二章 『エルギア』魔術学院

朝の日差しと一抹の不安

 翌朝。

 ルアードは揺れる馬車の中で朝靄の空を見上げ、欠伸を一つ落とした。

 ようやく夜が明けたばかりの時間帯。こんなまだ誰も起きていないような時間にわざわざ自分と無関係な事件の調査に向かわなければいけないのかと思うと、ものすごく遣る瀬無い気持ちになってくるから笑えない。

 しかも隣には自称・名助手兼名弟子を名乗る少女が一人。しかしてその実態は、ただの足手まとい兼トラブルメイカーのステラ・カルアナがいる。


 ――不安だ。


「どうかしました? 顔色が悪いですよ?」


 ルアードの隣で、ステラが不思議そうに言ってくる。

 普段は寝坊常習犯なくせに、こういう時だけ早起きだからタチが悪い。


「誰のせいだと思ってんだか……」


 ステラには聞こえない声量で、ルアードは小さくぼやいた。朝早くからここまでルアードが疲労している原因の十割が、この愛弟子にある。

 変な誤解をしたせいで半裸になって迫るカナリアを相手にどうにか誤解を解き、疲労困憊で家に帰れば、今度は同居人のリーズ・テンドリックにやたらと色気のあるネグリジェ姿で迫られた。リーズ曰く、カナリアから色々聞いてますから、とのこと。激しく誤解だし、赤面して迫るくらいなら最初からしないで欲しいとルアードは切に願う。もちろんルアードは不干渉でも鈍感でもないのだが、二人と

 そんなわけで、なんとかリーズの説得を終えて部屋に戻れば、事前の情報収集が大切だと主張するステラが待ち構えていた。そしてステラは、ルアードから魔術学院についてのアレコレを質問し続けたのだ。日付が変わる時間帯まで。

 その結果、ルアードはものすごく寝不足だった。ついでに言うのなら、謎の疲労感もおまけ付きだ。

 まだ到着すらしていないが、早速家に帰りたくなった。


「いやー、楽しみですね。事件の調査なんて、私初めてですよ!」


 ステラが瞳を輝かせて、興奮気味に言ってきた。

 彼女の格好はいつもの黒マントに三角帽子の魔女擬きスタイルなのだが、何故かマントの内側の服装がいつもの黒一色の服ではなく茶色のシャツにハーフパンツと、普段の彼女らしくない。更には何処から持ってきたのか、年季の入ったパイプを咥えている。右手には見慣れた杖を持ち、左手には無駄にレンズの大きい虫眼鏡。やたらとチグハグだが、おそらく彼女の気分的には名探偵スタイルなのだろうと、ルアードは悟った。ついでに、こいつ本当に馬鹿なんじゃないか、とも思った。


「……気合い入ってるな」


 皮肉のつもりでルアードがそう言うと、ステラは何を誤解したのか誇らしげに胸を張り、


「当たり前ですよ。魔術学院で起きた謎の失踪事件を解明するなんて大役を任されたんですから! それ相応の格好で望むのが礼儀ってもんじゃないですか!」

「ああ……うん」


 訂正するのが馬鹿らしくなって、ルアードは曖昧に頷いた。

 正確には失踪ではなく殺人なのだが、曇りなき眼で自らの情熱とヤル気を語るステラを相手に、一々訂正する気にはなれない。というより、ものすごく面倒くさい。

 目的地の『エルギア』魔術学院は、国土の内側寄りにあるとはいえ、到着するまでにそこそこの距離がある。

 ごとごとと馬車に揺られながら、ルアードは窓の外に視線を向けた。

 変な方向にやる気が向いている補佐役という名の足手まとい。謎の多い殺人事件の調査。嫌な予感しかしないと訴えてくる第六感。


 ――ああ、帰りたい。


 今更カインツからの依頼を引き受けたことに文句はないが、その内容が無能な魔術師たちの尻拭いという事実がルアードからヤル気を根こそぎ奪い取っていく。


「そういえば、師匠」

「なんだよ?」


 ステラが思い出したかのように、ぽつりと呟いた。


「どうして師匠が学院の調査に行くことになったんですか?」

「俺が聞きたいくらいだっての。カインツが言うには、学院側向こうからのご指名なんだと」


 そう言ってルアードは面倒くさそうに溜息をつく。本当にそこが一番の謎だ。わざわざ自分を名指しで指名する理由と意図が何度考えてもわからない。


「もしかして……師匠が『賢者』だと知ってたから、とか?」

「それはない。カインツもそこは確認済みだって言ってた」

「じゃあ、なんで?」

「わからん。まぁ……無理矢理接点作るなら、俺が学院に在籍してた時期があるってことくらいか」

「……師匠、魔術学院に在籍してたんですか?」

「ああ。そんなに驚くことか?」

「いや、なんか師匠って最初から最後まで独学で魔術を学んでたイメージがあって」

「んなわけあるか」


 本人的にはどうでも良さげに言ったつもりだったが、ステラは予想以上に話題へ食いついてきた。ルアードは普段こそヒモでニートなクズ野郎だが、十年前に人間と魔族との種族戦争を終わらせた『五人の英雄』の一人なのだ。ちょっと考えれば、ルアードがそれ相応の場所で魔術を学んでいたことなど容易に想像がつく。


「昔の魔術学院は今ほど入学するのが難しくなかったんだよ。極端な話、魔術の適性があれば誰でも入れた」

「へぇ、今とは随分違うんですね。でも、なんで?」

「……戦争で魔術師の数が足りなかったから」


 瞬間、ステラは自分の軽率な発言を呪った。十年前、『聖戦』と呼ばれた種族戦争で亡くなった命の数は途方も無い。それはつまり、最前線で戦った沢山の人や魔族が戦死したことも意味する。兵士の補充は間に合わず、まだロクに実戦訓練も受けていない新兵が使い捨てのように戦場へ投入されるのが当たり前の時代。


「まともに三年間学院に通って卒業する生徒なんて極稀で、ほとんどが適当な理由で飛び級卒業という名の徴兵令。で、そのままどっかの前線基地に配属って流れ。しかも入学するまで生徒にはそのこと伏せてるんだから、詐欺もいいとこだよな」


 そう話すルアードは、いつもと変わらない気怠げで無気力な表情だった。

 偶にルアードは自分の過去をステラ相手にどうでも良さげな口調で語る時がある。その内容が逐一壮大かつ重たい話なのだが、本人はなんでもなさそうに言うのだ。そんな辛い過去を経験した当人はどう受け止めているのか、それとも本当にどうでもいいと思っているのか、それすらステラにはわからない。

 故に、ステラはどう返事をすべきか悩んだ。

 そんなステラにルアードは、少しだけ後悔した。


 ――やっちまった。


 複雑そうな表情で見る弟子の姿に、ルアードは自分が彼女に無意識で苛立ちを打つけていたことを自覚する。自分が思っている以上に魔術学院の横暴ぶりに腹が立っていたようだ。ルアードはそっと息を吐き、


「まあ、俺は途中から勉強するのが面倒になって自主退学したけどな! 難しい呪文書を山ほど書き写したり、なんか偉そうな思想語られてもわけわからんだったしで、ロクな思い出がないぞ、あそこは!」


 場の空気を変える為、ルアードはわざと偉そうな態度でそう言った。

 そんなルアードにステラは呆れたような眼差しを向ける。


「ええ……なんでそんな人が『賢者』になれたんですか」

「ほら、俺って天才だから」

「でも女の人に寄生するヒモ野郎ですよね」


 むしろ自分で自分のことを躊躇いもなく天才と言い切れる自信が凄い、とステラは思った。これで本当に魔術に関しては間違いなく天才で、大陸中の魔術師たちの目標なのだからタチが悪い。英雄譚に出てくる至高の魔術師『賢者』の正体が、ヒモ。その事実を世間が知った時の反応を想像して、冗談抜きで救いがないなぁ、とステラはそっと胸の中に今想像した光景をしまい込んだ。


「ま、着いてくるって言ったからにはおまえも覚悟くらいはしとけ。あそこはマジで魔術に魅入られた奴が集まって出来たヘンタイの巣窟だから」

「……え?」


 そんなこんなで。

 お互いになんとなく先行きに不安なものを感じながら、二人を乗せた馬車は『エルギア』魔術学院へと到着した。

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