予期せぬ再会

 ステラ・カルアナにとって、魔術学院は文字通りの意味で未知の領域だった。

 知識としてはもちろん知ってはいる。魔術を学ぶ為の学校で、『エルギア』以外にも『エルトリア』各所の様々な国や町に設立されていることや、その中でも王都『エルギア』の魔術学院は将来有望な魔術師見習いだけが入学できる狭き門なことなど。自分が生まれ育った土地に魔術学院がなかったからこそ、余計にその手の話題に対する知識は深くなった。

 そんな知識欲から知ったことだが、『エルギア』魔術学院は、別名として魔術師の理想郷とも呼ばれているらしい。もちろんそれは正式な名称ではなく、俗称としての呼ばれ方だ。しかし、実際に魔術学院の敷地を見渡してみたステラは、なるほど、とその俗称の由来を言葉ではなく体で理解した。


「――すごい! こんなに沢山の人が魔術を学んでるなんて」


 学院の門を通ってまずステラの目に飛び込んできたのは、ローブを着た十代の少年少女たち。

 見渡す限りの人、人、人。それもステラと同世代くらいの男女たちが同じ格好をしている。時折聞こえてくる魔術に関する意見交換の声や、魔術師としての思想を語る声。重そうな本を抱えて歩く生徒の姿。顔つきから肌の色まで様々な人が闊歩する光景は、ステラにとって初めて見る世界だった。

 勢いに圧されてあらぬ方向へ進み始めたステラの手を、ルアードが引き寄せる。


「なにをそんなに興奮してんだ?」


 手を引かれるまま、ステラはブンブンと首を振る。多少オーバーリアクション気味で鼻息を荒くしながら、ステラは生徒たちを指差して、


「だって、ここにいる人たちみんな、私と同じで魔術師を目指してるんですよ!」


 凄い! 凄い! とはしゃぐステラの様子を見て、ルアードはなんとなく彼女の心境を察する。


「そういやぁ、『メイガス』故郷にいた時から魔術の勉強は一人でやってたんだっけか」


 ステラには所謂同期と呼べる魔術師見習いの知り合いがいない。そんな彼女からしたら、目の前に広がる光景は信じられないものなのだろう。

 それならこのはしゃぎっぷりも納得だ、とルアードは苦笑する。


「魔術の探求をするのに、ここ以上に便利な場所は中々ないからな。北に南、東から西と国境、性別関係なしに見習いたちがやってくる。何故だがわかるか?」

「沢山人がいたら魔術の勉強が捗るから……ですか?」

「それもある。ただ、一番の理由はここが魔術学院であると同時に、魔術の研究機関でもあるからだ」

「魔術の研究機関?」


 聞き慣れない単語に、ステラが反復する。

 ルアードは、そうだ、と頷き、


「ここの講師の大半は、教授や博士の資格持ちばかりだ。だから、授業がないときは自分の研究やら実験をしてるやつがほとんどなんだよ。その為に必要な触媒や、魔術式の資料とかがこの学院には大量に保管されている。当然、学院生はその研究や実験を手伝ったり、資料を閲覧したりもできるわけだ。普通なら閲覧できない魔術書を読んだり、高名な魔術師の研究に参加したりと、将来魔術師として食ってく為のコネを作るのに最適なんだよ、ここは」


 あまりにも魔術師のイメージから掛け離れた生々しい話に、自分で口にしながらルアードは呆れる。

 古来より神秘の探求者だの、奇跡の力の体現者だのと呼ばれようが、金にならなければ今の時代では生きていくことすらできない。そんなものの為に生涯を費やす者が絶えないのだから、魔術とは実に罪作りな存在だ。


「へぇ……ところで、どうしてここの生徒さんは皆さん同じ黒のローブを着ているんですか?」

「それにも一応理由があって……まぁ、わかりやすく言えば、アレは魔術師としての格付けを表してる」


 首を傾げるステラに、ルアードは生徒のローブの一つを指差して見せる。

 何の変哲も無い黒のローブだが、よく見るとローブの一部に赤い線が刺繍されているのが見えた。


「赤い線があるだろ。アレはこの学院では魔術師としてのランクを示していて、あの線が多いほど成績優秀な生徒ってことになる。上から、第三階級、第二階級、第一階級と学年とは別に区分されていて、あの生徒の場合は一本線――第一階級ってことだ」

「なるほど……」


 今一度ステラが辺りを見回すと、確かに生徒たちが着ているローブは見た目こそ同じだが、其々ローブに刺繍されている赤い線の数が違うのがわかる。

 一本線が圧倒的に多く、数名が二本線。ルアードの言う第三階級の生徒らしき姿は、今のところ確認できない。


「でも、ランク付けに何の意味が……?」

「単純に目に見える形での競争を促すのが目的だな。教師側も一目で誰が優秀な生徒なのかがわかるし、生徒たちもわかりやすい目標があった方がやりやすいだろ」


 ルアードが気怠げそうな口調で説明する。


「それに、戦争してた頃からそうだったが、魔術師はプライドだの血統だのを気にして生きる生き物だからな。そんな連中がわかりやすく優劣を決める方法として、この制度を導入したんだよ。たとえそれが、学院という狭い世界だけの話でも、こいつらには必要なことだったのさ」

「ふーん……なんか、割と狡い理由だったんですね」

「おまっ……以外と容赦ないんだな」


 ステラは身も蓋もない言葉を口にしながら、学院の校舎を見上げた。

 魔術学院である以上、ここが魔術を学ぶ為の場所で、その成長を相乗させるランク付けの制度もわかる。だが、格付けをする本当の理由が、要は安っぽいプライドの為だと思うと複雑な気分だ。元よりステラには他者と競って魔術の修行をするという経験が無い。つまりステラには、彼らの気持ちがイマイチ理解できないのだ。

 もっとも、生徒間にそこまで殺伐とした空気がないのが唯一の救いか。


「――それにしても、私たち完璧に浮いてますよね」


 何を今更、とルアードは独りごちる。

 そもそも浮いている原因が、彼女の奇抜過ぎる格好が理由だ。そんな変人を連れている時点で、多少の奇異の目など甘んじて受け入れるしかない。

 ひそひそと話す声など訊くだけ無駄だ。警備員に通報されなきゃ知ったことか、と割り切っていく。


「おいおい、俺たちはこの学院で起きた事件を調査しに来たんだぞ。堂々としてれば問題ないだろ。むしろ、なんで出迎えの学生か教員がいないんだよ」


 昔と同じ校舎を見回しながら、ルアードは呟く。

 入り口の門でいくつかの手続きを済ますと、あっさりと中へ通されたのだが、肝心の案内役がいなかった。到着が遅れているのかと思い、暫く門前で待とうとしたが、門の警備員に、学院長室に向かわせるようにと言付けを預かっています、と言われて今に至る。


「まぁ、のんびり行きましょうよ。ほら見てください、あの大きな建物。如何にも怪しそうな匂いがプンプンですよ! きっとあの場所には事件の重要な証拠がありますね!」

「その怪しそうな建物が、今から向かう学院長室なんだが……」

「え?」


 固まるステラにルアードは溜息をつく。


「アホなこと言ってないで、さっさと行くぞ。どうせ後で、あちこち回ることになるんだし」


 そう言ってルアードは、早足で歩き出す。

 その後ろをステラが駆け足気味について行く。

 校舎の方に人集りが出来ていりのに気づいて足を止めたのは、その直後のことだ。


「あれ? なんでしょう」

「なんか揉めてるな。喧嘩か?」


 遠目からはよく見えないが、どうやら口論する二人をみんなで取り巻いているようだった。人垣の向こう側から聞こえてくるのは、女生徒同士の言い争いの声――ちょくちょく耳に入ってくる会話の内容から、決して穏やかではない内容だ。


「この……人殺し!」


 長い赤毛の髪を振り乱しながら、女生徒が怒鳴り散らす。彼女の正面に対峙する女生徒は睨み返してはいるものの、反論らしい反論はしていない。一方的に赤毛の女の子が怒鳴り散らし、人目を集めているようだ。


「あんたがニーナを……ニーナを殺したのは知ってるんだからね! 返してよ! わたしの友達を返しなさいよ!」


 段々と語気が強くなっていく。その瞳には涙を溜め、感情に任せて、ただ叫んでいるようだった。


「…………」

「何とか言いなさいよ!」


 それに対して、もう一人の女生徒はひたすらに沈黙を貫き通している。反論らしい反論もしない様子が、更に赤毛の女生徒の気を荒ぶらせていた。

 二人のやり取りを静観していたルアードは、ふむ、と小さく呟く。


「どうやら事件の重要参考人になりそうな感じだな。後で詳しい話を訊いてみるか……あれ? ステラのやつ何処に行った?」


 ふと、隣にいた筈のステラの姿がいつのまにか消えていたことに気づいき、ルアードはキョロキョロと辺りを見渡す。


「まさか……」


 サー、と血の気が引く。嫌な予感、というより未来予知がした。

 自分の愛弟子は致命的なまでに空気が読めない。それが意味するのは、


「……いやいや、落ち着くんだ、ルアード・アルバ。魔術師たる者、常に冷静にだ。空気読めない、ナチュラルトラブル製造機、がっかり美少女、魔術じゃなくて踊り子目指した方が百倍成功するのが確定してるステラだって、着いて早々に揉め事起こすわけない……よな? いや、待て待て!」


 ルアードは慌てて騒動の中心をもう一度見る。

 無言を貫く女生徒の態度に、とうとう赤毛の女生徒の方がキレたらしい。涙を散らしながら手を高く振りかぶり、ビンタを叩きつけようとしている姿が遠目から見えた。

 その時だ。


「そこまでです!」


 黒の三角帽子にマントを羽織った不可思議な出で立ちの少女が、『エルトリア』では珍しい黒の髪を風に流して、颯爽と赤毛の女生徒の前に立ち塞がった。

 言い争いを続けていた二人の間に突如現れた見慣れない人物に、周りがざわつき出す。

 そして――


「ぷぎゃあふぅ!?」


 赤毛の女生徒が振り下ろしたビンタの勢いが止まらず、そのまま二人の間に割り込んだ少女――ステラの頬を力強く叩きつけた。叩きつけられたステラは奇妙な悲鳴を上げながら人垣の方へと転がっていく。


「え……あの、大丈夫?」


 張り手をした女生徒が思わずそう言った。ピクピクと痙攣するステラに、当事者の二人を含め、辺りは本気でドン引きしている。

 先程の険悪ムードから一転して、なんとも気まずい空気が漂う。

 どうするんだこの空気と、誰かの声が漏れた気がした。


「ふ……ふふ。い、良い一撃です。流石は『エルギア』魔術学院の生徒さん。ビンタのキレも一流ですか」

「いや、それ魔術関係ないと思うんだけど……」


 ふらふらになりながらも立ち上がってくるステラに、赤毛の女生徒は反射的にツッコミを入れていた。ガクガクと笑う膝を必死に抑えてからステラは、ふう、と息を整える。


「とにかく、一先ずこの場は納めてください。どんな理由があっても、暴力はいけないですよ」

「いきなり現れて、何を言ってるの」


 女生徒はステラの物言いに、キッと睨む。


「そもそも、貴女誰? 学院生じゃないみたいだけど……入学希望者か、見学者かは知らないけど、部外者が口を挟まないで」

「ふっふっふっ、私は部外者ではないですよ」


 ステラはそう言ってから、マントを大げさに翻した。


「私はステラ・カルアナ。『剣聖』カインツ・アルマーク様からのご依頼で、今回この学院で起きた事件の調査に来た者です」

「――ふざけないで!」

「ひぅ!? いや、あの、別にふざけてるわけじゃ……」

「だったらなおの事タチが悪いわ! ニーナの事件の調査に来た? 自警団も王宮魔術師も、この学院の教員たちすら匙を投げた事件を貴女が? 冗談も休み休み言いなさいよ!」


 女生徒が頭をがりがり搔き毟りながら嘆き叫ぶ。怒りの矛先が先ほどの相手からステラに変わったらしい。

 しかし、ステラは悪い意味で神経が太い人物だ。そして、悪い意味で鈍感で真面目だ。


「本当ですって。正確には私のお師匠様がカインツ様から頼まれて、私はそれのお手伝いに来ただけですが」


 赤毛の女生徒がステラを侮辱するように、鼻で笑った。


「はっ、それはそれは。さぞかし高名で素晴らしい魔術師様なんでしょうね。どんな方か、是非お会いしたいものだわ」


 おそらくは赤毛の女生徒なりの精一杯の嫌味だったのだろう。だが、ステラはその嫌味を嫌味として受け入れていなかった。彼女はそういうやつだ。

 ステラは得意げに語り出す。


「勿論ですとも! まぁ、普段は女の人に衣食住を用意して貰ってますし、弟子の私にお金を借りようとするし、酒場のツケは踏み倒してばっかりのクズですが、魔術師としては尊敬するに値する人物です。なにせ師匠はあの『五人の英雄』のひと――」

「だあぁあああああ――ッ! 何で来て一時間もしないで問題起こすんだよ、このバカ弟子はあぁぁ!」


 人混みを掛け分けて、ルアードが高速のチョップをステラの頭部に叩き落とした。ズゴンッ! と地面が陥没するような音が響き渡る。


「痛いですよ、師匠」

「痛いですよ、じゃねぇよ! なんで大人しくするってことができないんだ! 馬鹿なのか? ごめん、馬鹿だったな! 犬や猫だって『待て』くらいはできるけど、おまえはできないんだったな!」

「当たり前ですよ。だって私、犬や猫じゃないですし」

「そういう問題じゃねぇー!?」

「でも、この人が師匠のことを知りたいとおっしゃってたので。師匠が魔術師として有名な『賢――」

「なにさらっととんでも発言してんだよぉっ!?」


 堂々とルアードの正体をバラそうとする彼女の口を、ルアードが頭ごと抱えて塞ぐ。

 ワザとらしく大声で叫んだことで、幸いにも生徒たちはステラが何を言っていたのか、さっぱり聞き取れなかったようだ。

 そんな生徒たちを他所に、ルアードはステラの口を魔術で生成した鎖で物理的に黙らせる。

 そして、口を塞がれたことで鼻息荒くして暴れるステラを無視して、ルアードは呆気にとられている赤毛の女生徒に向き直った。


「すまない。ウチの馬鹿が迷惑をかけた」

「なら、貴方があの子の言っていた……」

「まぁ、そういうことになるかな。盗み聞きするつもりはなかったんだが、君はニーナ・アシュトルフォとは親しい間柄みたいだね。すまないが、君さえ良ければ捜査に協力を――」

「お断りします」


 露骨に嫌そうな顔で、はっきりと拒絶の意思を見せる女生徒に、ルアードは、わかった、と潔く引く。

 魔術師としての実力や、素性がわからない相手なら、当然の反応だろう。仮にこの状況で食い下がっても、おそらくは有益な情報は得られないと、ルアードは判断し、大人しくこの場は引くことを選んだのだ。


「なら、気が変わったら言ってくれ。いつでも話は訊くし、話すのが辛いなら手紙とかの類いでも構わないからさ」

「……考えときます」

「ああ。考えといてくれ」

「お騒がせしてすいませんでした。失礼します」


 これ以上は話すことはないと、赤毛の女生徒は強引に会話を打ち切り、会釈をしてから校舎へと歩いて行った。

 その後ろ姿を見送り、ルアードは小さく溜息を吐く。


 ――さて、どうやって収集つけよう。


 奇異の目がルアードに突き刺さる。

 人間はいつの時代も未知に興味津々だ。

 自警団や王宮魔術師、はては学院の教員すらも解明できなかった真相を究明すべく招集された魔術師。そんな未知に、生徒たちの熱視線が止まらない。

 そんな時だ。


「るッ……ルアー、ド? ……ルアード・アルバ?」


 どうしたものか、とルアードは頭を悩ましていると、今まで沈黙を守ってきたもう一人の女生徒が震える様な声でルアードの名前を言った。 


「ん? なんで俺の名前を知っ……て?」


 一瞬の間。

 藍色の髪を揺らして、女生徒はルアードの元へと駆け出した。

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