弟子と『賢者』と『聖女』様
夕暮れ時の『エルギア』は騒がしい。仕事を終えた人と魔族達が一日の仕事の疲れを癒す為に酒場やら飯屋やらに集まるからだ。ある意味では、この時間の城下町こそが今の『エルギア』を表す姿なのかもしれない、とは『剣聖』ことカインツ・アルマークの談である。
その城下町を一組の男女が歩いていた。
片や軽薄そうな青年。片や何故かボロボロな姿の少女という異質な組み合わせは、傍目から見て、かなり目立っていた。少女の方が黒のマントと三角帽子という悪趣味なコーディネートなのも、理由の一つだろう。
「おーい。なにしてんだ。置いてくぞ」
先頭を歩いていた青年――ルアード・アルバが呆れた表情で振り返った。振り返った先には、生まれたての子鹿のように膝をガクガクと震わせている少女――ステラ・カルアナがいる。
「ま、ままま、待ってください。ひ、膝が笑って……あと、全身が打ち身でもっ……のすごく痛くてですね……」
ステラは愛用の木製の杖を支えにして、震えるような声で答えた。
通算して五回の命綱無しダイブが相当キテいるようで、山から下りて来るまでに四回ほどステラは足元を躓いて派手に転んだ。その度にルアードはゲラゲラと笑っていた。
「……えい」
「いっ……!?」
ちょん、とルアードはつま先でステラの右脚を軽く突いた。直後、ステラの表情筋が石化したかの様に固まる。目尻に浮かぶのは、激痛から来る涙だ。
その様子がルアードのツボに入ったらしく、ルアードはゲスな笑顔で二回三回とステラの右脚を突っついてみる。
「し、し、師匠」
「ん?」
「あ、あの、できれば足で蹴るのをヤメッ……!?」
どうやら急所に入ったようで、声にならない悲鳴を上げたステラは、その場で顔から地面に落ちた。ピクピクッ、と痙攣したカエルのように体を震わせている。
その様子を見てルアードは、やはりというか当然のように笑っていた。わかってはいたが、相当のクズである。
「おい、起きろ。道端で倒れたら迷惑だろうが」
「ふ……ふぐっ」
最早返事なのかも怪しい声らしきものを発して、ステラは立ち上がった。これだけ酷い目にあっても弟子入りは辞めないらしい。単純に、ここで諦めたら今までの苦労が水泡するという、半分以上のヤケクソが理由にも見える。
「師匠は女の子相手に容赦なさ過ぎですよ。普通、こんなうら若き乙女を前にしたら、もう少しいやらしい目つきになったりしません?」
歩きながら、ステラはなんとなしに訊いた。
ステラとて、自分のことを絶世の美女などと言うつもりはないが、それでも十六のうら若き乙女だ。そんな娘が現在服のあちこちが破け、その破けた服は水滴でぐっしょりと濡れている。ついでに言うなら下着だって上も下もびちゃびちゃだ。マントで隠してなければ、痴女扱いされても不思議ではない格好だと、ステラは自分のことを客観的に見てそう思う。
それなのに、目の前の青年は少女のことを
ルアードは冷ややかな眼差しでステラを見てから、鼻で笑った。
「ハッ、アホか。おまえは知らないだろうけどな、俺は常日頃から美女に囲まれる生活を送ってんだよ。ちんちくりんのおまえの体なんざ見ても勃たないっての」
「ち、ちんちくりん……」
ルアードの返答に、ステラは自分の胸元を見る。多少はある凹凸が、なんだか中途半端な感じをアピールしていて、虚しくなった。
「ちなみに美人さんというのは、カナリアさんとかですか?」
「ああ、いや、あいつは腐れ縁だから。美人枠は他にいる」
「カナリアさん以上の美人さんがいるんですか!」
平然と答えるルアードを凝視して、ステラは絶句する。自分のお店があるからと、先に帰宅したカナリアは、同性のステラから見ても美人の部類だ。それ以上がいるという事実に呆然となるステラに、ルアードは勝ち誇ったような表情を浮かべて、
「昔から俺の周りは美人ばっかりだったからな。今もその繋がりは大事にしてるわけよ」
「流石師匠。何というか、後ろから女性に刺されそうな人生送ってるんですね!」
「いや、それはどっちかというと『勇者』の方……って、誰の人生が女に刺されそうな人生だ!」
ステラの首根っこをホールドして、ルアードが叫ぶ。失礼極まりない話だ、とルアードは憤慨した。今こうして仕事帰りの人間たちを鼻で笑って、優雅なヒモ生活を送れているのは、自分の
そもそもな話で、ステラに欲情するというのがルアード的には無理だった。確かにステラは贔屓目抜きにして美人の部類だろう。だが、ステラが来てから迷惑しているのは、主にルアードの方である。ちょろちょろと尾行されたり、魔族との喧嘩に巻き込まれたり、何故か身元保証人にさせられたり。それでどうやって、ステラに対して性的欲求を抱くことができるのか。
思い出して、一人で勝手に腹が立ってきたルアードは腕の力を無意識に強めた。
「し……師匠……苦しいです……締まってます! ギブ! ギブ!」
「あっ、やべ」
苦しそうにタップするステラに気づいて、ルアードは腕の中にいたステラを解放した。酸素を求めて、ステラが大きく深呼吸する。
丁度そのタイミングで、夕方の鐘が鳴った。もうそんな時間か、とルアードが思ったとき、
「――ルアード?」
後ろで誰かの驚く声がした。
「え?」
名前を呼ばれ、ルアードは反射的に振り返る。そこに立っていたのは、人目を惹く美しい銀髪の美女だった。夕暮れ時の光が銀髪に反射し、幻想的な美しさを演出している。
「り、リーズ? なんでここに?」
「あ、その、仕事が終わったので夕飯の買い出しに……ルアード、鶏肉は食べれましたよね?」
「あ、うん。普通に食べれるけど」
彼女の腕に抱き抱えられた紙袋が揺れた。自分が好きでない肉料理をわざわざ作ってくれることに、ルアードはなんとなく勝ち誇りたくなった。主に世のモテない男連中に。
だが、その優越感は、リーズの警戒したような視線で一気に消えた。彼女の視線の先には、ルアードの正面に向けられている。
「ところで……その子は、誰ですか?」
「えっ!? あ、いや、こいつは……えっと……一応、俺の弟子?」
暫しの葛藤の後に、絞り出したような声でルアードは前にいるステラを指差した。指を指した先にいたステラは、何故か膝をついて項垂れている。
「いや、なにしてんだよ」
「負けた……」
「は?」
「そうですよね……こんな超美女さんと仲良かったら、私なんてゴミクズ以下ですよね……ほんと、欲情とか調子に乗ってました……」
「おーい……」
謎の敗北に打ちのめされているステラと、わけわからんと呆れ果てるルアードを交互に見たリーズは、
「……弟子? ルアード、その子のことを弟子って言いました? もしかして、魔術師の弟子を取ったんですか!」
いやそれは、とルアードは口ごもる。ステラが仮採用的な、お試し的な弟子で、しかもルアード自身はステラに魔術師の道を諦めさせようとしていることは、リーズは勿論のことステラ本人にも知られてはいけないことだ。
そもそもそんなことを口走れば、リーズやカナリアに何をされるか、考えるだけでも恐ろしい。
「そ……そうなんだよ。今日から魔術について教えることになってな」
認めなたくない事実を自分の口から言わなければいけないという苦行に、ルアードは忌々しく表情を曇らせた。リーズは不審そうに眉を寄せたまま、
「今日から?」
「ああ。朝にカインツから頼まれ事があるって言ってたろ。なんかこいつに魔術を教えてやれって話みたいでさ……」
「じゃあルアードは、カインツの紹介でこの子を弟子にしたんですか?」
「まあ、そうなるな」
あながち嘘ではないので、ルアードは投げやりに頷いた。そんなルアードの態度にリーズは嬉しそうに微笑む。
「可愛い子ですね」
リーズがルアードに顔を寄せ、小声で言う。ほんの少しだけいつもとは違う、悪戯を思いついた様な笑みだった。
「……それ、本気で言ってるなら、今すぐ医者に行くべきだぞ」
心底嫌そうにルアードは首を横に降った。あんな女を可愛いと認めるのは、ルアードの価値観に反するらしい。
「そうですか? なんか昔の誰かさんを見ているみたいで、私は好きですよ」
「誰なんだかな」
「誰なんでしょうね」
にこにこと笑みを浮かべたリーズは、項垂れているステラに近づいた。
「はじめまして。ルアードのお弟子さん」
膝を曲げてしゃがみ込み、リーズはステラと視線を合わせる。自分のスカートが汚れるのも気にしていないようだ。
「あ、はい。はじめまして」
ほけ、と惚けた表情でステラが返事を返す。
「私はリーズ・テンドリックといいます。貴女のお名前は?」
「す、ステラです。ステラ・カルアナ」
「ステラさんとお呼びしてもいいですか?」
「は、はい」
あれだけ喧しかったステラが、まるで借りてきた猫みたいにおとなしい。口を半開きにして、こくこくと頷いている。誰だこいつは! とルアードは内心で叫んだ。
――そのとき、ステラのお腹が、くー、と鳴った。
「あ……」
途端、ステラの顔が真っ赤に染まる。そのしおらしい態度にルアードは異議申し立てたくなった。
リーズはクスリ、と小さく笑い、
「ステラさん。良かったら
「いいんですか!」
「――ちょっと待てェ!」
ルアードは思わず絶叫した。通り過ぎて行く人が、驚いてルアードを凝視する。
「どうしたんですか、ルアード。いきなり大きな声を出して?」
リーズが咎めるような口調で言った。ルアードは苛々と頭を抱え、
「この大食らいを家に? 冗談だろ? 俺の唯一の安楽の地だぞ!?」
「でも、お腹すいてるみたいですし」
「そんな野良猫でも拾ったみたいに言うな! こいつ人間!」
「でも……」
「でもじゃねぇ! おい、バカ弟子! おまえも大丈夫ってこいつに言っ――」
振り返って、ルアードは固まった。
泣いていたのだ。ステラが。割とガチで。
「ご飯……あったかいご飯……」
懇願するような眼差しでルアードを見ている。同調するようにステラの腹の虫が再び鳴った。
「私、頑張って作りますから。ダメ、ですか?」
その眼差しがもう一つ増えた。
「ルアード……」
「師匠……」
通り過ぎて行く人たちが、なにしてんだこいつら? というような表情で、ルアードたちを眺めている。
「もう好きにしてくれ……」
ルアードは色々と諦めたようにため息を吐いた。
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