仮面の魔術師
正直な話、ルアードは今回の事件にそれほど関心も興味なかった。
人を魔術で、それも同じ魔術師を殺める事件は確かに恐ろしい事件だ。新たな犠牲者を生まない為に、躍起になって事件解決に動く者たちの気持ちもよくわかる。
しかし、犯人が魔術師であるかぎり、ルアードには微塵も不安になる要素がなかった。伊達や酔狂で大陸最強の魔術師を自負していないし、『賢者』なんて二つ名で呼ばれることもない。それくらいにルアードは魔術というジャンルで最強だったのだ。
だからこそ、口では足手まとい扱いをしていたステラを事件の調査に同行させた。何があっても自分ならステラのことも片手間で守ってやれるという自信。或いは、そんな自信そのものが過信だったのかもしれない。
――甘かったのだ。
事件に対する意識も危機管理も全てが甘かった。
その結果がこの
「くっ……!」
普段のルアードには似つかわしくない苦悶の声が炎によって掻き消える。
魔術で生み出した水の盾が、炎の波に当てられて蒸発していく。一秒と持たずに先端から溶けていく盾は、次第にその大きさを小さくしていった。
火と水がぶつかったら、どちらが勝つのか。
そんな質問を投げかければ、十人のうち九人が水の方だと答えるだろう。火は水で鎮火する。それは子供でも知っている常識だ。
だが、残り一人。火の扱いに長けた魔術師たちは迷うことなくこう口にする。
間違いなく火の方だ、と。
「あっ……ちぃな! クソが!」
悪態を吐きながら、ルアードは蒸発していく部分に『マナ』を巡らせる。一秒単位で消滅していく魔術式を、それよりも早い速度で再構築していく。しかし、その速度も次第に追いつかなくなってきていた。段々と水の盾が炎の勢いに負け始めてきたのだ。
一見すると万能に見える魔術だが、実際には使用するまでに様々な過程や工程を必要とする。
仮に最初から最後まで手順を省略しない場合、その手間はかなりのものだ。
まず最初に魔術式を構築し、『マナ』の循環を促す為に魔法陣を描き、最後に専用の呪文詠唱を『マナ』を体内に集めながら唱えることでようやく魔術は起動する。基本的にこのプロセスが変わることはない。
故に、ルアードは憤慨した。
目の前にいる仮面の魔術師はそのプロセスを全て無視している。詠唱も魔法陣も使わず、『マナ』を循環させる動作も必要とせず、自らの意思のみでこれほどまでに高度な魔術を行使しているのだ。
そんな芸当、『賢者』にだって不可能だというのに。
「無様だな。くだらない正義感で余計なことに首を突っ込むからこうなる」
「抜かせ、カスやろう」
なにより腹立たしいのは、その技能が人工的に造られたものだったことだ。
ルアードは魔術師である自分に誇りも信念も持ち合わせていないが、それでも許せないことはある。
ルアードは苛立ちを隠さず、怒鳴りつけるように背後にいるステラに向かって叫んだ。
「ステラ! なんでもいいから魔術を使え!」
「うぇっ! な、なんでもいいからと言われても、何の魔術を使えば……」
「発動できればなんでもいい! あのクソ野郎に一発かませ! このままだと、二人仲良く丸焼きのローストチキンだ!」
欲しいのは隙。ほんの一瞬で構わない。それだけあれば、この消耗戦を逆転劇変えられる。その為には、非常に不本意だが愛弟子の協力が必要だった。
「で、でも……」
不安げにステラが前で炎を防いでいるルアードを見上げる。
「大丈夫だ! お前ならやれる。ってかやれ!」
無茶苦茶だ、とステラは内心で泣きたくなる。しかし同時に、自分たちがどれだけやばい状況なのかも理解できた。普段なら絶対に言わない励ましの言葉。それが、今のルアードに余裕がないという何よりの証拠だった。
「早くしろ!」
「はっ、はい!」
灼熱の中でステラは呼吸を整えて、早速魔術の起動に取り掛かる。問題は何の魔術を使うべきかだ。
「火の魔術はだめだし、水の魔術は使えないし……なら、あれしかない」
自分が使える魔術を頭に思い浮かべ、その中からまともに使えそうなものを選択する。
ルーンが引き起こす深層心理に語りかけ、水銀を使って地面に魔法陣を描いていく。
一方、目の前ではルアードが少しずつだが押されていた。じゅっと肉が焼ける音が鼻を刺激するたびに、ステラの胸中は焦燥に焦がされる。急がなかければ、と双肩にのしかかるプレッシャーに押し潰されそうになりながらもステラは水銀を指で走らす。
「師匠、できました!」
魔法陣を描き終えたステラが叫んだ。
「よし! 『マナ』循環は無視していいから、思いっきりぶちかませ!」
――この時、ルアードは二つのミスを犯していたことに気づいていなかった。
一つ目は、久しぶりの実戦でルアード本人がかなり焦っていたこと。有り体に言えば、パニクっていたのた。実は言えば、ルアードは二つ以上の魔術を同時に使うことができる。なので、水の盾を展開したままでも相手を攻撃する魔術を使用できたのだ。
「《風の精霊よ・我が願いに応え・敵を捉えよ》」
ステラが静かに呪文を唱え、描いた魔法陣に魔力の光が灯る。
その瞬間、魔法陣を起点にして爆発的な風が巻き起こった。ステラが使ったのは風の捕縛魔術。突風によって相手の動きを封じる魔術をステラが選択したのは、彼女が極力相手を傷つけないように配慮したからだ。
「馬鹿っ!」
「……へ?」
それが、この場で唯一選択してはいけない魔術だとは知らずに。
――二つ目にルアードが犯したミス。
それは、ステラに魔術を使わせたことだ。彼女の魔術は基本的に失敗する。それも予想外な形でだ。そんな歩く人間爆弾にパニクっていたとは言え、魔術を使わせてしまった。しかも、思いっきりぶちかませと命令までして。
「ひゃわわ!」
案の定、ステラが使った魔術は本人の制御から外れて暴走し出した。横槍のようにルアードと仮面の魔術師の二人に向かって風が襲い掛かる。
「ああ……もう!」
ルアードはステラを庇うように胸元へと引き寄せた。この後に起きる最悪をルアードは予想していたからだ。
魔術には相性がある。その中でも有名なのが、水や火といった自然系統の魔術は風の魔術と相性が良く、組み合わせれば効力を何倍にも膨れ上がるというものだ。
そう、相性が良いのだ。それも特別に。
膠着状態だった炎と水の魔術に、風が無理矢理にその勢いを増幅させた。想定外の形で勢いが増した『マナ』の塊が術者の制御から離れて一気に破裂する。
直後、火と水と風。全ての魔術が破裂するように爆ぜた。
それは、栽培場を跡形もなく吹き飛ばすには十分な威力だ。
数ヶ月前に起きたテロ事件を思い出させるような爆発音が学院全体に響き渡り、建物を大きく揺らす。
天変地異にも似たその状況は、僅か数秒で終わりを迎えた。
だが、破壊の爪痕ははっきりと刻まれている。
そこに残されたのは、抉るようにできた巨大なクレーターと廃墟と化した栽培場だ。
かろうじて無事だったのは、急いで起動した結界魔術で爆風を防いだルアード。そして、ルアードが咄嗟に庇ったステラだけだった。
「逃げた……のか?」
辺りを見渡すが、仮面の魔術師の姿はない。
どうやら今の爆発に乗じて逃亡したらしい。
「むきゅうぅぅ……」
災害を起こした張本人は、目を回して気絶している。マントが少し汚れているが、彼女自身は無傷だ。こんな状況でも杖と帽子を無くさないように抱きしめているのは、素直に感心する。
ルアードはため息をつきながら、もう一度周囲を見回した。
背後あった栽培場はその入り口を半壊させ、中で育てられていた貴重な触媒たちは軒並み全滅している。
周辺にある木々は根元から綺麗に吹き飛んでいたし、地面にはクレーター以外にも無数の亀裂ができていた。これら全てを仮面の魔術師に全てなすりつけるのは、かなり無理がある気がする。
ルアードはこの後の事後処理を考えながら、腕の中にいるステラに視線を向けた。ステラは、先程と変わらずの間抜け面で眠っている。
「……どーすんだよ、これ」
そんなステラの寝顔を眺めて、ルアードは色々と諦めたように再度ため息をついた。
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