アグレッシブお嬢様と『賢者』の弟子

「というわけで……シャーロット・フォーサイスと申しますわ。先ほどはお見苦しいところをお見せしましたわね」


 騒ぎの中から逃れて転がり込んだ教室で、ルアードを天高く突き飛ばした女生徒――シャーロットはステラに深々と頭を下げた。

 その丁寧な対応に、ステラは緊張気味に声を震わせ、


「ス、ステラ・カルアナです。よろしくお願いします」

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」


 大人っぽい人だなぁ、とステラは改めて目の前にいるシャーロットを見て、ほぅ、と惚けるような声を零した。

 シャーロットは肉体的年齢だけならステラとそう変わらないのだが、ピンと背筋を伸ばした佇まいや話し方の所為で、年齢よりもずっと大人びて見える。『エルトリア』の大陸では非常に珍しい藍色の髪を背中まで伸ばし、その瑠璃色の瞳は宝石のように美しい。その端麗な相貌も相まって、彼女を一言で表すのならば――良いとこ育ちのお嬢様、という表現が相応しいだろう。

 さらに目を惹くのが、彼女が肩にかけているローブだ。

 そのローブに刺繍された赤い線の数は三本――学院の生徒の中で最も優秀な生徒を示す第三階級。つまり、シャーロット・フォーサイスは魔術師として高い実力を持っていることを意味する。


 ――それに比べて……


 ふと、ステラはそんなシャーロットと自分自身を比較してみた。

 大陸では珍しい、という意味では同じの黒い髪。ただし、日頃の修行や生来の性格から手入れは割と適当。お世話になっているリーズ・テンドリックの存在がなければ、櫛を通すことすら稀な黒髪は好き放題に痛んでいた。ちなみに髪の状態に関しては、これでもだいぶマシになった方である。

 特技は食べられる野草やキノコの見分け方。自慢できるところは、その気になれば『エルギア』を一日で走破できる体力。出身は北の最果て。開拓地で生まれ育った田舎娘。魔術の腕前は師匠から才能のカケラもないと太鼓判。


「……酷い」


 ぽつりと呟き、ステラは一人打ちのめされた。

 何が、とは言わないが、色々と酷い。

 お世話になっている家の家主は自分よりも年上で、魔族で、なにより『聖女』の名を持つ英雄だ。女として、人として、自分がまだまだ子供なのだと納得ができる。

 だが、目の前にいるシャーロットは違う。

 ほぼ同い年の同性。髪の長さや髪色の希少性。同じ魔術師見習い。類似する部分が多ければ多いほど、ステラは謎の敗北感に打ちのめされる。


「どうかしまして?」


 ステラの様子に、シャーロットが首を傾げた。


「あ、いえ、その……」


 色々と訊きたいことが、ステラには山ほどある。

 師匠であるルアードと旧知の仲みたいだが、シャーロット・フォーサイスという名前は、自分が弟子入りしてから一度も聞いたことがない。写真なども含めて、おそらくは今回が初対面のはずだ。

 何よりも、ルアードとはどういった関係なのか。

 散々悩んだ末に、一番今訊きたいことはやはりこれだろう、とステラはシャーロットを見つめて、口を開く。


「あの……つかぬ事をお聞きしますが、師匠とはどういったご関係で?」

「なんですの。ご存知なかったのですわね。てっきり、もう話しているものだと」


 意外そうに目を丸くしたシャーロットは、教室の端っこで気絶しているルアードの元に近づき、


「とおうー!?」

「がはぁ!?」


 ルアードの腹部に容赦ないヤクザキックをお見舞いした。ピクピクと、先ほどビンタをモロに受けたステラのように震えるルアードをシャーロットは足で踏みつけながら言う。


「………………………………はい?」


 ステラはシャーロットの言葉を理解するのに、たっぷりと数秒の時間を要した。

 なにを言っているのか、直ぐには理解できなかったのだ。


 ――コンヤクシャ? 混役者? 違う、婚約者か。あれ? 婚約者って、どんな意味だっけ。

 ぐるぐると、ステラの頭の中が混乱する。


「すいません。私、ちょっと耳を診てもらってきます。医務室はどちらですかね?」


 ステラはとりあえず思考の放棄を選択した。

 きっと突発性難聴にでもなってしまったのだ、と自らに強く言い聞かせる。これだけの設備がある学院だ。医務室だって立派なものに違いない。

 普段のルアードを知る者からしたら、到底信じられない内容。何のジョークだと、ステラは笑う。この如何にも育ちが良さそうなお嬢様と、人間以下のヒモクズが婚約者だと言われても、信じられる要素が何一つない。

 しかし、そんな儚い希望を当人のシャーロットが否定した。


「残念ですけど、本当のことですわ。ひッ……じょうにッ! 残念ですけど!」


 何故か二回言うくらいには、シャーロットの中でも屈辱的な話らしい。

 戸惑っているステラに、ようやくダメージが回復したルアードがシャーロットを指差した。


「しゃ、シャロの家は魔術師の家系でもかなり古い家なんだよ。フォーサイス家は昔から優秀な魔術師同士を結婚させることで、一族を繁栄させてきた。優秀な魔術師同士でまぐわって出来た子供なら、次世代の魔術師も優秀だろうって考え方だ」


 長寿種の魔族と比べて、人間は短命だ。

 その短い命の中で魔術を極めようとすると、当然だが時間が足りない。

 なので、魔術師たちは自分の子供に託す。未来の可能性に。己が魔術の全てを。

 シャーロットの家もその考え方が深く浸透していて、昔から優秀な魔術師を嫁或いは婿として招き入れて一族を繁栄させていた。


「『聖戦』が終結するよりも前の話になるんだが……俺は旅の途中で世話になったフォーサイス家の当主様から、シャロの婿にならないかって話を持ちかけられてな。シャロとはその当時からの付き合いになる」

「そうでしたわね。それなのに、ある朝起きたら、貴方はわたくしの前から姿を消した。書き置きもなく、煙が消えるみたいに突然」


 こちらの言葉に被せるように口を挟んだシャーロットが、今にも射殺さんとする半眼で睨んでくる。


「――『聖戦』が終結して暫くが経ったある日、ふらっと戻って来たと思ったら、またふらっとわたくしの前から消えて。わたくしは貴方と過ごしたあの五年の歳月の中で、人生のロクでもなさというのを嫌と言うほど痛感しましたわ」

「いやほら。俺も当時は色々とあったからさ。このままあの屋敷に居たら、シャロにも迷惑かけるだけだと思ったんだよ。だから、今一度自分を見つめ直す為におまえの前から消えたんだ」


 ルアードは哀愁を漂わせ、何処か含みのある言葉を語る。それを白い目で見ていたシャーロットは、


「で、本音は?」

「……よく考えたら初潮も来てないガキの婿になるとかないわー、って思った」

「よし、死になさい」

「待て待て待て待て――ッ!? 落ち着くんんだ! 先ずは話そう、シャロッ! 話せばわかるッ!」

「ふんッ!?」

「ごふッ!」


 慌てふためくルアードの鳩尾に、シャーロットは容赦なく腰の入った右ストレートを叩き込んだ。自業自得過ぎて、流石のステラもフォローができない。

 呼吸困難になって、膝から崩れ落ちるルアードをゴミを見るような目で見下ろした後、シャーロットは大きなため息をこぼした。


「……まあ、そういうわけで、婚約は解消。わたくしの十七年の人生で、一番消したい汚点ですわ」

「お、おまえ……しばらく会わないうちに、随分と逞しくなったな……」

「あら? もう一発欲しいんですの?」


 にっこり、とシャーロットは誰もが見惚れる笑みを浮かべた。それがステラには悪魔の微笑みにしか見なかったが、きっと気のせいだろう。その右手が強く握り込まれているのも、おそらくは幻覚の類いだ。


「……それより、わたくしからもいいですか? 貴女、先ほどこのゴミと一緒に事件の調査に来たとおっしゃってましたが、どうして貴女たちが事件の調査を?」


 再び床に這いつくばるルアードを指差して、シャーロットはステラに矢継ぎ早に質問する。


「はい。私と師匠はカインツ様から事件の調査を依頼されました」

「『剣聖』カインツ・アルマークが?」

「師匠は女の人に寄生するクズみたいな人ですが、魔術師としての実力は本物です。カインツ様はそんな師匠の力をお借りしたい、と」

「……どうやら嘘偽りのない話みたいですわね」


 居住まいを正したシャーロットに、ステラは改めて事情を話そうとした時――立ち上がったルアードがステラを押しのけて前に進み出た。その表情を深刻なものにして、ルアードは口を開く。


「――数日前、学院の生徒が一人行方不明になったのは知っているな」

「師匠、それ初耳なんですけど」

「そう思って話してるんだよ。黙って聞いてろ」


 ステラとルアードのやり取りを見て、シャーロットは不謹慎にもくすりと笑みを浮かべる。しかし、直ぐに表情を引き締め直して、小さく頷く。


「ええ。ニーナ・アシュトルフォ。二学年の中で、一番早く第二階級を取得した魔術師ですわね」

「それこそ初耳だ。ともかく、そのアシュトルフォが焼死体となって発見された。殺害方法から魔術が関わっていることは間違いないが、問題はその魔術に関する手掛かりが何一つ見つからないことだ」


 わずかに視線を宙に彷徨わせてから、シャーロットは眉をひそめた。


「自警団、王宮、はてはこの学院の教員すらも匙を投げたと、生徒のなかではもっぱらの噂でしたけど……本当だったのですわね」

「それについては否定しない。実際、それで俺が駆り出されたわけだし。……しかし、まさかシャロが事件の関係者だとは驚きだ」

「ああ、先ほどのアレですわね」


 シャーロットは腕を組み、重々しく息をつく。


「わたくしと亡くなったニーナ・アシュトルフォとは、多少の因縁がありますの。それを勘違いした者が、ああして私を犯人扱いに。まったく、迷惑な話ですわ」

「でも否定はしてなかっただろ。何故だ?」

「……相変わらず、変なところだけは目ざといですのね」


 ふー、とシャーロットは息を吐き出し、窓越しの空を見つめて呟いた。


「大切な人がいきなり自分の前から居なくなる悲しみは、わたくしが一番理解してますわ。わたくしに当たることで悲しみが紛れるのなら、この程度の役回りは安いもの」

「……偽善者だな」

「偽善者ですもの」


 顔にかかる前髪を払いのけて、シャーロットは悲しそうに笑った。


「とにかくそういうわけで、俺たちはしばらくこの学院の調査をすることになった。差し当たり、生徒たちから事件の話を聞いて回るつもりだ」

「できたら、フォーサイスさんからも事件のお話を聞かせて欲しいです」


 ルアードの言葉を引き継いで、ステラが頭を大きく下げる。

 シャーロットは首を横に振り、


「ご冗談。一生徒であるわたくしの話に、有益な手掛かりなんてあるわけないですわ」

「怪しそうなやつの口を無理矢理割らせるのには役立ちそうだけどな。主に拳方面で」


 真顔で言うルアードの脛を無言で蹴飛ばし、シャーロットはステラに話しかけた。


「――それに、わたくしは知っての通り他の生徒たちから嫌われてますわ。わたくしの話を参考にしても、逆に捜査を難航させるだけじゃないかしら」

「そんなことないですよ」


 足を抱えて地面を転がるルアードを無視して、ステラはシャーロットに詰め寄る。ぐぇっ、と何かを踏んだ音がしたが、きっと気のせいだろう。


「師匠も私も、この学院の内部については全くの無知。どんな情報も無駄になるなんてことは絶対にないです」

「そんなことは……」

「あります! そうだ! フォーサイスさんも一緒に事件の調査をしましょうよ!」

「なんでそうなりますの?」

「誤解を解く絶好のチャンスじゃないですか! それに、私も知っている人が手伝ってくれた方がいいですし!」

「わたくしと貴女は初対面の筈ですが?」

「なら友達になりましょう! 今すぐに!」


 滅茶苦茶な理屈を織り交ぜた力強い言葉と一緒に、手を握ってくるステラを前にして、シャーロットはたじろぐ。視線は真っ直ぐにシャーロットの瞳を見つめ、逸らそうとしても目力でゴリ押してくる。

 しばしの黙考後、シャーロットは諦めたように嘆息し、


「――わかりましたわ」

「……それは、協力してくれるということで……受け取っていいんでしょうか?」

「わたくしもそろそろ犯人扱いにはうんざりしてたとこですし。それに、ルアードともう少し話をしたいとも思ってたところですわ」


 困惑の表情で首を傾げるステラに、シャーロットが薄く笑う。

 途端、ステラの表情はわかりやすいくらいに明るくなり、握っていた手をブンブンと降った。


「ありがとうございます! あっ、私のことは遠慮なくステラと呼んでください! 私もシャーロットさんとお呼びしますから!」

「……なんとなく、ルアードが貴女を弟子にした理由がわかりましたわ」

「……?」

「しかも自覚なしですのね」


 腰に手を当て、シャーロットは呆れたような声で小さく呟く。

 そんなシャーロットの手をステラは御構い無しに引き、


「そうと決まれば、早速学院長室への案内をお願いします。道がわからなくて困ってたんですよ」

「はいはい。わかりましたから、そんなに引っ張らないでくださいな」


 早く早く、と我先にと部屋を飛び出していくステラ。そのはしゃぎように、シャーロットは軽く肩をすくめる。

 訊きたいことはまだまだあったが、とりあえずはこのお転婆娘の手綱を握ることからだ、とシャーロットはステラの後を追いかけたのだった。


「あの……俺のこと忘れてない? もしもーし……」


 ――床に転がったルアードを一人残して。

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