言い訳と我儘

「リーズ……」


 さも当たり前のように、家の扉を開けて現れた銀色の髪のエルフは、ルアードの姿を見てもとくに驚いた様子を見せなかった。


「リーズ、 その怪我!」


 額から血を流しているリーズを見て、ルアードは悲鳴に近い声を上げる。だが、当人のリーズは何でもないような口調で、


「え? ああ、興奮していた人が魔族の子供に石を投げた時に、ちょっと」

「ちょっと、じゃねぇよ!」


 おそらくは、その魔族を庇ってできた傷なのだろう。美しい銀色に、無粋な赤が混じっているのが、ルアードには許せなかった。


「《光あれ》」


 短い詠唱の後に、ルアードの手に光が灯る。やがて光は収束し、リーズの怪我をしている部分がみるみるうちに治っていく。

 即席の治癒魔術。体内の自己再生能力を魔力で高めただけの、簡単な魔術だ。魔術には、こういった簡略化も求められる。


「ありがとうございます」


 柔らかな笑みを浮かべて、リーズはお礼の言葉を口にした。それがむず痒くて、ルアードはそっぽを向く。

 暫しの沈黙が生まれる。

 リーズはそれ以降何も言わなかった。ただ、静かに沈黙を守っている。それが今のルアードにはありがたかった反面、逆に居心地の悪さも感じていた。

 ふと、ルアードは考える。

 いつからだろう。こんなにも、逃げることに慣れたのは。

 きっと昔の自分ならば、今頃犯人を見つけようとしている筈だ。魔術師の技能を全て使って、何が何でも自爆を阻止しようと躍起になっていただろう。丁度、今のステラの様に。


「……逃げないのか?」


 沈黙を破るように、ルアードはリーズを見つめて言った。リーズはそう言うルアードを不思議そうに見返し、


「逃げる必要がありませんから」

「あの悪趣味な演説を聞いてなかったのか。もうすぐ『エルギア』はパニックになる。そうなったら、魔族のおまえはどんな目に遭ってもおかしくないんだぞ」


 もしかしたら、既にそうなっているのかもしれない、とルアードは真剣にそう思った。リーズの怪我が言葉以上の証拠になっている。今は小規模なものかもしれないが、数時間後には『エルギア』中がパニックになる可能性だってあった。

 しかし、そんなルアードの不安をリーズは気にもしていない。


「大丈夫ですよ。だって、この街には『五人の英雄』がいるんですから」


 その一言がルアードの全身を震わせた。自らの内側に押し殺していた感情が爆発するのをルアードは止めることができない。


「ふざけんな! 俺らに何ができる! カインツが魔族を全員皆殺しにするのか? リーズが他の魔族を全員『エルギア』から追放するのか? 無理だ! そんなことしても、何の解決にもならない!」

「そうですね。でも、他に何か方法があるかもしれないですし、諦めるにはまだ早いですよ」


 楽観的な思考に、ルアードは苛立つ。

 どいつもこいつステラもリーズもわかってない。どうやっても大円団には行かない事実に、何故気づかないのか。


「不可能だ! 気づいてんだろ? どうやったってこの状況が詰んでることに! 現実を見ろ! カインツにも、おまえにも、出来ることなんてないんだよ!だから――」

「それでも、私たちは『五人の英雄』なんです! 一人じゃ何もできなくても、力を合わして不可能を可能にしてきた! それが『五人の英雄』なんですよ!」


 反射的に声を荒げて、その声に被せるようにリーズが叫んだ。

 この場で初めて、リーズが声を大にしたことにルアードは驚く。驚いて、息を呑んで、そこでリーズが泣いていることに気がついた。

 その涙を見て、ルアードは全てを察してしまう。彼女の葛藤を理解してしまった。

 この場で一番自分の無力さを痛感しているのは、他でもないリーズ本人なのだと。

 理解した上で、ルアードはそれに答える決断ができない。


「俺に何をさせたいんだ……?」


 正直な疑問が口をつく。リーズはじっと、ルアードを見た。


「カナリアやリーズを、ついでにあのバカ弟子も助けてやる。だけど、俺にできるのなんてそれくらいだ」


 嘘だ。もう一人のルアード自分がそう言っている気がした。

 方法はある。確実にみんなが助かる、だけど必ず誰かが不幸になる方法が。


「ステラにも言ったが、爆発を事前に防ぐ方法なんて限られてくる。ましてや百人の魔族を同時になんて、一流の魔術師にだって不可能だ」


 ルアードは投げやりな口調で言う。

 爆弾化した百人の魔族を明日までに全員探し出すことは、どう考えても不可能だ。もはや人一人がどうこうしてどうにかなる話ではない。

 むしろ、今は大人しく『エルギア』から避難して、後日改めて対策を練って、『エルギア』を再度取り戻す方がよっぽど賢い選択だ。

 なにより――


「嫌なんだよ。俺の所為で、『勇者』の願いが壊されるのは。だから……」

「嘘ですよ」


 言葉の途切れた隙間を縫うように、リーズはルアードの手を握った。

 一方的に決め付けるリーズに反論しようとして、しかしルアードはその言葉を呑み込む。苛立つルアードの手を握るリーズの瞳が、とても優しかったからだ。


「私の知ってるルアードは、そんな風に誰かの心配なんてしませんよ。自分がやりたいように、自分がしたいことしかしない人。それが私の良く知るルアード・アルバです」

「んなこと……」

「ありますよ。だって、ルアードはあの『勇者』の友人だったんですから」


 悪戯っ子のような笑みでリーズは言った。


「我儘で、自由奔放。時には自分の命だって平気で自分の我儘を通す為の賭けに使う。そんな二人を見ている身は、正直気が気じゃなかったですよ。何度、この人たちは頭がおかしいって思ったことか」

「ひでぇ……」


 容赦ない辛辣過ぎる評価に、ルアードは逃げるようにずるずるとソファに寝転がってしまった。無茶無謀はよくしていたが、まさか仲間に頭がイカれてるやつだと思われていたとは。

 それでも、リーズの話を聞かないフリはできない。彼女は今の自分を見ても失望せず、何も言わずに世話まで焼いてくれた恩人だ。その人の言葉を無視するなんてできなかった。


「でも……それで救われた人が沢山いたんです。道徳観とか、正義感とか、そういうのじゃなくて……ただ自分がそうしたいからって、そんな身勝手な我儘で救われた人が沢山いたんですよ」


 ぎゅっと、無意識のうちにルアードは握られていた手を強く握り返していた。


「……俺だって、そう信じたいさ」


 ルアードがぽつりと言葉を漏らす。


「でも駄目だ。俺はもう魔術師になる資格はない。『勇者アイツ』に全部の責任を押し付けて、全部の罪を背負わせた俺には……」

「大丈夫ですよ」


 根拠のない言葉を断言して、リーズは続ける。


「ルアード、貴方は本当にやりたいことだけを、やりたいようにやってください。責任とか、その後のこととか、そんな難しい話は私が全部背負います」

「え……」


 なんでそこまで、と見つめるルアードに、リーズは静かに微笑んで、


「当然ですよ。だって、私はそんな貴方を愛してるんですから」


 涼しげな表情で言い切る彼女に、ルアードは暫し言葉をなくした。

 重い愛だ。背負う必要もなく、見返りすら求めない。妄信的で危険な愛。

 『エルギア』を守る為、というよりは、ルアードの為なのだろう。ルアードが選んだ決断を――『賢者』としての力を使わなかったことを後悔することがないように。我儘な自分に戻ることを許せるように、と。


「だから……そういうのはやめろって。俺がうっかり惚れたらどうすんだよ」

「私はむしろ惚れてくれて、全然いいんですけどね」


 敵わないな、とルアードは思った。

 我儘を許してくれる女に世話してもらえるとか、やっぱり自分は人生の勝ち組だ。ヒモだの穀潰しだの言われようが、自分は間違いなく勝ち組だと、改めてルアードはそう実感する。


「……カレーが食べたいな」

「カレー、ですか?」

「覚えてるか? 旅の途中で『勇者』のやつがカレー食いたいとか言って、俺らで作ったよな」


 当時の『エルトリア』の食文化は閉鎖的で、今ほど食べ物の種類も多くはなかった。戦争中だということを考えれば、当然だったのだが、『勇者』はそれを良しとせず、自分が居た世界の食べ物を『エルトリア』で再現しようと試みたのだ。

 それに悪ノリしたルアードが、魔術師が使う触媒やら、怪しいルートで手に入れたよくわからない食材やらを『勇者』に提供したことで、変な方向へ加速。度重なる失敗と腹痛の果てに、最初に再現したのがカレーだった。


「懐かしいですね」

「なんか、久しぶりに食べたくなった」

「なら、今日の夕飯はカレーにしましょうか。せっかくですし、カインツも呼んで」

「一人馬鹿みたいに食うやつがいるから、大鍋で作れよ」

「はい。頑張って作りますね」


 きっと、騒がしい夕飯になる。

 ステラが何皿も平らげて、カインツがその様子を見て苦笑して、リーズがニコニコ笑いながらステラのおかわりを用意して――それを見ながら自分もカレーを食べるのだ。

 でも、それは今のところは叶わない。夕飯を邪魔する野暮用がある。


 ――だから、


「ちょっと出掛けて来る」

「わかりました。夕御飯までには帰って来てくださいね」

「……ああ」


 胸の奥が熱い。内側から湧き上がる鼓動がルアードを打つ。寝転がっている場合ではない、飛び跳ねるようにルアードは立ち上がった。

 正義感ではない。リーズに対する愛情でもない。ステラの為に動くわけでもない。

 ただ、夕飯のカレーが食べたいだけ。

 そんな、ちょっとの言い訳と我儘をぶら下げて、『賢者』は外へと飛び出した。


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