三章 『五人の英雄』

その朝は重く

 翌日の『エルギア』は、突然魔族が自爆した事件の話題一色に染まっていた。

 憶測の、根拠がまったくないデタラメな推理が行き交い、朝早くから自警団には事件の詳細を求める声が殺到しているらしい。


「くああ……寝みぃ」


 大きな欠伸をしながら、ルアードは眠気覚ましのコーヒーを啜る。程よい苦味が脳を刺激し、糖分が活性を促す。昨晩、碌に寝れなかった所為で凄く眠い。


「大丈夫ですか?」


 エプロン姿で朝食の準備をしているリーズが、心配そうに聞いてくる。

 昨晩起きた事件の現場にルアードたちが居たことは、既にリーズにも知られていた。


「大丈夫じゃねぇよ。くそ眠いし、疲れたし、ぶっちゃけ詰所なんか行かないで、このままもう一回ベッドに行きたい」

「私が代わりに行けたらいいんですけど……」

「それができたらどれだけ楽か……って話だよな」


 ルアードは遠い目をして、ぼそりと呟いた。これから自警団の詰所に、ステラと一緒に行く予定となっている。昨日起きた事件について、色々と話があるらしい。

 死者は一名。幸いと言っていいのかは怪しいとこだが、負傷者こそ多数出たが、あの爆発で死んだのは自爆した魔族の女性だけだった。だが、何故そのようなことをしたのか、その方法はどうやったのか。その詳細は表にはまだ出回っていない。おそらくはその辺りについての話なるのだろう、とルアードは予想する。


「おはようございますぅ……」


 面倒事は嫌だな、とルアードが考え始めたとき、寝間着のステラが瞼を擦りながら現れた。

 自慢の黒髪はボサボサに跳ね、寝間着は大胆に着崩れてしまい、右肩が大きく露出してしまっている。


「顔洗ってこい」

「はい……」


 ルアードが洗面所を指差すと、ステラはのろのろと緩慢な動きで洗面所へ向かった。ルアード同様、昨晩はほとんど寝れていないのだろう。或いは寝れただけでもまだマシな方のかもしれない。それくらいに、昨日のことは衝撃的だった。

 暫くして、


「おはようございます、師匠」

「ああ、うん。とりあえず頭拭けよ、垂れてるぞ」


 ついでに寝癖だらけの髪も濡らしたのか、ステラの髪は濡れたまま、毛先から水滴を滴らせていた。しかも頭から水を被った所為で、寝間着が素肌に吸い付いている。

 非常に目の毒だった。おそらく今のステラは下着ブラもつけていないのだろう。あまりにも無防備過ぎて、ルアードは興奮するよりも先に本気で引いた。スカートを捲られたり、下着を見られたりしたら恥ずかしがるくせに、こういうところに対する羞恥心はないらしい。

 軽い頭痛を感じながら、ルアードは手短にあったタオルをステラに向かって投げる。


「……カナリアさんは、大丈夫でしょうか」


 タオルで頭を拭きながら、ステラは不安を孕んだような口調で言う。

 さあな、とルアードは投げやり気味な返事を返す。


「気になるなら、後でカナリアのとこに行ってみるか?」

「そうですね。何かお手伝いできることがあればいいんですけど」

「その前に、カインツのとこに行くのが先だけどな」

「――そういえば私たち、あの爆発でどうして無事だったんでしょうか?」


 昨日のことを思い出して、ルアードのことを見つめながらステラは尋ねる。至近距離で爆発に巻き込まれたのに、ルアードとステラは怪我らしい怪我をしなかった。普通なら無事でいられる筈がない。つまり、誰かが何かをしたということだ。ルアードはコーヒーを再び啜って、


「カインツのやつが、んだよ。それのおかげで爆発が小規模に収まった。カインツが居なかったら、あの場に居たやつ全員が死んでたかもな」

「あの、師匠? 私こんな格好してますけど、今割と真面目な話をしてるんですが」

「わーってるよ。だからちゃんと答えてるだろうが」


 ルアードのデタラメな返答に、ステラは眉を吊り上げてルアードを睨む。その視線を面倒そうに受け止めて、ルアードは薄く溜息をつく。それがステラには適当なことを言っているように見えたようだ。


「いやいや、師匠。爆発を斬るとか、常識的に考えて有り得ないですよ。師匠が咄嗟に魔術で被害を抑えたとかの方が、まだ信じられますって」

「だーかーら、俺は何もやってないって言ってるだろ」


 ルアードが面倒くさそうに声を荒らげる。

 いくら『賢者』と呼ばれる魔術師でも、あのタイミングで発動しかけている魔術を無力化することは難しい。ただ一人、魔術師ではない人外を除いて。


「――なんでカインツが『剣聖』なんて肩書きで呼ばれてるか、知ってるか?」

「……あらゆる剣技を極めた最強の剣士だから、ですよね?」

「それは半分正解だな」

「どういうことですか?」


 ルアードの言葉の意図が読み取れず、ステラは首を傾げた。半分正解という意味をステラなりに考えてみたが、さっぱりわからない。ルアードは頭をかきながら、


「あの筋肉馬鹿は本当に剣技を、正確には斬るという行為を極限まで極めたってことだよ」

「……はい?」


 ステラが頭にハテナマークを浮かべて、ルアードを見つめた。ルアードはコーヒーの入ったカップをテーブルに置いてから、


「カインツは、成立していない現象や概念を斬り捨てることができるんだ。簡単に言うと、発動前の魔術や自然現象なんかを無力化できる。本人曰く、別段特別な技能ではないんだと」

「じゃあ、昨夜は爆発したという現象そのものを斬った……ってことですか?」

「まあ、そういうことだな。流石のあいつも全部を斬るのは間に合わなかったみたいだけど」

「でも、あの時のカインツ様は剣なんて持ってなかったですよ?」


 ステラの素朴な疑問に、ルアードは小さく笑って、


「そもそもの技能を使うのに、カインツは剣を必要としないからな。なにせカインツは剣で魔族を斬りまくってたら、自分が剣と同義の存在になったとかわけわからん事を言ってる変人だぞ」

「え、なにそれ怖い」


 ステラが本気で引いていた。つまりカインツ・アルマークは、単純な肉体と剣技のみで、概念の上書きという最上位の魔術師が到達できるかもしれない領域まで至っているということだ。最早人間なのかすら怪しいと思ってしまう。

 だが、ルアードからすれば、これは普通のことだった。『五人の英雄』とは、何かしらの一芸を人外魔境の域まで鍛え上げた怪物なのだ。むしろこれくらいのことは出来て当たり前という認識だった。


「……話を聞いて改めて思いましたけど、『五人の英雄』って私が思っていた以上に凄い人たちなんですね。私がそこまで辿り着くには、どれくらい修行すればいいんだろ……」


 そう呟いて、ステラは真顔で考え込む。

 ルアードは、そんな彼女を有り得ないものを見る目で、しばらく黙って眺めていた。ポツリと、本音が思わず漏れる。


「凄いな、おまえ」

「え、なにがですか?」

「いや、だってな……今の話を聞いてたら、普通はそんなこと考えないだろ。自分で言うのもあれだけど、俺らは化け物とかの類いだぞ。それに追いつこうとするとか、正気の沙汰じゃないって」


 ルアードが苦笑混じりに言った。ステラは不思議そうに眉を寄せて、


「そうですか? だって私は『賢者』の弟子ですよ。弟子が師を越えようとしないで、何を超えろと」


 迷いなく、それこそ何の疑問も持たずにステラが言う。冗談を言っているような態度や口調ではない。どうも本気でそう思っているようだ。

 どこからその根拠のない自信は出てくるのやら。反論するのも面倒になって、ルアードは無言で肩を竦めた。

 朝食の準備が完了したらしく、リーズがサラダやトーストをテーブルに運んでいく。ステラはルアードの隣のイスに座り、


「でも、昨日の魔族はなんであんなことをしたんでしょうか?」


 ふと思いついたようにそう呟いた。ルアードは少しだけ躊躇うような間を置いてから、


「理由はわからないが、どうやってあの爆発を生み出したかはわかるぞ」


 ステラは数回瞬きを繰り返してから、ルアードを見た。


「師匠には何か心当たりが?」

「まあな。……あれは、『ヘカ』を意図的に暴走させたんだよ。本来なら体内で生成された魔力は外側に向かって放出されるんだが……それを敢えて内側に放出することで、『ヘカ』の器官に誘爆するって仕組みだ」


 実際のところ、体内に魔術を発動させるには肉体強化とはまた違うベクトルの技術が要求されるので、ルアードが言うほど簡単な方法ではない。研鑽と練磨を重ねて、ようやくできる魔術である。もっとも、その技術で使う魔術が自爆とは微塵も笑えないが。


「そんな風に魔術を使うなんて……」


 ステラが悔しそうに唇を強く噛んだ。魔術を人殺しの、ましてや自爆する為に使うという事実が、彼女の中で受け入れられないらしい。


「許せないか?」

「当たり前です! 魔術を人殺しの道具に使うなんて――」

「でも十年前はそれが普通だったんだぞ。魔術も剣技も、人や魔族を殺すことで磨き上げられてきた技術だ」

「それはそう……ですけど……でも、私は魔術をそんな風に使うのは嫌です!」


 戸惑いながらも、ステラははっきりと否定する。一方のルアードは、苦々しく表情を歪めた。


「若いな、ほんと」

「まだ十六歳ですからね!」

「そういう意味じゃないんだけどな……」


 ルアードがステラにどう説明するべきか悩んでいると、


「お待たせしました。準備できましたよ」


 正面からリーズがハムエッグを持ってきた。

 サラダとスープとハムエッグ。トーストとミルクのお手本のような朝御飯だ。


「とにかく今は食べるか。今日は面倒なことになりそうだし、腹ごしらえはしっかりしないとな」

「面倒なこと?」

「ああ。俺の平穏な生活を乱されないためにも、色々と頑張らないと。その為にも、最低限の体力は回復させておきたい」


 どういう意味だろう、と首を傾げながら、ステラはルアードを見る。口を開くよりも先に、ステラのお腹が鳴った。

 師匠の言っていることはよくわかっていないが、体力を回復させるというのは賛成だ。さっきからお腹が空いてしかたがない。


「いただきます!」


 トーストにハムエッグを乗せて、ステラは勢いよくかぶりついたのだった。


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