかかる。拳銃を所持できるのならばそれに越したことはない。だが違和は拭いきれない。


 異常が視覚で捉えられたのは、それから五分ほど進んでからだ。


「なんだ、これは」


 ぞっとせざるを得なかった。


 両脇に生い繁った雑草の群れから、薔薇が咲いていたのだ。

 桑の繁みに薔薇が咲き誇るはずはない。もがれた薔薇が葉に乗せられ、曝されているのだ。

 赤く塗り潰された薔薇の首。

 塗料をかけられて、無理矢理にその色を変えられた薔薇は、悪寒が走るほどに惨たらしかった。赤く塗られた端からは薔薇本来の色相が覗いている。


 白ではなく、紫でもなく。

 薄紅――と気づいて、キョウは息を詰めた。


 キョウが全員に警戒を呼び掛けるのを待たず、急激に森が騒ぎ始めた。

 大型の野生動物が凄まじい速度で移動しているようだ。枝を踏み砕き、枯葉を蹴散らす乱暴な噪音が押し寄せた。騎士が剣を抜き放って身構えようとしたが、間に合わない。

 街道目掛けて、喧騒の群れは進軍して。

 森から熊の群れが襲いかかってきた。


 右側を進んでいた騎士が馬ごとぎ倒された。続けて二頭の熊が馬車の進路を遮るように飛びだしてきて、馬が急停止。先頭にいた騎士は誰より早く、剣を抜き放った。

 落馬の衝撃で怪我をしたのか、身動きが取れない右側の騎士に熊が差し迫る。

 熊が両顎を広げたのが先か、別の騎士が熊に斬りかかった。数秒遅れていれば、騎士は食い殺されていたに違いない。

 騎士は、すでに動物の群れに翻弄されていた。


 一頭、二頭、三頭――全部で四頭だ。


「何が起こっているのよ!」


 ウィタが御者に呼びかけたが、御者は馬を宥めるので精一杯だ。


「熊が群れで行動するはずがありません。誰かが街道に追い立てたのかと」


 かわりに返事をして、キョウは熊の群れを睨みつける。

 騎士は懸命に応戦していたが、どう見ても押されていた。熊を馬車に近づけないようにするのが限界だ。撃退及び討伐など到底できそうもない。たかだか野生動物程度で、と思いがちだが、一頭の熊に集落が壊滅させられることもあるほどだ。興奮状態にある熊は、小規模な軍隊ほどの戦闘能力を持っていた。


「行けるか、レムノリア」

「当然でございますわ」

「……解っていると思うが」

「はい、御心配には及びません」


 扉を素早く開け放って、レムノリアが馬車から飛び降りた。

 騎馬隊を翻弄する熊の群れに挑んでいく。


 新たな敵の接近に気づいた熊が振り返りざまに両腕を振り下ろす。全体重を乗せて繰りだされた斬撃は大砲ほどの威力を有していた。木製の壁ならばたやすく貫通、あるいは粉砕する。それが生身の人間だったら、上半身が吹き飛びかねない。

 射程距離の瀬戸際を見極めて、レムノリアが急制止。

 熊の腕は見事に空振りして、わずかな隙が生じていた。

 レムノリアが素早く跳躍。けれど飛び掛かるのではなく、後方に飛び退っていた。続けて熊が第二撃に転じるのを予測していた為だ。熊は頑強な身体を前に倒して、相手をかみ殺そうと牙を剥く。レムノリアはすでに後退していた。


 跳躍しながら、小型の短剣を飛ばす。

 熊には避ける暇もなければ、防御する術もない。

 短剣は、見事に熊の眼球に突き刺さった。熊が激しく身悶えて、咆哮を上げた。


 興奮状態にある野生動物は傷ついても怯みはしない。自身より矮小わいしょうな人間が相手ならば、なおのことだ。普通ならばより凶暴になり、反撃に転じるが、熊の行動に異変が起こった。


 相手が人間ではなく、人形だと感じ取ったのか。

 熊は反撃するどころか、森側に逃亡したではないか。


「まずは一頭」


 騎士は未だ、一頭も倒せてはいない。

 レムノリアはすぐさま、他の熊に斬り掛かっていく。


「あの娘は何者なのよ」


 車窓から戦闘を視察していたウィタは、彼女の戦闘技術に驚きを隠せない様子だ。人形の運動能力を隠している状態でもこれなのだ。加減せずに戦えば、ウィタは必ずやレムノリアを欲するに違いない。手段を選ばず、キョウから人形を奪い取るはずだ。


「野生動物との戦闘に慣れているだけですよ」


 そう言って誤魔化す。

 熊はすでに残り二頭になっていた。


「馬車を走らせなさい」


 ウィタが御者に命じて、その場からの離脱を試みた。

 馬はまだ落ち着いていなかったが、御者が手綱たづなをさばくと走り始めた。残された一頭が追跡しようとしたが、騎士はそれを許さない。馬車を追い掛けようとした熊を取り囲んで、騎士が一斉に剣を突き刺す。鍛え抜かれた剣術は熊の厚い毛皮を破り、心臓を貫いたようだ。


 騎士や熊の姿が遠ざかり、完璧に見えなくなった。

 距離はかなり取ったはずだ。


 安全を確認してから、御者ぎょしゃが馬の歩調を緩やかなものに戻す。恐怖に戦いていた馬もやっと、落ち着きを取り戻したようだ。熊の群れから逃れ、ほっと息を吐いたのが早いか。


 がっと。

 何かが車輪に突き刺さり、馬車が激しく跳ねた。

 前触れもなく起こった衝撃に一瞬、何が起こったのか解らない。馬のいななきが鼓膜を揺さぶった。再度恐慌状態に陥った馬が暴れ、車体は完璧に重心を崩す。


 轟音を立てて、馬車が横転する――。

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