違和感

「なんか……変ですよね」


 栽培場に向かう道中、不意にステラが呟くような声色で言った。その短い一言に様々な意味が込められているのは明白だったので、ルアードはその呟きを無視するという選択肢を排除する。

 その代わりにルアードが選んだのは、とりあえず愛弟子をおちょくるという選択肢だった。


「どうした、バカ弟子。おまえの頭が変なのは今に始まったことじゃないだろ」


 ステラは心外だとばかりに反論する。


「それを言ったら、師匠は常に外道思考のロクでなしですよね」


 言い得て妙だ。皮肉を言われながらも、ルアードは弟子の反論に不思議と納得してしまった。彼女を弟子にしてからというもの、思考がサディスティック一直線に向かっている気がする。今一度、考えを改める必要があるのかもしれない。

 しかし、だからといって師匠に対しての失言を見逃すわけにはいかない。目上の人に対しての礼儀やケジメは大事なのだ。


「…………せいっ」


 ルアードは無言で指先に魔力をこれでもかと集約させて、渾身のデコピンを放つ。直後、ドゴッ! とおよそ人から発して良いとは思えない音がステラのおでこから鳴り響いた。音の発生源たるステラは痛みから絶叫し、暴れるように地面を転がり回る。


「がうおおぉぉ! 頭があぁぁぁ! 割れる! 割れるうぅぅ!」

「それで、何が変なんだ?」

「ちょ、ちょっと待ってください。おで、……おでこが尋常じゃないくらいに痛いです」

「そうか、ならもう一発いくか」

「この、外道魔術師ぃぃぃ!」

「そんなに褒めるなよ。恥ずかしい」


 悪魔だ、悪魔がいる。ステラは心の底から師匠の不幸を本気で願った。


「で、何が変だって?」

「う、上手く説明ができないんですが……この事件、調べれば調べるほど変な気分になっていくんですよ」

「変な気分? まあ、重要参考人が脳筋思考な女二人と、変態街道真っしぐらなストーカーって時点でロクなやつはいないが」

「それもありますけど……、それだけじゃなくて。なんか、事件そのものに違和感があるような気がするんです。こう……なんかもやっとするといいますか」


 事件そのものに奇妙な違和感。それは本来なら気にかける必要のない意見だろう。しかし、それがステラの直感から来るものとなれば話は別だ。

 以前にルアードたちが関わったとある事件も、解決の糸口はステラの直感だった。そういう意味では、ステラの言っていることは考察する価値がある。


「もやっとする……ね」

「私も自分で言っていてよくわからないんです。……ああ、なんか上手く説明できません。こう、注文した食べ物をいざ食べてみたらイメージ通りじゃなかったときみたいな感じで!」

「いや、意味わからんから」


 本人が言う通り説明になっていないし、ステラ本人がわからない以上、ルアードもその違和感とやらがわからない。だが、伝えたいことだけはぼんやりとだが伝わった。


「師匠はどうですか? 師匠も違和感的なのを感じたりとかしてます?」


 ステラが真っ直ぐな眼差しでルアードを見つめる。暫しの沈黙の後に、ルアードは首を縦に振った。


「まあ、違和感というか純粋な疑問はあるな」


 案の定、即座にステラが食い付く。


「それはなんですか、師匠!」


 人目も気にせずに、ステラはルアードの胸元へと詰め寄った。二人の関係を知らない他人が見れば、恋人が抱き合っているように見えなくもない距離感だ。それこそ、ルアードがほんの僅かに顔を前に突き出せば、お互いの唇と唇が重なってしまいそうな距離だった。

 ルアードは、近い近い、と鬱陶しそうにステラを引き剥がしてから、


「さっきから調査が順調過ぎる。事件調査って意味なら文句なしの展開なんだが、それだと俺たちがここに来た理由と矛盾する」

「調査が順調なのが駄目なんですか?」


 言葉の意味が理解できずにステラが首を軽く捻る。先を促すような視線に、ルアードは小さくため息を一つ落とした。


「俺たちは自警団や王宮魔術師が調べた結果、何も手掛かりが見つけられなかったから其奴らの代理で学院ここに来たんだぞ。それなのに、来て早々に有益な手掛かりや情報がこうして集まっている。これって、普通に考えたらおかしいだろ」


 調査を依頼された時にさして真面目に訊いていたわけでないが、カインツは今回の調査に数日の時間をかけたと言っていた。おそらくは人員も資金もかなり使ったに違いない。それだけのことをしても、カインツは事件の手掛かりはおろか目撃者の一人も見つけられなかったと言っていたのだ。

 ところがだ。

 ルアードたちが学院に来て数時間のうちに事件の調査に協力的な人物が登場し、更には事件解決に有益な情報がさしたる苦労もなく勝手に集まっている。そのことにルアードは先程からずっと疑問を抱いていた。

 ――まるで、誰かがルアードたちに事件を早く解決しろと告げているような。


「あれ、そう言われてみれば……そうですよね」


 ようやく理解が追いついたステラがなるほどと頷く。


「というか、なんで最初に事件を調査してた人たちはレィンティアさんやマーベルストンさんから話を訊かなかったんでしょう? 話を訊く限りだと、意図的に二人が黙ってたって感じではなさそうですし」

「さあな。まぁ大方、調査に来てた奴らが無能だったからだろ」

「いや、そんな身も蓋も無い理由なわけ……」

「――もしくは、誰かが意図的に二人を関わらせないように動いたか」

「えっ?」


 ステラは言葉を詰まらせた。ありえないことを聞いたみたいに目を丸くする。


「誰が、何の為にそんなことを」

「普通に考えたら事件の犯人だが……」


 その推測を素直に受け取っていいものか、とルアードは躊躇う。

 作為的と感じてしまうほどに順調過ぎる調査状況。次々と現れる協力者。そして、浮かび上がる犯人候補。

 胸の中に渦巻く疑惑の山に、思考が否が応でも回転していくのがわかる。長年の経験が伝えてくるのだ。この事件の全容は、絶対にロクな内容じゃないと。


「とにかく、今は栽培場に行ってみるしかないか」


 見えない誰かに裏から操られているような気持ち悪さを振り払い、ルアードは視界に映る栽培場を見上げた。


 ――その瞬間ときだった。



「――伏せろッ!?」

「へぶっ!」


 突然、ルアードの体が跳ねた。

 ステラの頭を左手で鷲掴みにして、力任せに地面へと叩きつける。いきなりのことにステラはおでこを地面に打つけ、勢いよく舌を噛んだ。


「《縛れ・鋼の鎖》」


 硬いもの同士がぶつかり合ったような音がステラの頭から発せられたのを無視して、ルアードは右手を草むらへと向けて捕縛の魔術を行使する。

 直後、地面にキスするステラの頭上を巨大な火炎が通過した。

 火炎の塊と銀色の鎖が交差する。建物の一部に被弾し、草木が勢いよく燃え上がった。


「おいおい……マジかよ」


 ルアードは信じられないものを見たような声色で呟く。

 栽培場の入口。その近くにある草むらの奥に、その人物は立っていた。

 自分を狙って放たれた鎖を紙一重で避けて、襲撃者はルアードたちの方に向き直る。

 仮面の魔術師がそこにいた。

 目尻深くまで隠れた黒のローブと、道化を彷彿とさせる白い仮面の所為で表情はおろか性別もわからない。背格好も中肉中背。見た目だけで正体を判別するのは不可能だろう。

 はっきりとわかるのは、この襲撃者がルアードたちに明確な敵意を持っていることだ。

 その敵意にまったく気圧されることもなく、ルアードは前に出る。ステラも習うように愛用の杖を構えた。


「犯人は事件現場に戻るものって、なんかの本で読んだ記憶があるが……マジで現れるとはな」


 内心の動揺を悟られまいと、ルアードは余裕のある表情を崩すことなく、お互いの戦力を分析する。いかにルアードが『賢者』と呼ばれていた魔術師でも、ステラという足手まといをカバーしながらの戦闘だと分が悪い。おまけに目の前にいる仮面の魔術師が本当に事件の犯人だと仮定するのならば、その実力はかなりのものだと予測できる。


 ――ステラだけでも逃すべきか。


 はっきり言ってしまえば、ステラはこの場においてルアードの枷でしかない。


「貴方がニーナ・アシュトルフォ殺害の犯人ですか!」


 そんなルアードの内情を理解しているのかいないのか、ステラは仮面の魔術師に向かって力強く叫ぶ。頼むから大人しくしててくれ、とルアードは切に願った。


「…………」


 問いに答えることなく無言のまま、魔術師は右手をステラへと向けた。直後、指先に嵌められた指輪が赤く光り、魔術師の手のひらから火炎の塊が放たれる。


「ひゃわッ!」


 だが、その火炎は攻撃の為に使われたわけではなかった。放たれた火炎はステラの足元に着弾し、ゆらゆらと地面を燃やす。その行動が何を意味しているのかをステラは瞬時に理解する。威嚇射撃と、先程のステラの問いに対しての返答だ。

 間違いない。即座に頭の中で出た結論に、ステラは奥歯を強く噛む。目の前にいる仮面の魔術師はこの事件に深く関わっている人物だ。

 故に――ルアード・アルバは迷わない。


「――《水よ・かの者を捕らえろ》」


 完全な不意打ちだった。短い詠唱の後、水流が地面を疾り、襲撃者の背後から滝のような水量が一気に降り注ぐ。

 反撃の魔術を詠唱する暇も与えず、水の暴力が濁流となって仮面の魔術師を一気に呑み込んだ。


「って、師匠!」


 なんのためらいもなく犯人らしき人物を攻撃したルアードに、ステラが驚きの声を上げる。

 しかし、当の本人はそんなことは知ったことかと言わんばかりに、さも当たり前のような口調で言う。


「ごちゃごちゃした駆け引きは苦手なんでな。とりあえず口が動けば、後はどうでもいいだろ」

「いや、だからってこんな……」


 ルアードの言い分はステラも理解できる。だが、いくらなんでもこの方法はどうかとも思う。無力化の為に溺れさせて意識を奪うやり方は、端的に言ってエゲツない。下手をしたらこのまま溺れて死んでしまう可能性もある。

 だというのに、ルアードは迷いなくその手段を実行した。場違いにもステラは仮面の魔術師の生死を本気で心配する。

 そして、やはりそれは場違いな考え方だった。


「ちッ……」

「嘘……」


 ルアードが小さく舌打ちを落とし、ステラは信じられないものを見たたような表情でその光景を凝視した。

 二人の目の前で濁流が文字通りの意味で爆ぜたのだ。その中心で、仮面の魔術師が無傷で立っている。

 何をしたのか、という疑問は湧かない。何故なら、その答えが明確に視覚できたからだ。


「水が、蒸発してる……?」


 それは、恐怖からくるものだったかもしれない。ステラは唇を震わせる。

 閉じ込めていた水が蒸発してしまうほどの高熱が、魔術師の右腕から燃え上がっていた。赤く光る指輪を中心に、煉獄の炎が揺れている。

 ステラが息を呑んだ次の瞬間、濁流が音を立てて爆発した。

 破裂した水が大雨の日ように降り注ぎ、三人を濡らす。

 いったいどれほどの熱量を加えれば、あれだけの水量が一気に蒸発できるのか。規格外過ぎて見習いのステラには想像もできない。化け物じみた魔術だった。まさしくそれは悪魔の力だ。


「あんた、まさかとは思うが……その力は」


 忌々しいものを見るような目つきで、ルアードは仮面の魔術師を睨む。

 規格外過ぎる炎の魔術。赤く光る指輪。詠唱や魔法陣を必要としない術式。ルアードはその全てに見覚えがある。


「――これは、警告だ」


 仮面の奥から、しわがれた声が溢れた。酒灼けにも似た声は、若い魔術師たちが集う学園には不釣り合い過ぎる。


「これ以上、ニーナ・アシュトルフォに関わるな」


 警告、というよりは命令。おそらくは事件のことをしつこく嗅ぎ回るルアードたちを邪魔だと判断したのだろう。

 しかし、ルアードもステラも素直に言うことを訊くタイプではない。ルアードはいかにも小馬鹿にするような表情で挑発する。


「おまえは馬鹿か? 犯人が目の前に現れたのに、じゃあ帰るとか言わないだろ。頭沸いてんのかよ」


 苛立つように魔術師が仮面の奥で歯ぎしりをする音が聞こえた。


「それに、。なんでそいつがここにある」

「ほう……コレを知っているのか」

「嫌ってほどにな」

「……そうか」


 右手から再び光が灯る。


「もう一度だけ言おう。これ以上、ニーナ・アシュトルフォに関わるな」

「嫌だと言ったら?」

「その時は――新しい犠牲者が生まれるだけだ。こんな風にな」


 仮面の魔術師がそう口にしたのと同時に、火炎が波となってルアードたちに襲いかかった。

 これがルアード本人を狙ったものならば、ルアードが慌てることはない。いかなる魔術師も自分以下の格下だとルアードは本気で思っている。そして、それは正しい。故に、魔術の不意打ちならば、ルアードには何の問題もなかった。

 その炎がルアードではなく、ステラを狙ったものでなければ。


「ステラァ!」


 狙いに気づいたルアードが駆け出す。ステラは虚を突かれて反応ができていない。そもそもこの火炎の波を防ぐ方法がステラにはなかった。

 ルアードは即座に術式を構築する。


 ――詠唱を破棄。


 ――魔法陣の生成過程を省略。


 ――『マナ』効率を無視。



「《防げ》」


 巨大な水の壁がそそり立ち、火炎がそれを丸ごと飲み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る