魔術の定義と弟子の色
魔術とは、究極的に言えば『マナ』或いは『ヘカ』と名付けられた魔力を使って起きる現象全てを示す。つまり、肉体を強化することと、何もない空間から炎を出すことは魔術師的目線で見れば、全く同じなのである。
その定義は存外にガバガバだ。
結界、肉体強化、治癒、自然現象の再現。
それら全てに魔力を使っているのなら、それら全ては魔術として認識される。極端な例として、『マナ』が満ち足りている森や遺跡で魔術師が怪我をしにくいのは、天然の治癒魔術と守護結界の術式が当事者の魔術師本人を介して自動で発動しているからだ。こうした本人の意識の外で勝手に起きた現象さえも、そこに魔力を使った過程があるのなら、それは魔術となる。
では、つまるところ魔術とは何か?
その問いに対しての回答は至極簡単だ。
魔術とは、成立していた概念を捻じ曲げ、術者の深層心理や幻想を魔力を通すことで現実世界の法則に上書きする行為である。
故に大前提として、魔術師は魔力に対する知識が必要不可欠なのだ。馬鹿に魔術師は務まらない。人間の魔術師ならば『マナ』を、魔族の魔術師ならば『ヘカ』を、他の者よりも知ることが、それすなわち魔術師としての質を高めることに繋がる。
つまり、魔力を敏感かつ繊細に感知する技能は魔術師の必須技能なのだ。
「だーかーら、何遍も言わせんな。探すな! 見るな! 肌と空気で『マナ』を自然に感じるんだよ」
三日が経った。
その間に何があったのかと問われたら、特に変わりない日々だったと答えるしかない。
結局、ステラはリーズの提案で居候の身になり、朝から夕方までルアードはステラの修行に付き合わされることになった。
初めのうちは冗談ではないと思っていたルアードだったが、ステラが弟子入りしてからのリーズの機嫌がすこぶる良いのもあって、今ではステラの修行はルアードにとって、一種のストレス発散になっている。
「無理無理無理無理む・り・で・すよぁぁぁぁぁッ!?」
少女の悲鳴が濁流に呑まれて消える。
昨日の夜に降った雨の影響で水の流れが増し、急流となった川の中にステラはいた。
ルアードの名誉の為に言うのなら、彼は決してステラをこの濁流に叩き落としたりはしていない。そんな外道行為に走る前に、ステラが自分から濁流に突っ込んだのだ。
その経歴は非常に間抜けな話である。
修行の一環として『マナ』の制御の練習中に、ステラの魔術が暴発。爆発の際に起きた風圧で術者のステラが川に飛ばされ、そのまま頭からダイブして、今に至る。
「『マナ』の流れを感じればいいんだよ。その感じる場所が安全地帯だ」
「その前に死んじゃいますって! そもそも私泳げなぁわぁぁ――ッ!?」
言い返すよりも先に、足を滑らせたステラは濁流に押し流されていった。丁度いいからと、修行の一つとして『マナ』感知で安全地帯を探させてみたが、思った以上にこの三日間の成果が出ていない。濁流に呑まれて消えたステラを見て、ルアードはため息を吐く。
数分ほどして。
「……びっくりするくらいに才能ないな、おまえ」
「そ……そう……いう……問題ッ、です……かねッ……!」
下流の河原に流れ着いたステラが息も絶え絶えに主張する。修行初日と同じ、全身ずぶ濡れのステラに、追いついてきたルアードはやれやれ、と頭を振った。
「見ようとするから、見えないんだよ。元々『マナ』にしろ魔族の『ヘカ』にしろ、見えないのが普通なんだ。見ずに感じる。そこにあるのが当たり前で、見えないのも当たり前。その理屈を感じ取れたら、『マナ』は自然と自分のところに集まってくる」
「……すいません、言ってることが全然わかりません……」
ルアードの指摘通り、ステラは『マナ』を見ようとして、失敗した。だからと言って、見えないのを感じ取るという理屈がステラには理解できない。
ルアード曰く、感覚ではなく完璧な理論らしいのだが、それを見習いのステラが理解するのにはもう少し時間を要するようだ。
「まあ、知識として認識しているのなら、今はわからなくてもいいさ。俺だって、理解するのには一月半もかかったからな」
「師匠もこんな風に大自然の中で修行したことがあるんですか?」
「ん? まあ、他の魔術師の下で修行してた時期くらい俺にだってあるさ」
「聞きたいです!」
上着を脱いで白のキャミソール姿で水を絞りながら、ステラはやや幸福気味に言ってきた。
十年前、ルアードはステラのようにとある魔術師に教えを請うたことがある。今のステラがしている修行内容の殆どは、その当時にルアードが行なっていた修行の一部をアレンジしたものだ。
「そうは言っても、俺の場合は二ヶ月くらい雪山に放り込まれただけだしな」
腕を組んで、ルアードは顔をしかめる。
「先ずは魔術の基本だ、とか言われて、いきなり吹雪が吹き荒れる雪山で二ヶ月過ごすことになったんだよ。魔術の使用は禁止されてたし、とりあえず生き残ることに必死だったなぁ」
遠い目をして、ルアードは空を見上げた。そろそろ夕暮れの時間になるらしく、空に赤みがかかっている。
「最初は兎とかを狩って飢えを凌いでたけど、最後の方には魔獣とか狩ってたな。知ってるか? 食える魔獣って、高級食材として扱われてるけど、本当に美味いんだぜ。流石に雪崩に呑まれた時は死ぬかと思ったけど」
「それ、魔術の修行……ですよね?」
「俺がそれ以外に何を修行するんだよ」
「そうなんですけど。聞いてる限り、師匠がサバイバル生活をしてる様にしか聞こえないんですが」
「手っ取り早く強くなる方法が、当時はそれしかなかったんだから仕方ないだろ。実際、それで俺は修行する前よりも数倍強くなったし」
自然に埋もれて、自然の力を前に何度も死に掛けて、ルアードは『マナ』の本質に触れた。今まで惰性で行なっていた魔術を深く知ることで、魔術の質が比べ物にならないくらいに上がったのだ。
その過去があったからこそ、ルアード・アルバは『賢者』という魔術師の高みにたどり着くことができたと言っていい。
「そう考えたら、私はまだマシなんですね」
「飢えの心配も、凍死する原因もない。良かったな、師匠が優しい人で」
「あはは……。ちなみに、師匠に魔術を教えた人は、今はどうしてるんですか?」
「死んだ。正確には、俺が殺したんだけど」
「……え?」
予想外な返答にぎょっとして、ステラは思わずルアードの瞳を見返してしまう。
「修行が終わってから暫くして、魔族軍の刺客として現れたんだよ。それで仕方ないから戦って、勝って、最期に俺がトドメを刺した」
「人間の魔術師……だったんですよね?」
「ああ。なんで先生が人の身で魔族側に寝返ることになったのかは、今でもわからん。ただ、あの時代はそういうのも良くある話だったからな」
ルアードは何でもなさそうにそう言った。ルアード本人の中でコレは既に決着がついた話だ。悲しいとは思えど、後悔はなかった。
だが、だからといってこれ以上深入りする話でもない。
「まあともかく、今日はもう帰るか。カナリアの何処にも行かないといけないし」
「そ、そうですね! お腹も空きましたし」
「言っておくが、奢らないからな」
ルアードは沈みかけた夕日へ嘆息を溢す。この後、カナリアの経営する酒場に手伝いに行く約束なのだ。
働きたくないルアードからしたら、拷問にしか思えない。
「――あーッ!? 師匠、どうしましょう!?」
突然、ステラが思い出したように叫んだ。
「これからカナリアさんの処に行くのに、私ずぶ濡れですよ!」
「いいんじゃね? 別にエロくないし」
「それはそれで、すごくショックなんですけど!」
頭の先からつま先まで、全身がずぶ濡れになったステラが酒場に行くのはかなり目立つ。さりとて今から服を乾かす時間も、着替えを取りに行く時間もない。
どうしよう、どうしようと慌てふためくステラに、ルアードは面倒くさそうに溜息を吐いて、
「あー……わかったから、そこに立ってろ」
「はい? ここですか?」
キャミソールにスカート姿のステラが、惚けた表情で背筋を伸ばした。
スッ、とルアードは右手をステラが立っている場所に向ける。
「せっかくだから、師匠の腕前を披露してやる。魔術の応用編だ」
告げて、ルアードの右手に『マナ』の光が灯った。木々や草花から『マナ』が溢れ、ルアードの元に集まり、ステラが立っている場所を囲むように魔方陣が描かれる。
「《火の精よ・風の加護よ・混じり交ざりて・吹き荒れろ》」
詠唱が紡がれ、魔方陣が光り――
突然、ステラの足元から強風が吹き出した。
「ひゃああああああっ!?」
当然のように強風でスカートが捲り上げられ、恥ずかしさにステラが悲鳴を上げた。必死にスカートを押さえてみるが、風の勢いの方が強い。
その様子に、ルアードが首を傾げる。
「……何騒いでんだ?」
「騒ぎますよ! というか、そういう話じゃなくて――ひゎあっ、もう!」
ぶんぶんと頭を振り回して、ステラはルアードを指差した。
風は既に止んでいる。
「なにするんですか!?」
いきなりスカートを捲り上げられて、ステラは御立腹だ。
「なにって、服を乾かしたんだよ」
「服を乾かした……って、あれ?」
ペタペタと自分の体周りを触って、ステラは気づいた。乾いているのだ。あれだけびしょ濡れだった服や髪が全部綺麗に乾いている。
説明を求めるステラに、ルアードは得意げに鼻を鳴らして言う。
「火の魔術と風の魔術を同時に発動して、人工的に温風を発生させた。後は熱量とかの微細な調整で、この通りってわけだ」
「凄い、凄い! 綺麗に乾いてますよ!」
目の前で起きた現象に、ステラは無邪気な笑顔ではしゃぐ。
実はこの魔術の発案者はルアードではない。旅の途中、『勇者』が自分が居た世界の話をした時の会話に出た言葉がヒントになり、この魔術は生まれた。
「『勇者』の居た世界の言葉だと、『どらいやー』とか言うらしいぞ」
「へー。私にもできますかね?」
「おまえがやるとただの焼身自殺の死体になりそうだから、絶対にやるなよ」
実際、十年前に発案者の『勇者』が試してそうなりかけた。なんで生きてたのか不思議なくらいだ。
「さて、そろそろ行くぞ」
「はい!」
マントを羽織り、ステラが元気よく返事を返した。三角帽子が踊るように揺れる。
しばしそんなステラを見つめ、ルアードは思い出したように手を叩く。
「どうでもいいが、黒はおまえにはまだ早いんじゃないか?」
「へ、黒? ――って、師匠!」
ガバッとスカートを押さえながら、ステラが叫ぶ。子供のアレに一々ルアードが欲情しないのはステラも知ってはいるが、女の子的にはそれでも許せないのだろう。
後ろで何か叫び続けているステラを無視して、ルアードは愉快そうに山を降りて行った。
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