大陸最強の魔術師

 その光は鐘の音と共に、地を破るようにして現れた。

 最果ての位置から突如として溢れ出た光は地面をなぞり、その光を拡散させ、やがて巨大な陣を描いていく。それは、『エルギア』全土を覆うように描かれた魔法陣だった。

 大地の揺れがダイレクトに伝わり、建物全体が軋むのを感じながら、ルアードは唇を舐めて湿らせる。

 目の前で描かれていく巨大な魔法陣は、過去にルアードが描いたものだ。それが十年の歳月の間ずっと、封印の魔術によって塞き止められ、頑なに隠されていた。その封を、一人の少女が破ったのだ。


「おおぉ……あいつ、マジでやりやがったのか」


 隠され続けていた魔法陣が組み込まれていた術式を起動していく様子を見て、ルアードが小さく息を吐く。


 ――明言しておくのならば、決してルアードが鐘を鳴らすタイミングと陣が描かれるタイミングを合わたわけではない。


 タイミングが合ったのは偶々の偶然であり、見方を変えれば、ある意味での必然。強いて言うなら、弟子を信じた結果だった。

 僅かな時間しか共に過ごしてはいないが、自分の弟子であるステラ・カルアナならば、これくらいのことはやってのけるという信頼。

 だがらこそ、ルアードは驚きも感激もしなかった。


「あんた……一体、何を……何をした?」


 背後でルアードと同じ光景を見ていたモーリスが唇を震わせて問うた。鐘を鳴らしたが最後。強力な精神操作の魔術によって、百人の魔族が自爆する。そんな未来をモーリスは見ていた。だが――


「どうして魔族たちが自爆しない!? 魔術が何故発動しない!?」


 地団駄を踏み、先ほどまでの余裕のある笑みが剥がれたモーリスの叫び声が木霊する。

 爆発は――自爆の術式を組み込まれた魔術は起動しなかった。

 組み込まれた術式が起動せず、『エルギア』を疾る光の奔流と鐘の音だけが城下町へと響き渡る。


「ど……どうなってる! 一体何をしたァ!」


 有り得ないものを見る目で、モーリスはその原因ルアードを見た。


「十年前。『聖戦』の時代に、何故『エルギア』が人類最後の牙城と呼ばれていたか……おまえ、知ってるか?」


 動揺し、錯乱しているモーリスを完全に無視して、ルアードは思い出話をするような口調で話し始めた。


「それはな、当時の俺が『エルギア』のレイラインを使って、魔族にとっての天敵とも言える魔術を起動していたからだよ。それは――『エルギア』内部での『ヘカ』の完全封殺。平たく言えば、魔族だけが魔術を使えなくなる封印結界だ」

「な……」

「残念だったな。百人だろうが、千人だろうが、魔族である以上俺には関係ねーよ」

「『ヘカ』の、完全封殺……だと……」


 ルアードの言葉に、モーリスは息を呑む。

 確かに魔術が魔術によって相殺することができる性質上、起動そのものを封印したり、発動前の術式を解呪する魔術は存在する。だが、それは特定の魔術に対して専用の術式が必要であり、しかも魔術師としての格付けがかなり低い相手のみ有効という前提条件がなければならない。実際、過去の歴史を遡っても人間の魔術師に対して高位の魔族の魔術師が行なった実例は無くはないが、その逆は存在しない。

 しかし、その歴史をひっくり返すようにルアード目の前の男は百人以上の魔族全ての魔術をたった一人で封殺できると言うのだ。


「あ、ありえない!? そんな魔術、訊いたこと――」

「それゃそうだろ。『聖戦』終結時に俺が俺以外の関係者全員の記憶を封印したし、その魔術が存在していたなんて記録も残されてないんだから」

「なっ……!」

「信じられないって顔だな? なら、試しに魔術を使ってみろよ。ほら」


 挑発するようにルアードが言う。

 本当に魔術が使えないからこその余裕。それがモーリスの逆鱗を刺激した。


「この……っ!? 《……――》」


 頭の中でこれからの結末をわかっていながらも、モーリスは自らの右手をルアードに向けていた。それと同時に体内の魔力を生み出す器官を刺激し、内側から『ヘカ』を出そうとしたところで――自らに起きた違和感に気づく。

 魔術が起動しない。魔族を封殺する結界。その意味を、モーリスはこの時になって漸く正しい意味で理解した。


「『ヘカ』が使えない……いや、これは……使おうとする意思そのものが搔き消される……?」


 そこにあるはずの感覚を使おうとした瞬間、その意思が一瞬で搔き消える。まるで、最初から魔術そのものを使おうとしなかったみたいに――


「仕組みはおまえの使った精神操作の魔術と一緒だよ。術式の有効範囲内での『ヘカ』を使おうとする意思そのものを、使う前の状態に上書きする。簡単、シンプル、超単純の三拍子。それが俺の結界魔術――《賢者の塔》だ」

「意識の上書きだと……そんな簡単な魔術で……いや、だとしてもこんな広範囲をたった一人の魔術師が……」

詰みチェックメイトだよ、モーリス・フェイカー。おまえ魔族にこの結界は破れない」


 ルアードの説明を訊いたモーリスは戦慄と共に驚嘆する。

 理屈としては正しい。魔術師同士の戦いおいて、敵の魔術だけを一方的に封殺できるのなら、それは正しく無敵の力だ。ワンサイドゲームどころの話ではない。『エルギア』という街そのものが魔族殺しの結界として機能している限り、この街で魔族は非力な存在と化す。

 言い方を変えるのなら、『エルギア』という街そのものがルアードにとっての魔術工房であり、この街でルアード・アルバという魔術師に勝てる魔族は存在しないということだ。

 そんな芸当ができる魔術師を、モーリスは訊いたことがない。ある一人を除いて。


「こんなの……それこそ街全体を自分の魔術工房にするのと同義な高度魔術だぞ……あんた、一体、何者なんだ!?」

「ルアード・アルバ。元・『賢者』様だ」


 その言葉にモーリスが信じられないものを見たような表情で目を見開き、焦燥と絶望を露わにして叫んだ。


「『賢者』、だと……。馬鹿な! 『賢者』は十年前の『聖戦』で戦死した筈だろ!? それがなんで今更……」

「あー、あれだよ。一日限定の復刻って言うか、復活って言うか、まあ、そんな感じだ」


 だが、それなら逆にモーリスは納得できると思ってしまった。このルアードという男は大陸最強の『剣聖』と旧知の仲であると同時に、魔術師としての知識もかなり深い。むしろどうして自分は今の今まで気づけなかったのだ、とモーリスは自分の見通しの甘さを呪った。目の前にいるこの男が、英雄譚に登場する本物の『賢者』ならば、これくらいの奇跡の一つは平気でやってしまうのも不思議ではない。


「そんな……オレの夢が……こんな……こんなことで……」


 反撃の手がないと理解し、戦意を失ったモーリスが膝から崩れ落ちた。

 彼が求めていたのは、人間と魔族との不協和音。大きな亀裂を生み出すことで、『聖戦』のような戦争を引き起こすことである。

 しかしその悲願は、ルアード・アルバという人物によって潰された。

 爆弾化した百人の魔族を捕まえられても、代わりとなる魔族はいくらでも調達できる。魔族たちを『エルギア』から追放すれば、テロそのものは防げるが、種族間の亀裂ができてしまう。

 どう転んでも負けはないはずだった。計算を重ね。用意周到に準備をしてきた。それなのに、たった一人の人間によって計画を潰された。それも、魔術師としての格の違いを見せつけるような、単純な力技で――

 虚ろな表情を浮かべるモーリスの前で、ルアードは、さて、と呟いた後に静かな口調で言った。


「おまえにはもう打つ手がない。俺は魔族じゃないから、この結界の中でも魔術は使える。騒ぎを聞きつけて、時期にここにも自警団の奴らか王宮の親衛隊が来るはずだ。――どうする? 逃げるなら今だぞ?」


 言って、ルアードは自分が来た入り口を指差した。ルアードに犯人を捕まえる気はない。ただ、自爆テロを防げればそれでいいのだ。だからこそ、ルアードはモーリスの意思を尊重する。魔術師としての格付けは済んだ。魔術師としての心も、技術も叩き折った。仮にモーリスが逃げようが、ルアードにはどうでもいい。


「殺せ……」

「あん? やだよ、面倒くさい。そんな暇あるなら、さっさと逃げろって」

「……嫌だね」

「は?」

「オレは嘘をつくし、隠れもする。……だけど――モーリス・フェイカーは逃げることだけはしない」


 それは、モーリスにとっての最後の意地だったのかもしれない。俯いていた顔を上げて、唇から血を流しながら、それでもルアードを睨みつけていた。

 不器用な奴だと、ルアードは思った。このまま逃げて、再起を図る方法だってあるのに、自らの信条でそれをあえて捨てるというのだから。


「……そうか。まあ、好きにしな」


 ため息を一つ落としてから、静寂の中でルアードは街を見下ろす。今回の一件で『エルギア』が受けた被害は甚大だ。なにより、魔族殺しの結界が世の中にバレてしまった。共存を目指す先進国が魔族を殺す結界を隠していたという事実は、事件が終わっても大なり小なり魔族たちからの恨み言や不満が出てくる要員になるだろう。それでも『エルギア』は無事だったし、百人の魔族が自爆するという最悪の結末は阻止できた。ギリギリのところで『エルギア』は守られたのだ。

 それを確認して、ルアードは改めてモーリスと目を合わせる。

 力無くうなだれる一人の魔族。

 遣る瀬無さから、無意識にルアードはため息を吐きながら頭をかいた。

 勝つには勝った。だが、それでなにが得られたわけでもない。

 大勢の人々が傷つき、中には死んだ者もいる。そして、魔族と人間の禍根は未だに根強く残っていたと強く再認識させられた。『エルギア』が抱えている問題は、なに一つ解決していない。

 それに、まだ残っている謎もある。


「興味本位でもう一回訊くが、どうして混乱を望んだ」

「……まだ知りたいってのか。物好きなやつめ」


 吐き捨てるように呟いて、モーリスは小さく嘆息した。

 口に出すことで、改めて現実を再認識したのだろ。憑き物が取れた、とまではいかないが、今更ジタバタと足掻く気力はないようだ。

 何もかもがめちゃくちゃになればいい。そう望んだ青年。

 しかし彼は『聖戦』あの地獄を知っている。知っていて、それでもあの時代以上の混沌をモーリスは望んだ。

 それほどまでの憎悪を、モーリスが抱える心の闇をルアードはまだ知らない。だから、ルアードはその闇を知りたかった。単純な興味として。或いは英雄と呼ばれた者の一人として。


「――あんた、貧民窟に行ったことはあるか?」


 語りの言葉は、そんな質問からだった。


「ああ」


 短い返事をルアードが返すと、モーリスは昔を懐かしむような表情で話しを続ける。

 その表情には、様々な感情が込められているような気がした。


「オレはそこで生まれて、そこで育った。親の顔も知らないし、行く当てもない。薄汚れて、食う物も無くて痩せっぽちな、醜い餓鬼だった」


 モーリスの話を、ルアードは黙って訊いていた。

 当時の、『聖戦』時代の『エルトリア』では、貧民窟の存在は決して珍しいものではない。人間も魔族も長い戦争の中で摩耗し続けていた。どちらかがどちらかを支配する村や街。或いは双方が生きる場所や術を失った貧民窟。そんな場所はいくらでもあったし、ルアード自身も旅の中で嫌というほど見てきた。

 だからこそ、『聖戦』の終結を人間も魔族も皆素直に受け入れられたのだと思う。単純な話で、これ以上飢えに苦しまなくてすむというのは、それだけ魅力的な話だったのだ。


「だけど、施しに甘えたくはなかった。施しを受けるよりも、与える側にオレはなりたかった」


 生まれ落ちた瞬間からずっと飢えに苦しみ続けてきたモーリスは、幼いながらもに成りたいと強く願った。或いは、そんな過酷な環境だからこそ、そうした強い願望が生まれたのかもしれない。


「そんなある時、ふとオレは自分が与える側になれる方法を知った」

「方法?」


 ルアードの呟きに、モーリスが自虐的な笑みを浮かべて首肯する。


「――顔さ」


 そう言って、モーリスは自分の顔をひと撫でした。


「オレはどういうわけか、変態共に好かれやすい顔をしていた。だからオレは、富める魔族にこの顔を引き換えに施しを与えてくれ、と自分自身を売り込んだのさ」


 奴隷。性処理目的。人体実験用のモルモット。

 あの時代、意味や意図は様々だが、そうした吐き気がする理由で子供を欲しがる変態は魔族、人間問わずに多かった。

 その事実を子供のモーリスは気づき、自分がそうした価値のあるモノだと知ったのだ。

 偶然にもモーリスが見つけた魔族がそういう趣味の魔族だったというのもあるのだろう。だが、少なくともその選択は地獄の片道切符でしかない。変態の玩具にされ、最期は家畜の餌になる結末が待っている。

 しかし、モーリスは違った。


「……売り込みは、成功したんだな」

「最高だった! 貧民窟はモノで溢れ返り、誰もがオレとオレを買った魔族に感謝する。その時オレは、自分の力で世の中を動かせることを知ったよ」


 歪んだ笑みを浮かべて、モーリスは笑う。

 どうしようもない現実を自分の力だけで捻じ曲げた。少なくとも、その一点だけを見れば、モーリスのした行いは正しかったのかもしれない。


「そいつは魔術師としても高名なやつでね。夜な夜な実験と称して、買ってきた子供を使って飽きるまで魔術で遊んだ。オレはその遊びに付き合わされた。オレがキレイだったから」


 静かに響く声で言って、モーリスは再び自分の頬を撫でる。

 おそらく魔術の基礎をそこで学んだのだろう。モーリスの魔術は学ぶ師の段階で歪んでいた。歪んで学んだ魔術を組み上げた師が高名な魔術師だったことも、モーリスの魔術師としての実力を高める要因だったのは間違いない。


「だが、それでもオレは満足だった。変態の喜ぶ方法で尻を振り、変態が喜ぶ殺し方を覚えるだけで、オレは施しを与える側強者になれるんだから。――だけど、それも長く続かなかった」

「『五人の英雄』……俺たちが『聖戦』を終わらせた」

「そうさ! おまえたちが人間を勝者にし、魔族を敗者にした所為で、オレの世界はあっけなく終わった」


 モーリスは悔しそうにうめいた。

 『聖戦』の終結。

 それがもたらした影響はとてつもなく大きかった。

 圧政を強いる村や街を始めとした各地域の調査、管理。そして共存の為の再建。当時の『エルギア』国王は、自分の持っている人脈や金を惜しみなく使って、『エルトリア』の復興を目指した。しかし、そんな中にもは存在する。


「やがて、オレがいた貧民窟も人間が支配するようになった。すると、どうなったと思う? ――オレは人間のモノになったんだよ。キレイだったから」


 キレイだったから。

 そんな理由で大人たちは子供の身体と心を壊した。

 それは、モーリス・フェイカーという一人の青年を形作るには十分過ぎる経験だ。彼の歪んだ価値観や、それに裏付けされた憎しみは今さら覆ることはない。

 それでもルアードは、どうしても訊きたいことがあった。


「なら、どうしてこんなことをする。孤独も苦しみも、人の心の汚さと醜さを知るおまえが、どうして混乱を招こうとする」

「どうでもいいからだ! 魔族も人間も関係ない。オレがキレイだった所為で、オレは心も身体も全部汚れて、ズタズタに壊された。不公平だろ? 俺だけが壊されるのは――だからオレも全部壊したいのさ! 滅茶滅茶に、片っ端からな!」


 自分だけ壊されたのでは納得できない。等しく壊れなければ意味がない。そうして初めて、モーリスの心の闇は晴れる。


「……それが、おまえの闇ってやつか」

「訊かなきゃ良かっただろ?」


 傷だらけの歪んだ笑みをモーリスは浮かべる。ひび割れた絶叫が、見ていてとても痛々しい。

 訊かなきゃ良かった。全くその通りだとルアードはため息を吐く。

 ルアードたちは戦争に苦しむ者を救う為に『聖戦』を終わらし、世界を変えた。だが、『五人の英雄』は世界を変えることはできても、人の醜さは変えられなかったのだ。

 モーリス・フェイカーは『聖戦』で救われ、『聖戦』によって歪められた。

 ならば、『聖戦』を終わらせたルアードには、救いの言葉をかける権利はないのだろう。

 だから――


「――いや、別に」


 へらりと、口元をルアードは緩めた。

 何でもないように、だからどうしたと言わんばかりに。


「自分の為に全力で生きている奴を責めることなんて、誰にもできやしないさ。たとえ、それが世間一般的に言う悪だろうがな」

「キレイゴトを……」

「きれいごとだよ。あいにくと俺は正義の味方って柄じゃない。だから俺はおまえを裁けないし、裁かない。……いつだってやらかした自分にゲンコツをくれてやるのは、やらかした自分だけだ」


 即座に答えて、ルアードはモーリスに背中を向ける。

 もしもの話だ。

 この場に居合わせたのが『勇者』ならば、きっとモーリスに救いの言葉を与えるのだろう。

 もし『剣聖』だったら、キツい言葉と拳で自分の犯した罪と向き合わせるのだろう。

 だが、『賢者』は違った。『賢者』は何も与えない。誰も救わない。真実のみを告げる。それが『賢者』だ。


「それに――最初に言ったが、ぶっちゃけおまえの動機とかどうでもいいんだよ。ただの興味本位でそんな重苦しい話をされても困るっての」


 ルアードがそのままこの場から退出しようとした時――震える声が彼の足を止めた。


「……ふざけんなッ!」


 怒声が木霊し、ルアードが振り向くよりも早く、モーリスは後を続ける。

 気付けば、モーリスは立ち上がってルアードの襟首を掴み上げていた。


「責めろよ! 憎めよ! それが当たり前だろ! キレイごと並べて、そこまで英雄気取りがしたいのかよ!」


 面倒くさそうにルアードは頭をかく。その仕草がモーリスを更に刺激する。

 心とは醜くないといけない。そうでなければ、モーリス・フェイカーが否定されてしまう。だからこそ、モーリスはルアードに負の感情を求めた。しかし、


「――昔……今のおまえみたいに世界を変えようとしたバカがいたんだ。現実を見ないやつでな。周りがいくら無理だ、諦めろって忠告しても聞きやしない。他人の迷惑とか一切考えない最低な奴さ」


 どこか自嘲するようにルアードは笑う。

 思い出すのは、一人の少年が本気で願った夢物語。


「けど、今にして思えば……きっと、ああいうのを英雄って言うのかも知れないな。なにせそいつはマジで世界を変えて、『勇者』なんてスゲェ二つ名で呼ばれるようになったんだからよ」


 だが、ルアードは知っている。

 彼は世界を救ったのではない。世界を――世界をのだ。

 その行いで救われた者もいたのかもしれない。だが、その反対にモーリスの様な、世界を破壊された被害者も大勢いた。

 それを知るルアードの目には、モーリスは『勇者』と呼ばれた少年と同じに見える。


「自慢じゃないが、俺はそんなバカの一番のダチだ。だからはっきりと言える。おまえはあのバカと同じで、逃げないで立ち向かったんだろ? 自分の力で世界を変えようとしたんだろ? なら、たとえ世界中がおまえを悪だと言っても、俺はおまえを悪だと呼べないし、思えない――だって、そんなことしたら、俺はあのバカを悪だと認めなくちゃいけなくなるからな」

「――っ!?」


 ルアードの言葉が鐘の音によって、溶ける。

 小さく、か細く震える声がこぼれた気がした。しゃくり上げるような嗚咽が聞こえたような気がする。

 それはともすれば、誰かが泣き崩れたように聞こえたかもしれない。

 だから、ルアードはモーリスの手を振りほどいた後、再度振り返ることはしなかった。

 最後まで面倒くさそうに、興味無さげに、ルアードは目の前の扉を蹴り開けた。










 それから、モーリス・フェイカーがどうなったかを、ルアード・アルバは知らない。

 ただルアードにも分かったことが一つ。

 以来、『エルギア』で、モーリス・フェイカーの姿を見た者はいない。

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