忘却の中に

 ――それは古い、忘却したい記憶だった。


 忘れたい。忘れたくない。そんな矛盾を孕んだ記憶。


「ねぇ、ルアード。いつになったら、わたくしに魔術を教えてくれますの?」


 その言葉は、当時の彼女の口癖のようなものだった。

 口寂しくなった時、暇つぶしに口ずさむ歌の代わりに、彼女は決まって少年にそう言うのだ。

 彼女は魔術師になりたかった。だけど、少年は少女が魔術師になることに反対だった。

 故に、少年の答えは何時も決まっていた。


「そのうちな」


 そう言って、少年は彼女の頭を撫でる。


「こらっ、子供扱いしないでくださいまし」


 ぐしゃぐしゃになった髪のまま、彼女は子供らしい笑みを浮かべる。

 ぶっきらぼうな手つきだったが、その温もりが彼女は堪らなく心地良かった。

 敬愛。或いは家族愛。もしくは――


「おっぱいが大きくなったら子供扱いしないでやるよ」

「もう少しオブラートに包んだりしませんの!」

「はっはー! ミルクを飲め、ミルクを。だからおまえはいつまでもちんちくりんなんだよ」

「むきーッ! 言いましたわね。わたくしが気にしてることを言ってしまいましたわね」


 彼女は顔を真っ赤にして、少年の胸元をポカポカと殴る。他者から見れば、それは微笑ましい光景だ。

 兄? それとも親? それとも、もっと深い間柄?

 きっと、そのどれでもない。

 子供のじゃれ合いに、少年は小さく笑う。

 少年の笑みにつられて、彼女も笑う。

 こんな日がずっと続くと――そんな、ありもしない幻想を夢見ていた。

 だからだろう。

 叶わない望みを願った代償。

 きっとこれは自分への罪なのだと、彼女は悟る。

 ある日、少年は――ルアード・アルバは彼女の前から突然と姿を消した。









 突如現れた二人組に、生徒たちがどよめく中で。


「嘘……」


 彼女は言い争う二人を呆然と眺めていた。

 最初に自分を助けてくれた少女は、自分たちが件の事件を調査すると言っていた。口調こそ敬語だが、やたらと行動が破天荒な少女。見た目からして、おそらく同年代だ。

 そしてもう一人、少女が師と呼ぶ金髪の青年。

 死んだ魚にも似た、ヤル気の光が灯らない瞳。それなのに無駄に眉目秀麗な容姿。

 最初見た時は見間違いかと思った。しかし、その声が、その姿が、忘却の中に消えた記憶と一致する。

 まさか――いやまさか。そんな馬鹿な?


「るッ……ルアー、ド? ……ルアード・アルバ?」


 混乱する彼女は、震える唇で青年の名前を呼んだ。


「ん? なんで俺の名前を知っ……て?」


 声に気づいた青年が振り返り、彼女と視線が合う。


「シャロ……? え? なんで?」

「あっ……ど……どッ、ど……ど……っ」


 間違いない。彼だ。

 彼と過ごした幸せな時間がフラッシュバックする。自然と涙が瞼から溢れる。止まらない涙を彼女は必死に拭おうとした。


 ――どうしてここに?


 ――どうして貴方が事件の調査を?


 ――その隣にいる黒髪の子は誰?


 ――何故、私の前から消えてしまったの?


 訊きたいことが山ほどある。聞きたい言葉は、その何倍もある。

 だけど、言いたいことはたった一つだけだ。

 気がついたら、彼女は走り出していた。

 彼の胸元へ飛び込んで、戸惑う碧眼を間近で覗き込む。

 ああ、やっと……やっと何年も、何年も胸に秘め続けていた言葉を言える。

 彼女はすぅっ、と息を吸い、


「………………死ねええええぇぇぇぇッ!!」

「ぐふおおぉぉ!?」


 シャーロット・フォーサイスは音高らかに、ルアードの顎にアッパーカットを喰らわせた。

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