師匠と弟子と酒場の店主

 とりあえず安くて腹が膨れるのなら何処でもいいという少女の要望を叶える為に、ルアードは少女を連れてカナリアの経営する酒場『ルシエ』へと足を運んだ。カナリアに事の顛末を話すと、彼女は初めに心底驚いた表情を浮かべ、次にきっぷのいい笑みで賄いの雑炊を出してくれた。

 明日まで持たない食材を片っ端から適当に鍋にぶち込んで、適当な調味料と一緒に煮ただけの見てくれの悪そうな雑炊だが、カナリアの腕が良いのか、味は中々に美味いし、なにより腹は膨れる。


「はぐっ! はぐっ! はふっ!」


 その雑炊を一心不乱に少女は掻き込んでいた。スプーンを力一杯握り締めて、雑炊の入った器から顔を離す気もなく、幸せそうに食べている。ルアードがその様子をぼんやりと眺めていると、


「よく食べるわねー」


 感心するような眼差しで、店主のカナリアは雑炊を食べる少女に目を向けて言った。


「ほんとな」

「作った身としては、冥利に尽きるわ」


 ケラケラと笑うカナリア。ちなみにこの雑炊は無料ただではなく、きっちりとルアードに請求される手筈となっている。なので、ルアード的にはそろそろ食べるのを止めて欲しかった。

 ルアードは昨日と同じ、カナリアのお情けで貰った水を飲みながら、


「いや、それにしても食い過ぎじゃね? 今何杯目だよ?」

「八杯目かしら。あ、代金は後であんたに請求するから」


 さらさらと伝票らしき紙にカナリアが書き込む金額を、ルアードは怖くて見れなかった。積み重なる器の塔は、見なかったことにしよう。


「……おい、もういいだろ」

「ああぁ! 私のご飯! まだ食べてるのに!」

「やかましい! 限度ってものを考えろ!」


 引ったくるようにルアードは少女から器を取り上げる。そうでもしないと、この少女はそれこそ際限無く賄いの雑炊を食べ続ける気がした。

 話を聞こうにも、とりあえず空腹をなんとかしないと会話すらできそうになかったので、仕方なくカナリアの経営する酒場まで引きずって来たのだ。そろそろまともな話の一つでも始めないと割に合わない。

 ルアードは水の入ったグラスと少女から奪った器をテーブルに置いて、改めて少女に尋ねる。


「それで、結局おまえは誰なんだよ?」

「あれ? あの……もしかしなくても、私まだ名乗ってませんでした?」

「ああ。名前も名乗らずに、いきなり弟子にしろとか言ってくる非常識なやつってことしか俺は知らないな」


 ついでに言うのなら、既成事実を狙って自警団に図々しく自分は『賢者』の弟子だと名乗り、挙げ句の果てにはその『賢者』に飯をたかる厚かましいやつだ。

 ルアードがそう指摘すると、少女は今までの自分の醜態を思い出したのか、顔を真っ赤に染めた。


「あ……えーと……ですね……その……」

「とりあえず、お互いに自己紹介でもしたら?」

「そ、そうですね!」


 しどろもどろになる少女を見て、カナリアがそっと助け船を出す。

 少女はピシッと背筋を伸ばして、正面に座っいるルアードへと向き直る。ちなみに、少女の頬には先程まで食べていた雑炊の食べカスが付いていた。

 んん、と少女は軽く咳払いを入れてから、


「私はステラ――ステラ・カルアナです」

「知ってると思うが、ルアード・アルバだ。こっちはこの酒場の店主のカナリア・ルシエ」


 よろしく、とカナリアが手を振る。ぺこりと頭を下げて会釈する少女を見ながら、ルアードは面倒くさそうに話を続けた。


「最初に言っておくが、俺は魔術師の弟子なんて取らないからな」

「え? ここにいますよ? 弟子一号が」


 ステラと名乗った少女は、ほらほら、と自らを指差す。その豪胆ぶりに、ルアードは頭が痛くなった。


「じゃあ、アレだ。師匠に迷惑かけたから、破門にするわ」


 ひらひらと虫を追い払う仕草でルアードは手を振る。いいからさっさと帰れ、と本音が駄々漏れだった。

 しかし、ステラがそれで納得するわけもない。がばっと跳ね上がるように身を乗り出して、ステラはルアードに勢い込んで詰め寄った。


「ああ! 待って! 謝りますから! 師匠にご迷惑をかけたことは本当に申し訳ないと思ってますから! 私、魔術師になりたくて『メイガス』からここまで来たんです! 到着して僅か一日足らずで帰されるわけにはいかないんです!」

「は? 今、『メイガス』って言ったか?」


 聞き覚えのある地名に、ルアードの表情から驚きが浮かぶ。


「『メイガス』って言ったら北の、北。大陸の最果てに位置するクソ田舎じゃねぇか。なんでそんな田舎に俺の正体がバレてんだよ」

「よくわからないですけど、もしかしなくても馬鹿にしてますか?」


 ステラは、少し傷ついたように眉を寄せた。


「たしかに『メイガス』は開拓地が多いところですけど、ちゃんと学校や教会だってあるんですよ」

「知ってるよ。昔、一度だけ行ったことがある」

「そうなんですか? じゃあ、もしかしたら偶然すれ違ったことがあるかも、みたいな運命的出会いが――」

「いや、ないから」


 ルアードがばっさりとステラの妄言を否定すると、ですよねー、とステラはがっくりと肩を落とす。


「そんなことよりも、どうやって『メイガス』なんてど田舎に居たおまえが、『賢者』の正体を知ったんだ。昨日は俺のことは調べたって言ってたけど、それだけじゃないだろ?」

「……教えてもらったんです」


 やけに含みのある言い方に、ルアードは、ん、と顔を上げ、


「教えてもらったって、俺のことをか?」

「……はい。私、小さい頃から魔術師になりたかったんですけど、『メイガス』には魔術学院はなくて……だから、ずっと独学で魔術を学んでたんです。けど、全然上手くいかなくて……」

「まあ、独学だと限界はあるわな。その言い方だと『メイガス』には人間の魔術師は居なかったんだろ?」


 こくりと頷くステラを見て、ルアードは彼女が自分を訪ねて来た理由を一応納得する。

 魔術とは学問に近い。ちゃんとした知識を教える教師や、実際に魔術を練習できる設備があって、初めてちゃんとした魔術師が生まれるのだ。その為に魔術学院は設立された。独学や我流だけでは、何処まで行っても魔術使いにしかなれないというのは、魔術師たちの共通見解である。

 そういう意味では、学院を退学した過去を持つルアードも魔術師ではなく魔術使いと言われるべきなのだろうが、ルアードの場合は過去の経歴から例外として扱われていた。付け加えるのなら、僅かな期間とはいえ学院に在籍していた事実に間違いはないし、という言い訳もあったりする。


「で、独学に限界を感じていたおまえのところに余計なことをほざいたやつが現れたってわけだ」

「はい。魔術師になりたいのなら、良い魔術師が知り合いにいるから一度会ってみたらどうか、と言われて」


 ステラは控え目に頷いたあと、来るまでの道のりは大変でしたけど、とやたらと重みのある言葉を付け加えた。ここまでの道中に何があったのだろうか。

 なるほど、とルアードは再び納得。とりあえず早急にその人物は粛清する必要があるらしい。

 とはいえ、今の説明で、ステラがどうして自分の正体を知っていて、どうして自分の元にやってきたのかの理由は理解できた。ついで言うのなら、彼女の魔術がへっぽこな理由もだ。


「だったらカルアナが――」

「あ、よかったらステラと呼んでください。私、師匠には名前で呼んで欲しいです」

「いや、意味わからんが……まぁいいか。それで、ステラが俺を尾けてたのはどうしてだ? 俺の顔は知ってたんだろ?」

「え?」

「昨日、俺のことを尾行してただろ」

「バレてたんですか!?」

「むしろなんでバレてないって思ったんだよ」


 あれだけ自己主張の激しい格好で尾行されたら、誰だって気づくものだ。ステラはもの凄く言いづらそうに間を開けて、


「お顔は一目見たときにわかったんですけど……その、ちょっと信じられなくて」

「は? なにをだ?」

「なんかいかにも女性をタラし込んでそうな人だなぁー、って。こんな人が本当に『五人の英雄』の一人として名高い『賢者』様なのかな? って疑問に思ったんです」

「……ほぅ」


 ルアードの声のトーンが低くなった。後ろにいるカナリアが、必死に笑いを堪えている。


「あ、でも! 獣人種に襲われたときに魔術の腕前を見て、間違いなくこの人が『賢者』様だと確信できました!」


 ステラの下手くそな褒め言葉に、ルアードは現金な奴め、と呆れたように息を吐いた。


「ところで、師匠。一つお尋ねしたいことが」

「だから師匠じゃねぇって……言っても無駄か。なんだよ?」


 投げやり気味にそう返事を返すと、ステラは興味津々といった様子の眼差しをルアードに向けて、


「師匠は普段何処で魔術の研究や研鑽をしているのですか? 弟子として、一度拝見したいです」

「研究や……研鑽って、俺が?」

「ほら、名のある魔術師はみんな自分専用の魔術工房や研究室を持ってるんですよね」

「まぁ……そうだな」


 興奮気味に話すステラの言葉に、ルアードは思わず顔をしかめる。戦争をしていた時に敵の魔術師の工房やら研究室やらを襲撃した時のことを思い出していたのだ。あの時代は非人道的な実験をする魔術師が人間、魔族問わずに大勢いた。正直、工房やら研究室といった単語に、ルアードは良い思い出がない。

 しかしそんなルアードの内情を知らないステラの表情は、未だに興奮気味である。


「師匠もやっぱり工房とか研究室とかを持ってるんですよね! あっ! でも『賢者』の魔術研究の成果を狙う不届き者とかもいますよね。きっと! やっぱりあれですか! 施設そのものにも特別な術式とか魔術が施されてるんですか!」


 早口に捲したて、鼻息荒くよくわからない妄想をステラは呟く。ルアードは、なんでそうなるんだよ、と呆れた。更に頭痛が酷くなった気がする。


「いや、待て待て。おまえ、なんか盛大に勘違いしてるから」

「勘違い……ですか?」

「そもそも俺は魔術師をとっくの昔に辞めてんだぞ。おまえの言ってる工房とか研究室なんてものがあるわけないだろ」

「……とか言って、実はあったり?」

「期待してるとこ悪いが、そろそろ真面目にキレるぞ」


 ルアードの頬がヒクヒクと震える。

 そう。大前提として、ルアード・アルバは魔術師を十年も前に辞めている。この十年間は魔術師としての研究も研鑽も一切していない。そして、それはこれから先もずっと続いていくものだと思っていた。

 だが、目の前にいる問題児によって、ルアードの日常は大きく変わろうとしている。二度と関わらないと誓った魔術に、もう一度関わろうとしている事実は、ルアードにとって我慢できる内容ではない。だからこそ、ルアードの一番の願いは、このままステラが弟子入りを諦めてくれることなのだが、


「しかし、それでは私は何処で指導を受けたらいいんでしょうか?」

「しるか。そもそも俺は弟子なんて取った記憶がない」

「ここにいるじゃないですか?」

「知らん。さっきも言ったが、俺は魔術師の弟子なんて面倒くさいもんは取らない主義だ」

「……そうですか」


 ステラは首を振ってから、静かに立ち上がった。そのまま流れるような足取りで、ルアードの隣まで近づき、


「お願いします! 弟子にしてください!」


 ぐわん、と首が落ちるんじゃないかと錯覚するくらいの勢いで頭を下げてきた。おそらくは、それが彼女なりの誠心誠意というやつなのだろう。不器用だが、真剣味だけはわかりやすいくらいに伝わってくる。

 こういう真面目なタイプの馬鹿は苦手だ。煙に巻くことができない。

 そんなタイプのやつにかける言葉は一つしかなかった。


「帰れ」

「お願いします!」


 ――駄目だ。言葉が通じない。


 だんだんと面倒になってきたルアードは、疲れたように息を吐き出した。


「――そう邪険にすることもないんじゃない?」


 と、そこに今まで沈黙を貫いていたカナリアの横槍が入る。


「ステラちゃんはあんたに魔術を教えてほしくて、最果ての地からわざわざ来たんでしょ?」

「だから教えてあげろって? 魔術師は慈善事業じゃねぇんだぞ」

「でも、ルアードが弟子を取ったって知ったら、リーズも少しは安心するんじゃないの?」

「む……」


 たしかに一理ある、とルアードは頷いた。養ってもらっている身としては、可能な限り飼い主のご機嫌は取った方がいい。そんな、クズの極みのようなことをルアードは割と真剣に考えてみる。


「それに、あの手のタイプは下手したらずっとつきまとうわよ」

「うっ……」


 ステラに聞こえないように、耳元で囁かれたカナリアの言葉が決め手となった。


「……仕方ない。おい、バカ弟子」

「は、はい! って、師匠! 今私のことを弟子と!」

「とりあえず仮採用だからな。魔術師になれないって素直に諦めがついたら、大人しく『メイガス』に帰れよ」

「やっ……」

「や?」

「――やったあぁぁぁ! 弟子入りだぁ! これで私も魔術師の道を踏み出せる!」

「訊けよ!」


 狂喜乱舞するステラを見て、まあいいか、とルアードは肩の力を抜く。いろいろと納得がいかない部分は多々あるが、幸いにもステラ本人は悪い人間ではなさそうだ。下手に突っぱねて、しつこくつきまとわれるくらいなら、さっさと魔術師の道を諦めさせた方が早い。それに、弟子にするのならむさ苦しい男よりも若い女の方が千倍マシだろう。


「ありがとうございます! これから御指導御鞭撻、よろしくお願いします!」


 ステラはそう言って頭を再び下げた。その瞳には意欲の炎が燃えている。


「では、師匠。早速ですが修行をお願いします」

「は……? 今からか?」

「はい。いけませんか?」


 ステラが真顔で訊いてくる。なにを当たり前のことを、という態度である。


「いや、いけないってことはないけど……随分と気合い入ってんな」

「勿論です! 時間は有限ですからね! それで、まずは何をすればいいですか? どんな修行でも頑張りますよ!」

「ほう、どんな修行でも……ね」










 後に『賢者』の最初の弟子であるステラ・カルアナは語る。


 ――あの時の師匠の笑みは、とても怖かった、と。

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