アメリア・ダーナ
ベルベットが去った後の学院長室は、なんとも言えない空気に満ちていた。
一言で言うと――重い。
魔術を無断で、それも無抵抗な相手に行使しようとしたシャーロットは、本来であればそれ相応な処罰が下されるべきだ。しかし、それまでの経歴を見れば、非があるのは不用意な発言をしたベルベットにあるとも言えるだろう。
魔術師や騎士にとって、家名や当主を侮辱されることは大罪に等しい。むしろ、侮辱した相手に何もしなかったら、家名を背負う者としてはそれはそれで問題だ。
そして、この場に居る者は全員が魔術師だった。
そういった理由から、この場にいる全員がシャーロットを責めることができないでいる。
結果として、このやたらと重苦しい雰囲気が完成していた。
学院長に挨拶と調査の許可を貰いに来ただけだというのに、いきなり修羅場に遭遇することになるとはついてない、とルアードは独りごちる。
「やれやれ。口より先に手が出るのは相変わらずか」
「わ、悪かったですわよ……」
「そう思うなら、最初からやるなって」
呆れたようにルアードは深いため息をつき、ポカンッとシャーロットの頭を小突く。
色々と言いたいことはあるが、とりあえず今はこれでお咎めとした。
頭を叩かれて涙目で睨むシャーロットを無視して、ルアードは当初の予定を果たすべく、目の前で微笑んでいるアメリアに向かい軽く会釈する。
「つーわけで、ルアード・アルバとその他一名。『剣聖』カインツ・アルマークの命を受け、事件の調査に来ましたよー。無能な連中の尻拭いで来たんだから、衣食住は高待遇でよろしく」
「もう少しマシな挨拶くらいできないですの」
「おまえにだけは言われたくない」
「あだッ!」
コツン、と再度ルアードはシャーロットを小突く。
二人の会話を黙って聞いていたアメリアは、孫を見るような生暖かい目で微笑んだ。
「よく来てくれました。学院を束ねる者として、心から歓迎します」
「……相変わらずだな、アメリア学院長は」
かつての恩師の変わらない態度に、ルアードは苦笑した。
「あら、昔みたいにアメリア先生と呼んでくれてもいいんですよ?」
「悪いけど、それは遠慮します。色々と忘れたい黒歴史を思い出しそうなんで。つーか、仮にも先生なら生徒同士のいざこざくらい止めてもらえないですかね」
「ごめんなさいね。昔から対抗魔術や解呪の類いは苦手なもので」
嘘だ。ルアードは喉元まで出かけた言葉を飲み込む。
シャーロットがキレて魔術を行使しようとした時、焦るそぶりすらしなかったアメリアの姿をルアードは見ていた。あれは、ルアードの魔術師としての実力を見たくて、わざと手を出さなかっただけだ。
本当に、昔から変わっていない。
むしろ、年齢を重ねたせいで昔よりも腹の底が読み辛い。
「それにしても、まさか本当に貴方が来てくれるとは思いませんでした。『剣聖』にはダメ元で頼んでみたんですけどね」
どこか揶揄うように、アメリアが言う。
「おっかない赤毛の筋肉馬鹿に脅されたんでな」
苦笑の面持ちのまま、ルアードはガリガリと頭を掻いた。
「……それに、俺も本気で来たくはなかったが。一応、それなりな理由もありまして」
「聞いても?」
「『エルギア』の魔術師たちが全員匙を投げた魔術事件に興味が湧いたのが一つ。それと、これ以上被害者を出したくないって言う筋肉馬鹿の正義感に感化されたってのが少々」
「そうですか……『剣聖』や貴方には感謝してもしたりませんね」
心にもないことを言う。いや、表面的には本気でそう思っているからタチが悪い。ルアードは鼻を小さく鳴らして、改めて目の前に座る人物を見る。
『エルギア』魔術学院学院長――アメリア・ダーナ。
魔術師としては結界魔術の新理論、論文をいくつも発表した実績を持つ人物で、ルアードにとっては魔術の先生に当たる人物だった。
この人を前に、下手に出てはいけないのは、過去の経験則で理解している。
「ははっ、違いない。精々感謝しまくってくれ」
ルアードはわざとらしく笑い声を上げて、偉そうな態度をとる。しかし、そんなルアードにアメリアは大した反応を見せず、唐突にすっと腕を上げた。
「……ところで、先ほどからずっと気になっていたのですが、そちらが例の助手ですか?」
指差した先を面倒そうにルアードが振り向けば、猿轡をした黒い変態がいる。両の手を鎖で縛られ、口呼吸ができないせいで鼻息が荒いその少女の姿は、端的に言うなら変態だ。その変態こと、ステラとルアードの視線がばっちり衝突した。
「ふごっー! ふごっふゴーッ!
「ああ、気にしないでください。ちょっと変わった言語を話すけど、基本的には無害なんで」
「ふんごーッ!」
何を言っているのかはわからないが、多分自分のぞんざいな扱いに対する抗議だろう。知るかバカ、とルアードは未だよくわからない言語で叫ぶステラを無視した。
「……紹介してもらっても?」
流石に可哀想だと思ったのか、いささかの哀れみの視線と同情心を含ませてアメリアが訊いてきた。シカトすればいいのに、とルアードは本気で思いながら、短く答える。
「こいつはステラ・カルアナ。一応、俺の助手ってことになってます。調査中にこの馬鹿がやらかしたら、全責任はカインツ・アルマークが取るから、そのつもりで」
「一応?」
最高に適切な紹介に、ステラは心外だと言わんばかりにルアードに詰め寄る。
「ふがッー! ふが! ふがッ!」
「ああ、とりあえず黙ってろ。今から真面目な話をするから」
そう言って、ルアードはステラの足を鎖で縛って床に転がした。芋虫のように地面に這い蹲るステラの姿にアメリアはもちろん、シャーロットも割と本気でドン引きしている。
しかし、そんな軽蔑の眼差しなど何処吹く風とばかりに、ルアードは小さく咳払いをして、
「さて、そろそろ本題に入るか」
その瞬間、室内の空気が引き締まった。先ほどとは比較にならない圧迫感が滲み出る。
空気に当てられ、シャーロットとステラが押し黙った。
「単刀直入に訊くが、ニーナ・アシュトルフォはどんな生徒だった?」
「どんな生徒だった……とは?」
「誰かに恨まれたりするような生徒だったかって話だよ」
「ないですね」
アメリアが即答した。
「優秀な生徒でしたよ。とりわけ問題を起こしたこともなかったですし、成績も常に上位。人当たりも良く。上級生、下級生問わず、大変人気がある生徒でした」
「典型的な模範生徒だな」
「ええ、昔の貴方とは違ってね」
痛いとこをついてくる。ルアードは真面目な表情を崩し、逃げるようにアメリアから目を逸らす。
アメリアが言う通り、学院生時代のルアードはお世話にも優秀な生徒とは言い難かった。成績は下から数えた方が圧倒的に早く、補修や追試の常習犯。典型的な落第生。ルアード・アルバはそんな生徒だった。
「だからこそ、私たちは彼女が殺された理由がわからないのです。より正確に言えば、ニーナ・アシュトルフォには殺されるような理由がない」
険しい表情でアメリアが補足する。
極論だが、誰かに恨まれない人間はいない。それが魔術師であれば、尚更のことだ。しかし、十代の子供が抱く恨みという感情は、基本的に可愛いものである。
例えばそれは容姿だったり、成績だったり、もしくはもっと他の理由から、誰かに恨まれたり誰かを恨んだりすることはあるだろう。だが、それらは人を殺すまでの恨みには足りえない。
更にはニーナ・アシュトルフォは周りの生徒から好かれていたらしい。
ベルベットのような生徒の存在から、それは間違いない事実だろうと、ルアードは結論付けた。
そうなると、益々わからなくなってくる。
何故、ニーナ・アシュトルフォは殺されることになったのか。
今回の事件は突き詰めれば、そこが一番の謎だった。
「……となると、先ずは生徒たちに話を聞くことからか。教員の目にはそう映っていても、実際は違うなんて話はよく聞くし」
「お願いします。ただ、生徒の中にはまだ心の整理がついていない子もいます。接し方には気をつけてください」
そう言って、アメリアは深く頭を下げた。
考えたくはないが、犯人が生徒だという可能性も十二分にある。その可能性を無くす意味でも、生徒たちから話を聞くのは最善の方法だろう。
――先ずはあの女の子からかな……
ルアードの頭の中には、先ほど見事な啖呵を切った赤い髪の女生徒の姿が映っていた。
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