自称『賢者』の一番弟子

 面倒なことになった、とルアードは思う。

 自警団の詰所から少し離れた場所にある自警団員用の宿舎の入り口で、ルアードは深いため息を吐いた。例の自称ルアードの弟子と名乗る少女は、昨日からこの宿舎で寝泊まりしているらしい。牢屋にでもぶち込んでおけばいいのに、とルアードは悪態を吐く。

 通り過ぎて行く自警団員たちのちらちらとこちらに向けらる視線が突き刺さる。やましいことをしているわけでもないのに、どことなく居心地の悪さと後ろめたさを感じてしまう。

 ルアードの足元には、ここに来る道中で受け取ったいくつかの荷物があった。

 件の少女の私物で、一時的に自警団で預かっていた物だ。

 趣味の悪い黒マントと三角帽子。やたらと年季の入った木製の杖。あとは小さなバックが一つ。

 驚くべきことに、これが少女の荷物の全てだった。

 昨日の話が本当なら、少女はルアードに魔術師としての弟子入りを志願していることは間違いない。だというのに、魔術的な触媒や魔術本の一冊も所持していないのは、いくらなんでもどうなのだろうか、と思ってしまう。

 できることなら、この荷物だけをさっさと持ち主に突き返して、早急におさらばしてしまいたかったが、それだけで無事にさよならできるのかと考えれば、間違いなく無理だろうという確信がルアードにはあった。少女がどういった経歴で自分に弟子入りしたいのかは微塵も興味はないが、少なくとも遠い地からわざわざ『エルギア』まで訪ねに来たくらいだ。はいわかりました、と少女が素直に諦めてくれるとは思えない。

 問題なのは、昨日の一件を見た限りでは、少女に魔術の才や知識があるようには見えなかったという点だった。そんな人材を好き好んで弟子にする魔術師は、たぶんいない。いたとしたら、弟子に弱みを握られているか、よほどの酔狂な魔術師だけだ。

 宿舎入り口の柱にもたれて、ルアードはぼんやりと空を眺めた。

 才能が無いから諦めろ、と少女に告げたとして、はたして少女は諦めてくれるのだろうか。

 そもそもな話で、自分にそんなことを言う資格があるのかとルアードは自問自答する。


「あー……めんどクセェ」


 魔術の杖とマント。その組み合わせは、小さな子供に読み聞かせる絵本に登場する魔法使いの正装だ。ひらひらとマントをはためかせ、困っている人を魔法で助ける正義の魔法使い。きっと彼女は、魔法使いそういうものになりたくて魔術を学ぼうとしているのだろう。

 なんの手掛かりすらない状態から目的の人物を探す胆力と、魔族の男を相手だろうが引くことをせずに悪意を見逃せない正義感。ただ、悲しいことに魔術の才能は微塵も感じられず、下手をしなくても早死にしそうなタイプの人間。しかし、その勇気ある瞳は、何処かかつての友人たちを思い出させる。得体の知れない部分も多々あるが、実際、悪人ではないと思う。

 それに結構可愛かったし――と何気なく考えて、ルアードは小さな舌打ちを落とす。

 そういう話ではないのだ。魔術にはもう二度と関わり合いたくないと、十年前の戦争終結時に決めた筈だった。


「つーか、遅いな。手続きとかはまだ時間かかるのかよ」


 傾きかけていた思考を無理矢理に切り替える為にわざと声に出してから、ルアードは宿舎を見る。人の流れは止まっていて、この場にはルアード以外の人はいない。

 いつまで経っても現れない待ち人に、本気で荷物だけ置いて帰ろうかと思い始めた頃、


「――『賢者』様ー!」


 厄介ごと待ち人が漸く姿を見せた。


「……来やがったか」


 もの凄く、心底嫌そうな表情で、ルアードは視線を正面に戻す。

 宿舎入り口から飛び出すようにして、黒のシャツにスカート姿の少女がルアードのいる場所に向かって走って来る。瞳に涙を溜めて、非常に情けない表情をした少女の姿を見て、ルアードは割と本気でドン引きした。

 『エルギア』では希有な黒髪。好奇心を体現した様な大きな瞳。整った顔立ち。それら全てを、情けなさ全開の表情が見事に台無しにしている。


「よう、災難だったな」


 と息を切らしている少女を軽く労う。頬が引き攣っているのは御愛嬌だ。


「あ、はい。ご迷惑をかけてすいません」


 どうやら迷惑をかけている自覚があったらしい。そういう気遣いはいつの世も大切だ。

 空を仰ぐ。清々しいまでに快晴だ。

 少女と目が合う。何か言おうと口を開こうとしたので、その前にルアードの方から話しかけた。


「ほら、これはおまえのだろ?」

「え? ああ! そうです! 私のです!」


 杖とマント。それから趣味の悪い三角帽子と小さなバックを少女に手渡す。少女は大事そうにそれらを抱き抱える。

 その様子を見届けたルアードは満足そうに頷いて、


「それじゃ、俺はこれで」


 丁寧にお辞儀をする少女にそう言ってから、何食わぬ顔で踵を返して走り出した。


「はい、ありがとうございました……って、あ、待ってください! 待って! 私、『賢者』様にお願いがあるんです!」

「っち、やっぱり誤魔化せないか!」


 荷物を抱き抱えながら、少女が必死の形相で追いかけてくる。


「悪いが俺の方はおまえに用なんてないんでな!」

「私! 『賢者』様に魔術を教えて欲しいんです! ――弟子にしてください!」

「断る! 弟子の枠は満席なんだよ!」


 ルアードは問答無用で加速した。両足に肉体強化の魔術を付加して、全力で駆け出す。


「昨日魔術は辞めたって言ってたじゃないですか!」

「覚えてんのかよ!」

「興味があることに関しての記憶力は人一倍良いんです! それ以外は直ぐに忘れますけど!」

「自慢できる要素が何一つねぇじゃねぇか!」


 ルアードがさらに速度を上げると、少女も負けじとさらに加速する。恐ろしいのは、少女の方は魔術を一切行使していない点だ。ぶっちゃけ魔術師よりも衛兵でも目指した方がいいんじゃないか、とルアードは思った。


「待ってください! 『賢者』様!」

「『賢者』様呼びは止めろ! 聞いてて、背中が痒くなる!」

「なら……師匠!」

「だれが師匠だ!」


 逃げるルアードに、少女はしぶとく食いついてくる。大した執念だった。

 自警団の詰所をもうすぐ抜けそうだ。このまま『エルギア』の城下町に入れば、確実に撒けるだろう。ルアードは詰所を抜けた後の逃げ道を頭の中で検索する。


「わた、私は……魔術師になりたいんです!」

「だから、なんで、俺から魔術を学ぼうとするんだよ! 魔術学院でも、他の魔術師に弟子入りするでも、いくらでも方法はあるだろ!」

「師匠がいいんです! 師匠のじゃないと駄目なんです!」

を付けるな! なんかいらん誤解が生まれる!」


 ようやく少女の息が上がってきている。ラストスパートだと、ルアードは自分の限界間近の肺に言い聞かせ、更に加速した?


「ま……待っ……て……くだ……さ……い」


 徐々に、追いかけてくる少女の叫び声が遠のいていく。もう少しだ、と思ったとき――


「待って……お願いだから……待っ……て」


 パタン、と力尽きたような音が、詰所入り口前に響いた。

 ルアードは足を止めて振り返る。

 うつ伏せに倒れた少女がそこにいた。荷物を走る過程で手放していたのか、彼女の後ろには道しるべのようにマントやら杖やらが散乱している。

 その惨状を前に、流石のルアードも気まずくなったのか、ゆっくりとした足取りで少女が倒れてる場所に近づいてみた。

 ルアードが間近に来ても、少女は動く気配はない。文字通り力尽きたように倒れる少女に、恐る恐るルアードは手を伸ばそうとする。

 ぎゅるる、ぎゅるる……という低い音が聞こえたのは、その直後だった。


「……はっ?」


 ルアードは無言で眉を寄せた。

 今もぎゅるる、ぎゅるる、と自己主張を繰り返している音の正体に気づいたルアードは、先程の気まずさから一転して、心底呆れたような表情を浮かべる。音の正体は、少女の腹が鳴った音だった。

 唇を震わせて、少女が言う。


「お……」

「お?」

「お腹空いた……」

「お、おう……」


 思い切り脱力した。

 懇願に近い震え声で、少女は空腹を訴えている。

 冗談はやめてくれ、とルアードは思った。

 ふるふると最後の力を振り絞って、少女は顔を上げてルアードを見る。その瞳には涙が溜まっていた。


 ――なんだその、幸薄そうな少女じみた雰囲気は。


 なまじ美人の部類に入る顔立ちが合わさって、目の前の少女がかなり哀れに見えてくる。


「昨日からずっと……ずっと、ずっとご飯を食べてなくて……ここにたどり着いた時にお金は使い切ってしまったし……丸一日聴取に付き合ってたせいで、ご飯を食べる時間もタイミングも失って……」

「えぇ……」


 えぐえぐと啜り泣くような声で、少女が言う。

 目の前で空腹で倒れた少女はどうやら『エルギア』にたどり着く過程で路銀の全てを使い切ってしまい、そのままの流れでルアードを探し出したと思えば、まさかの自警団の詰所に連行というコースだったらしい。『エルギア』に来たばかりで頼りになる友人もおらず、お金も一銭もない状況は少女の心をへし折るには十分だったようだ。

 話を聞けば聞くほど、ルアード的にはまったく同情できない内容だったが、そのあまりにも哀れな姿を見ると無視するのも悪い気がしてくる。

 ルアードは困った顔で頭をかき、ポケットの中から小銭を探す。出てきた数枚の硬貨を見て、なけなしの全財産の使い道を決めたルアードは一人空を仰いだ。


「……はぁ」


 面倒なことになった。

 それも特大レベルの面倒ごとだ。

 彼女のお腹がもう一度、空腹を訴えるように鳴る。何度聞いても女の子らしくない、自己主張の激しい腹の音だった。

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