二章 騒がしい日常
魔術師の修行は命懸け
自分は師を間違えたのかもしれない。
弟子入りして早々に、ステラは割と真剣にそんなことを考えていた。
「いゃああああああああァァァ!」
目の前を悲惨な絶叫と砂埃が通過していく。それと地響きと、風圧と宙を飛ぶ乙女の涙と、あとはまあ、激情する獣の咆哮など。
騒音の楽団は瞬く間に視界左手の木立へと消えていき――やや少しの間の後に、遠くから少女の断末魔が木霊した。
引きつった笑みを浮かべ、ついでに遠くの空へと黙祷を捧げてから、カナリアはこの惨劇の首謀者であるルアードを見る。
「……えーと、あれは何?」
「魔獣の一種だ。まあ、魔獣って言っても子犬と対して変わらない程度のやつだし、害はないだろ」
ゲラゲラと悪どい笑みを浮かべて笑い転げるルアードに、カナリアはそうなんだ、と乾いた声で頷いた。
と、先ほどの木立から、ふらりと人影が姿を見せる。下生えの草をかき分けて、ふらふらとおぼつかない足取りで現れたのは、端的に言うのなら、ボロボロの少女であった。有り体に言えば、酷い姿だ。
カナリアは引き攣った笑みのまま、ボロボロの少女に近づき、
「一応訊くけど……生きてる?」
「何度か数年前に亡くなった知り合いの顔が見えました……」
真っ青に染まった表情で力無く答えて、ボロボロの少女――ステラは肩で息をしながら返事をする。
トレードマークのマントと三角帽子を脱いで、シンプルなシャツとスカート姿のステラの服はあちこちが裂け、その下には無数の擦り傷と打ち身が見え、歯型らしい傷痕まで確認できた。蜘蛛の巣にでも引っかかったのか、黒髪はぐしゃぐしゃに乱れ、頭には蜘蛛の巣やら葉っぱやらが付いている。満身創痍といった有り様で、控え目に言って酷いとしか言えない。
ステラは未だに笑い転げているルアードに非難めいた視線を向けて、呻く。
「……師匠」
「あ? なんだ?」
「いきなり山の中に引っ張り来られた挙げ句、説明もなしに魔獣と追いかけっこをさせられなきゃならない理由を教えて頂いてもよろしいですか!」
わなわなと体を震わせて、力一杯叫ぶステラを見て、カナリアは改めて辺りを見渡す。
ルアードとステラとカナリアの三人は、王都『エルギア』の北側最果てに位置する巨大な山に来ていた。
この山は、森妖精と名高いエルフが管理する山である。元々は古来より森や川といった自然の中で一生を過ごしていたとされるエルフたちの為にと、現国王が戦争終結後にエルフに与えた場所だった。それが現在では綺麗な自然と澄んだ空気に満ち溢れた場所として、住民たちにも重宝されている。
魔獣などの野生生物もこの山には住まうため、基本的には立ち入りを禁止されている場所だが、管理を任されているエルフの許可さえ貰えたら、誰でも山の中に入ることが許される。
ぜー、はー、と息を荒げるステラに、ルアードはやれやれと言った具合に首を横に振った。
「説明もなにも、魔術の修行以外に何があるんだよ」
「魔獣と命懸けの鬼ごっこをすることがですか!」
「いや、それは俺が面白いからけしかけただけ」
「師匠!」
激情するステラに、ルアードはまあ落ちつけ、と言葉を置いて制す。
「これはおまえが一人前の魔術師になる為に必要なことだ。おまえのクソみたいな才能を人並みにする為のな」
「……本当ですか?」
「そう疑心暗鬼になるなよ。弟子が師匠の言葉を信じないで、何を信じるってんだ」
「そ、それはそうですけど……」
「というわけで、修行を続けるぞ。なーに、死にはしないから安心しろ、なっ」
「あ、あの、その笑顔に不安しか感じ……カ、カナリアさん! お願いします! 助けてーッ!?」
予想出来ない恐怖に泣き出すステラの首根っこをニコニコスマイルで引きづり、ルアードは山の奥へと消えていった。しばしその後ろ姿を見送ったカナリアは、なんとなしに後ろを振り返る。
そこには――滝があった。水が吠えるような音を立てて、ごうごうと流れ落ちている。あるはずの無い未来予知を感じ取り、カナリアは滝の上方を仰ぎ見た。
青い空と白い雲。そこに一つの黒い影が落ちる。徐々に大きくなっていく黒い影を見て、それがだんだんとこちらに落ちて来ているのだと理解して、彼女は無言でその場から一歩退いた。
直後、聞こえてくるのは耳慣れた少女の声。
――ああ、やっぱりか。
「――……ぁぁぁぁぁあああああああぶばッ!?」
年頃の乙女が出してはいけない悲鳴が木霊し、巨大な水柱が上がった。ほんの一瞬だけ見えた黒い髪の少女の表情は――彼女の名誉の為にも黙っておくべきだろう。
「おお、派手に落ちたな」
もう一度カナリアが滝の上方を見上げれば、ルアードが滝の上流から顔を出して、ことの結末を見届けていた。
ほぼ垂直の壁面を、階段でも降りるかのような気楽さで降りてくると、ルアードはぷかぷかと浮かぶステラを指差して、「人って高い場所から水辺に落ちると、本当にうつ伏せに浮かぶんだな」と言って笑っている。割と本気でこいつはクズだな、とカナリアは思った。
隣に立って、カナリアはルアードに尋ねる。
「……死んでないわよね?」
「んー? 大丈夫だろ。ここは『マナ』も充満してるし」
答える声は、やたらとあっさりとしている。
カナリアは怪訝そうにルアードに訊いた。
「これが魔術師の修行なの? さっきからステラちゃんが生死の境を行ったり来たりしてるだけにしか見えないのだけど?」
「まあ、概ね間違いじゃないな」
「えっ?」
さも当然のように言いきるルアードを見やり、カナリアは眉根を内側に寄せた。そんなカナリアを見たルアードは面倒そうに、
「カナリアは、魔術についてどれくらい知っている?」
「どれくらいって……こう、魔法陣とか描いて、変な呪文唱えたりするんじゃないの?」
「半分正解、半分ハズレってとこだな。大掛かりな術式の魔術を使う場合はカナリアの言うとおりの手順をする必要があるけど、簡単なやつなら呪文を唱えるか、魔法陣を空中に描くだけでいける」
こんな風にな、とルアードは指先で小さな魔方陣を空中に描いた。
魔術師ではなくとも、ある程度の知識は常識として持っている者は多い。ただし、だからと言って誰でも魔術が使えるわけでもない。ルアードは指先と空中に描いた魔法陣に魔力の光を灯し、
「人間の俺たちが魔術を行使する場合、大気中にある微量の『マナ』を掻き集めることで魔術が発動する。だから、必然的に魔術師は大気中の『マナ』を人並み以上に感知することが求められるわけだ。カナリアがイメージしてる魔方陣や呪文やらは、その感知する力を高める為に使う、一種の増幅装置って意味合いが強い」
「感知そのものができなきゃ、魔術も使えないから?」
「そういうことだ。ただ……」
そこで一旦言葉を止めて、水辺から這い上がって来るステラへと視線を向ける。
「あいつは絶望的にその『マナ』感知が下手くそ過ぎる。元々見えない、感じないものを理解しろって無茶振りしてるのに、頼みのセンスすら皆無とか、魔術の行使以前の問題だ」
「その為の修行がこれなの?」
「魔術師が『マナ』を感知するのに一番手っ取り早いのが、極限的状況に自分の命を晒すことだからな。普通の人間が死に掛けるような状況になると普段以上の馬鹿力が出たりするだろ? 魔術師の場合は、その馬鹿力が『マナ』感知ってわけだ」
「わかるような、わからないような……」
「付け加えて言うなら、『マナ』は自然物が多い場所ほど感知がし易い。まさにあの落ちこぼれにはぴったりな修行場ってわけだ」
「命綱無しで滝からダイブ決め込むのが魔術師の修行ってのは、いまいち納得いかないけどね……」
「――そうですよ!」
ルアードとカナリアの会話に、びしゃびしゃに濡れたステラが怒り顔で割り込む。
息は荒く、服はびしょ濡れだ。それでも逃げ出さないあたり、やはり根性はあるらしい。
ルアードはよっこいしょ、と近くにあった石に腰掛け、
「よく生きてたな。ぶっちゃけ、骨の一本くらいは折れたかと思ってたんだが」
「体だけは昔から丈夫でしたから! ――って、そういう話じゃなくてですね!」
バンバン! とステラは地面を踏みながら叫び、
「私、女の子ですよ」
「……えっ!?」
「なんでそこで驚くんですか!」
「いや、だって……ねぇ?」
如何にも心外だと言わんばかりに、ステラは鼻息を荒くしながらルアードに言った。
「女の子に魔獣と追いかけっこさせたり、滝にダイブさせたりするのは酷いと思います」
「誰だ! そんな非人道的なことをする外道は!」
「あんたよ、あんた……」
後ろでカナリアがこっそり何か言っているが、頑張って無視しておく。
「とにかく! 私はもっとまともな修行がしたいです!」
ステラが間の抜けたことを口走った。生命の危機に、思わず本音が漏れたらしい。
それが、ルアードの機嫌を悪くしたとも知らずに。
「嫌なら『メイガス』に帰ればいいだろ」
「え? いや、それは……」
「いいか、ステラ・カルアナ。おまえは、まず自分が魔術師としての才能に恵まれていないって事実を理解した方がいい」
「それは、わかってますけど……」
「けど、じゃねぇよ。『マナ』を感知するなんて、魔術師としての初歩中の初歩だぞ。それすらできてないど素人が、偉そうに修行内容に文句を言うな」
ルアードからのややキツめの言葉が、ステラの胸を穿つ。
どうやら自分は舞い上がっていたらしい、とステラは深く反省する。ステラは自分の行いを恥じて、唇を浅く噛んだ。
「……すみません、でした」
「わかればいいんだよ。わかれば」
「はい……」
「じゃあ、とりまもう一回ダイブな」
「はい――……えっ?」
「おっ! 向こうの滝は中々高いな。よし、あそこにしよう」
「あ、あの、待っ――いやあぁぁぁ!」
この日、ステラは通算して五回ほど滝の上から命綱無しでダイブした。
自分は師を間違えたのかもしれない。
薄れゆく意識の中で、ステラは真剣にそう思った。
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