ヒモが魔術師を辞めたワケ

 瞼を開けて最初に思ったことは、まだ『エルギア』が無事だという安心感だった。その反面で、今の気分は最悪だ。体がさっきから空腹を訴えてくるし、寝違えたのか全身がポキポキと鳴る。


「あー……寝ちまってたのか」


 どうやら自分はソファに寝かされていたらしい。見慣れない天井と寝づらいソファから、ここは自警団詰所の一室のようだ。

 あれからステラを待ち続けて、そのまま寝落ちしたらしい。

 寝起きの頭で理解し、ルアードの意識はすぐに覚醒する。


「起きたか?」


 ソファの近くにある椅子にカインツが腰掛け、マグカップを口につけていた。中身は匂いから察するに、眠気覚ましのコーヒーだろう。


「今……何時だ?」


 窓から差し込む日の光を見て、ルアードはカインツに尋ねる。


「午前十時を過ぎたとこだ」

「マジか。リーズに夕飯までに帰るって約束してたのに、破っちまったな」


 どうやら自分が寝落ちした後も、とくに目立った進展はなかったようだ。ルアードが窓の外に意識を向けると、本来なら聞こえてくるはずの賑やかな住民たちの声が聞こえてこない。まるで、戦争時によく見た廃村のようだ。

 再びカインツに視線を戻せば、彼の状態も酷いものだった。目の下には濃いクマが見え、無精髭がちらほらと生えている。普段の厳つい顔つきが、更に物騒になっていた。恐らくは寝落ちしたルアードと違って、一睡もしていないのだろう。その顔には色濃く疲労が浮かび上がっている。


「ステラのやつはまだか」


 身を起こして首を鳴らすルアードに、カインツはタオルを投げてよこす。


「彼女なら、まだ戻ってきてないぞ」

「何か進展は?」

「自爆するような素振りを見せた魔族を二十人ほど捕まえたが、それだけだ。首謀者の顔すらまだ割れてない」

「情けないなぁ。拷問の一つでもやって、口を割らせればいいだろうに」

「その前に自爆してしまったら、それこそ意味がないだろうが。一応、その道の専門家に任せたが、強い精神操作をされていること以外にはさっぱり」


 そう言って、カインツは何枚かの資料の束をテーブルの上に乱暴に投げ出した。流し目で見てみれば、捕まえた魔族のリストらしい。


「それよりも、おまえは動かなくていいのか? 爆破予告まで残り二時間を切っているんだぞ」

「それはそうなんだけど……動こうにも、バカ弟子が俺の杖を見つけてくれないと動けないんだよ」

「はあ……こんなのに『エルギア』の未来を託しているリーズや、おまえの弟子の考えは理解に苦しむな」

「信頼されてんのさ。じゃなきゃ、ヒモなんてできない」

「誇らしげに言うことか、それ」


 ため息をつきながら、カインツはコーヒーの入ったカップを置いた。

 時間はもうあまり残されて無い。今、この瞬間、自爆テロが起きる可能性は確実に近づいている。立場が違うのなら、今すぐこの地から逃げることを推奨したいくらいには絶望的だ。

 そんな緊張感の中での沈黙を破るように、ルアードが呟いた。


「なあ、カインツ。ぶっちゃけて訊くけど、俺は本当に魔術師に戻ってもいいのか?」

「唐突にどうした。魔術師に戻ると決めたのはおまえだろ。何を今更悩む必要がある?」

「いや……まあ、そうなんだけどさ……」


 記憶が過去に戻る。脳裏に浮かぶのは、とある少年と魔族の姿。


「十年前……俺は最後の最後で『勇者』と『魔王』あの二人を救えなかった。目の前で起きた悲劇を止めれたのに、止めようとしなかった」

「……ルアード」

「終わらせたかったんだ。『聖戦』なんて大層な名前の戦争を。だから、必要な犠牲だと割り切って、自分に言い聞かせた……だから……」


 カインツは静かにルアードの呟きに耳を傾けた。


「だから戦争が終わったら、俺は魔術師を辞めようって決めたんだ。『勇者』ダチが涙を流してまで作った世界に、俺みたいな存在が居たら駄目だってわかってたから」

「……だからルアードは終結時の式典にも出なかったのか」

「ああ。魔族に対する絶対天敵の『賢者』が死んだことになれば、魔族はみんな安心するだろ?」


 魔族だけの絶対領域である魔術。その魔術を使って、魔族を圧倒する人間の魔術師の存在は、魔族からしたら恐怖の象徴だ。

 『剣聖』カインツのような、人も魔族も平等な土俵で戦える領域での絶対強者は平和な世界での抑止力になりうる。だが、完全なる魔族殺しに特化した『賢者』ルアードの存在は、平和な世界では不必要なのだ。

 ルアードはそれをわかっていたからこそ、『聖戦』が終結した直後に表舞台から姿を消した。


「その経緯で、なんで今は女の脛齧りやってんだか」

「いや……まあ……そこを突かれると耳が痛いんだが」


 不貞腐れたようにルアードはそっぽを向いて耳をほじる。


「別に今更身バレの心配はしてないけどよ。俺の所為で魔族たちの反感買うのは嫌なんだ。だから、本当に俺は魔術師に戻ってもいいのかなって」


 覚悟ならリーズにケツを叩かれた時点で、とっくにできていた。それが今の自分がやりたいことなのだから、どんな結果になろうとも後悔はない。だけど、そういった事とは別に、友達をまた裏切ってしまうことがルアードにはたまらなく不安だった。

 暫くの沈黙の後に、ぽつりとカインツは口を開く。


「――本当は、俺もなんとなくわかっていた。おまえが『賢者』を辞めた理由は、きっと俺なんかでは理解が追いつかないことなんだろうって。だから、俺はルアード・アルバを『エルギア』に住む一般市民として守ることを決めた」

「カインツ……」

「なのに、俺はそんなおまえに頼ろうとしている。その事が、俺は許せない」

「……」

「安心しろ。今の『エルギア』は強い。人間と魔族が共存できる世界を目指して、今日まで作り上げてきた『エルギア』を信じてくれ」


 自警団と王宮直属の親衛隊を束ねてきた男。その男が言った。


 ――そんなつまらないことを気にするな、と。


 カインツの言葉を聞いてルアードは穏やかな笑みを浮かべた。この状況には不適切な、どこか晴れやかな笑みだった。

 寝ていて固まっていた体を回して、関節を鳴らす。後のことは丸投げしていいと、リーズとカインツの二人に言われたことは、ルアードの肩を軽くしてくれる。


「……ったく、何が信じてくれだよ。よくそんな恥ずかしい台詞が吐けるよな。俺なら、そんな台詞は女を堕とす時にしか使わないっての」

「このダメ男が……」

「あー、あー、聞こえなーい」


 カインツは呆れたように肩をすくめて、席を立ち上がった。


「まぁ、いい。俺はもう行くぞ」

「ああ。それにしても、後一時間くらいしかないのに、ウチの弟子はどこで油売ってんだか」

「一応、見つけたら声を掛けておく」


 たぶん、そんなことをする余裕はないのは、ルアードもわかっている。

 どちらにせよ、残り数時間もしないで『エルギア』の未来は決まってしまう。

 崩壊か、存命か。

 その結末は、神のみぞ知る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る