英雄たちの過去

 ルアード・アルバとリーズ・テンドリックが住んでいる自宅があるのは、住宅が多く集まる『エルギア』の中心地。レンガ建ての大きな一軒家だった。見た目の綺麗さとは逆に、築二十年以上と中々に古いこの家をリーズが管理するようになって、もう十年が経つ。

 というのも、この家はルアードたちが『聖戦』の時代に『エルギア』での活動拠点に使っていた家だったからだ。リーズの稼ぎならば、もっと良い家、それこそ一等地に建っているような家だって買えるはずだが、リーズ本人がこの家をいたく気に入っているのもあり、引っ越す予定は今のところないらしい。

 とりわけ愛着があるわけではないが、現家主のリーズに甘やかされる生活もあって、この家はルアードにとっても安楽の地だった。


 ――その安楽の地が、今まさに侵されようとしている。


「おじゃまします!」

「どうぞ、ステラさん。ゆっくりしていってくださいね」


 満面の笑みのステラを、にこにこ顔のリーズが自宅に出迎える。ルアードは渋い表情で彼女たちに続く。今更駄々をこねる気はないが、自分的聖域を余所者に踏み込まれるのは中々に嫌な気分になる。せめてもの救いは、耳栓が必要なレベルまで喧しいステラが、リーズの前だと別人かと疑うほどに静かになることだ。


「直ぐに用意しますから。待っててくださいね」


 自宅に上がるなり、リーズはエプロンを身につけて料理の支度を始めた。

 鼻歌を歌いながら買ってきた食材を取り出す様子は、実に楽しそうに見える。実際、本当に楽しいのだろう。

 その間にルアードはステラを近くのソファーに座らせ、大人しくしてろ、と釘を刺した。

 常日頃から綺麗好きのリーズが掃除をしている為、室内は塵や埃の一つもないくらいに掃除が行き届いている。

 とはいっても、元々この家は荷物や家具の類いが少ない。自然の中で生きるエルフの癖のようなものなのか、リーズは新しい家具をあまり買ったりしない主義だ。壊れたりした場合や、使い込んでボロボロになった場合くらいだろうか。その代わりに、シーツや布団は定期的に新しいものに買い直しているらしい。


「ほへぇ……」

「キョロキョロすんな。気持ち悪い」

「あ、すみません。なんか、変に緊張しちゃって」

「まあ、『聖女』を前にすれば、そうなるのも普通か」

「……『聖女』?」


 誰が、とステラは首を傾げた。どうやら本気で気づいていなかったらしい。


「なんだ、知らなかったのか。リーズ・テンドリックは、『五人の英雄』の一人だぞ」

「……えっ?」


 ステラは慌ててキッチンに視線を向けた。鼻歌を歌うエプロン姿のリーズが視界に映る。


「私……『聖女』様に晩御飯を御馳走になるばかりか、『聖女』様に料理までさせてるんですけど……」

「良かったな。『聖戦』を終わらせた英雄様をパシらせるなんて、中々できるもんじゃないぞ」


 ルアードは冗談めかした口調で言った。それを真面目に受け取ったステラは、あわあわとパニックになっている。


「な、なにかお手伝いを……あいたァ!」


 ソファーから立ち上がって、キッチンに向かおうとしたステラが、勢いあまって本棚に小指をつけた。反動で本棚の上に飾ってあった写真立てが崩れ落ちる。


「うごぁぁぁ……ゆ、指がぁ……」

「アホか。何してんだ、おまえ」

「いや、躓いちゃって――あれ? この写真に写ってる人は、もしかして師匠ですか?」


 散乱した写真の一枚を拾い上げたステラが、どこか意外そうに訊いてくる。

 ステラの手には、若い少年少女たちの集合写真があった。赤毛の少年が仏頂面で腕を組み、銀髪の少女と金に似た若葉色の少女が仲睦まじく微笑んでいて――その三人の後ろで、黒髪の少年と金髪の少年若き日のルアードが、何故か本気の殴り合いをしている写真だ。


「あぁ。十年前のやつだけどな」


 なんでもないようにルアードが言う。ステラはやや興奮気味に写真を眺め、


「じゃあ、この写真に写ってる人たちが、英雄譚に出てくる『五人の英雄』なんですか!」

「まあ、そうなるな」

「うわぁぁ! 今私、英雄様の写真を持ってる!」

「あー、うっせ……」


やはり家に上げたのは失敗だった。さっきから喧しくて困る。


「……ところで、なんで写真の師匠は、この黒髪の人と殴り合いをしてるんですか?」

「あー、なんだっけか。たしか、俺が『勇者』の隠してたエロ本を『姫君』に渡したのが『勇者』にバレたんだっけか」


 意中の彼の好みくらい知った方がいいぞ、って俺なりの気遣いだったんだが、とルアードは懐かしむように笑った。あの時はガチギレした『勇者』に丸一日追いかけ回され、見るに見かねた『剣聖カインツ』と『聖女リーズ』によって力づくで二人とも鎮圧させられたのだ。それでも反省しなかったルアードたちは、口喧嘩から最終的に純粋な殴り合いに発展し、最終的には鎮圧した二人にも呆れられた。


「仲良しだったんですね」

「うーん、どうだろうな。ぶっちゃけ、俺らは仲悪かったと思うぞ」

「『五人の英雄』って呼ばれてるのに、ですか?」

「馬が合わないって、言ったらいいのか。基本的に一日に一回は喧嘩してた記憶があるな」

「え?」


 そう言ってステラは意外そうな表情で見つめてくる。ルアードは面倒くさそうに首を振った。十年前のことなのに、あの日々のことは昨日のことみたいに思い出せる。


「――俺は元々世界を救うだの、人間と魔族の戦争だのに興味がなかったんだよ」


 大陸中を旅して、何度も死に掛けて、何度も命懸けの戦いを繰り返した。当時の自分たちよりも頭二つは実力差があった魔族と戦ったこともあった。

 しかしそれでもルアードは世界を救う為に戦いに挑んだことは唯の一度もない。


「だったら、どうして『勇者』様と一緒に旅を?」

「べつに、あの時代ではよくある話だ。当時の俺は生きることに必死だったのさ。世界の未来なんかよりも、明日の飯の方が大事だったんだ」

「明日の……ご飯」


 他人事のように語るルアードを、ステラが驚いたように見つめていた。ルアードは散乱した写真を拾って、小さく苦笑する。


「魔術学院を退学して、食うに困ってた時に偶々会ったのが『勇者』のアホだった。魔術を使って、ちょい詐欺紛いのことをして稼いでいた俺に声を掛けてきたんだ。一緒に旅をしないか、ってな」


 ちょっとそこらにタバコでも買いに行くようなノリで『エルトリア』の大陸全土を回ることになったのは、本気でビビったけどな、とルアードは笑う。

 きっかけは学院を退学して暫くしてからの事。金を稼ぐ為に、魔術でギャンブルのイカサマをしていた時だった。初めてルアードのイカサマを見抜いたのが、後に『勇者』と呼ばれるようになった、無名の少年だったのだ。幸い他の人間にはルアードのイカサマがバレる事はなかった。その代わりに、ルアードは彼らの旅に同行することになった。

 自分を加えても、僅か三人。しかも温室育ちのお姫様と、異界から来たばかりで右も左もわからない少年というパーティ。山賊にでも襲われたら、速攻で全滅しそうな面子だった。

 事実、『エルギア』を旅立ってから暫くの間は山賊や魔獣から逃げ惑う日々だったのだから笑えない。重ねて言うなら、野宿すらした事がない世間知らずな二人の面倒をルアードがみることになった。


「そうやって大陸中を旅してたら、リーズとカインツに出会ったんだ」


 昔を懐かしむようにルアードは言った。


「三人が五人になって、色んな場所に行って、色んなことをした。人助けしたり、戦ったり、飯食ったり、喧嘩したり――それで、気がついたら『聖戦』の中心に俺らは居て、気がついたら『聖戦』が終わってた」


 リーズもカインツも、自分がそう生きたいと思った通りに行動していた。それはルアードも同じ。

 だからルアードは、誰に強制されたわけでもなく、旅の同行を続けた。途中で抜ける選択肢だってあったが、ルアードは自分の意思で『勇者』の側に居続けた。一番最初からずっと旅をしてきて、今更抜ける気にもならなかったからだ。なによりも当時のルアード自身が魔王軍と深い因縁があった。


「それでも……師匠たちが『聖戦』を終わらせてくれたことには変わりないと思います」


 黙って話を聞いていたステラが、そう言った。

 ルアードは、そんなステラをからかうように笑って、


「ああ、そうだな。過程や方法はどうあれ、俺らは戦争を終わらした。だけど」


 ルアードは手の平に魔方陣を描いた。ほんの一瞬だけ『マナ』が光り、消える。


「本当に終わらせて良かったのか、偶にそう考えるときがある。人間と魔族の共存を訴えておきながら、今の世界は平等には程遠い世界だ。結局は人間と魔族の天秤を無理矢理に俺らが人間側に傾けただけなんじゃないかってさ」

「師匠。それは――」

「わかってる。だから俺たちは今も『五人の英雄』って偶像を続けているんだ。本当の意味で人と魔族が平等になる日なんて、絶対に来ないのはわかってるけど、俺らには『聖戦』を終わらせた責任がある」


 ステラは生真面目な表情でルアードの話を聞いていた。そしてふとなにか気づいたように眉を寄せ、


「でも、師匠は『賢者』であることを隠してましたよね? 『剣聖』様や『聖女』様と違って」


 ギクリ、とルアードの肩が跳ねる。


「ま、まあ、あれだ。俺にも色々と事情があってだな」

「というか、さっき『聖女』様の家を自分の家みたいに言ってましたよね? もしかして師匠と『聖女』様って、こう、恋人的な――」

「違う違う。俺がリーズの世話になってるだけ」


 反射的にルアードが答えると、ステラは益々怪訝そうに眉を寄せた。


「師匠。それは所謂ヒモというやつなのでは?」

「そうだぞ」

「そこは否定しましょうよ!」

「人生の勝ち組なのを否定するとか、ちょっと俺には理解できないな」

「勝ち組じゃないです! 思いっきり負け組ですから!」


 勝ち誇った表情で言うルアード師匠に、ステラ弟子が反論するというやり取りは、リーズが二人のことを呼ぶまで続いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る