『賢者』の怒りと真犯人
一夜が明けた学院は、昨日までの活気が嘘のように静まり返っていた。
昨晩に起きた二度目の焼死事件。その全容は瞬く間に学院中の生徒たちの耳にも広まり、今朝からずっと疑心暗鬼な視線が余所者のルアードやステラに突き刺さっていた。
生徒たちの中にはルアードたちが犯人では、などと騒ぎ立てる生徒まで現れたとか。
「困ったことになりましたね」
学院長室内にアメリア学院長の言葉が木霊する。その表情は暗く、険しいものだった。
彼女の手には亡くなった生徒の個人情報が書かれた紙が握られている。
「亡くなった生徒はクルツ・マーベルストン。一学年の第一階級魔術師で……」
「俺たちに協力的だった生徒だ」
アメリアが重々しく口を開き、その言葉を引き継ぐようにルアードが続く。
「俺たちみたいな事件を嗅ぎ回る連中がいる中で、何故マーベルストンを殺す必要があったのか。まあ、普通に考えたら――」
「これ以上関わるな、という犯人からの警告……」
次いで応えるステラの声は、普段の明るい彼女からは考えられないくらいに暗かった。室内だというのに帽子を深く被り、マントに身を包めている姿は、怒りに耐えているかのようだ。
そんな弟子の姿を横目で流し見たルアードは、小さくため息を溢す。
「――そこのところ、どう思うよ。ベルベット・レィンティアさん?」
わざとらしい口調でルアードは学院長室内の端っこで俯き、無言を貫いていた一人に視線を向けた。
「ツッ……!」
昨晩に起きた事件の生き残りであるベルベット・レィンティアが反射的に顔を上げた。おそらくはろくに眠れていないのだろう。目の下には隈がこさえられ、その表情は血の気が引いたみたいに真っ青だった。
「昨日、なんであの時間にあんな場所に居た? 俺の記憶違いじゃなければ、学院の生徒たちは寮からの外出を禁じられてた筈だろ」
「それは……」
「なんだ、人には言えないことなのか?」
「ちが……」
「なら話せるよな」
言い淀むベルベットにルアードの淡々とした口調と鋭い視線が突き刺さる。
「師匠、いくらなんでもそんな言い方は……」
「黙ってろ、バカ弟子」
酷なことをしている自覚はルアードにもあった。
人が生きたまま焼き殺される光景なんて、かつての戦争で飽きるほど目の前で人が殺される瞬間を見てきたルアードですら、出来ることなら二度と見たくないと断言できる。それくらいのトラウマだ。
だが、それでもベルベットだけがこの場において唯一の真実に繋がる手掛かりだった。ルアードは根気よくベルベットが口を開くのを待つ。
やがて暫しの沈黙の後、ベルベットはその重くなった口を開いた。
「呼び出されたの」
「呼び出された?」
オウム返しのようにルアードが訊くと、こくん、とベルベットが肯定の意味で小さく肯く。
「『ニーナさんが殺された事件を調べている貴女に是非確認して欲しいことがあります』って。私も怪しいとは思ったけど、とりあえず指定されたあの場所に向かったわ。そしたら……」
「仮面の魔術師が現れた、と」
その光景を思い出したのか、ベルベットは恐怖から身体を震わせる。
「そうよッ! あの魔術師がいきなり現れて、あの男子生徒を焼き殺したのよ! 次は私の番になるってわかってッ! それで!」
「レィンティアさん……」
突然錯乱し出したベルベットを急いでステラが抱き抱える。ベルベットの瞳には、薄っすらと涙が溢れていた。
「なんなのよ……もう、わけがわからない」
「大丈夫、大丈夫ですから」
唇を震わせて、歯をカタカタと鳴らすベルベットの姿を間近で見たステラは、これ以上は無理だとルアードに向けて首を横に振った。
その様子を見たルアードは一人壁に背中を預け、天井を眺める。
困ったことになった。つい先程アメリア学院長が口にした言葉の通りだ。ルアードは亡くなったクルツ・マーベルストンのことを思い出す。
やや性格や性癖に問題があったかもしれないが、魔術に対して真摯で努力家な姿勢はルアードにとって非常に好印象なものだった。小さな勇気を振り絞って自分たちに貴重な情報を提供してくれたことに、ルアードは心から感謝している。しかしその所為で命を狙われ、若過ぎる人生を悪意ある他人の手によって終わらされてしまった。その事実がルアードの胸を締め付ける。
運が悪かったと割り切れるわけがなかった。気の毒ではあるが、それは自分たちの所為ではないと開き直ることだってできやしない。ただただ後味の悪さだけが、胸の中で泥のように残り続けている。
しかし、それとは別で微妙に納得のいかない部分もあった。
「――事件の調査を止めるべきでしょうか」
タイミングを見計ったように、アメリア学院長がルアードに魅力的な提案をしてきた。
調査の中止。これ以上の真相はわからず、犯人だけが得をする結末。しかし、少なくともこれ以上の犠牲者が出ることだけは防げるかもしれない。
アメリア学院長の言葉には、そんな意図が含まれているような気がした。
「……続けるさ」
「また、新たな犠牲者が出るかもしれないのに……ですか?」
その通りだと思った。
もしかしなくても、今後ルアードたちに協力的な生徒は現れないだろうという確信もある。当然だ。誰だって自ら好んで命を狙われたくはない。
だが――
そうだとしても――
「出させねェよ。これ以上、魔導具なんてチンケなモンで無関係な誰かを死なせてたまるか……」
ルアード・アルバは、それが繰り返される事を看過できない。
改めてルアードは自覚する。
これはもう友人からの頼み事でも、ましてや王政からの依頼でもないことに。
要するに、これはただのつまらない意地だと。
「いくぞ」
「あ、はい」
踵を返し、ルアードはステラを引き連れて学院長室を後にしようとする。それを引き留める声が一つ。
「どちらに?」
アメリア学院長の問いかけにルアードは足を止め、振り返らずに答えた。
「現場百回、なんて言葉がある。とにかく何度も現場を調べろ、って意味らしい」
だから、とルアードは首だけをアメリアに向けて言う。
「もう一度あの栽培場に行ってくる。必ず、あのふざけた馬鹿野郎を捕まえてやる」
その表情は何時ものヘラヘラした空気は無く、かつての大英雄『賢者』のそれだった。
必ず魔導具の持ち主を見つけ出すと啖呵を切ったルアードが、愛弟子のステラだけを引き連れて再び栽培場跡地に向かったのには理由があった。
実は昨晩の時点で、ルアードの中で朧げながらも事件の真相が見えてきたからだ。亡くなったクルツ・マーベルストンやベルベット・レィンティア。そしてシャーロット・フォーサイスの証言。更には愛弟子のステラが手に入れてきたとある情報。
それらを組み合わせると、一つの仮説が浮かび上がった。しかしそれは、推理と呼ぶにはあまりにも大胆過ぎる仮説だ。断定するには確証がなさ過ぎる。正直、仮説を立てたルアード本人ですらどうしてそんな結論に至ったのか不思議でしょうがない。
故にルアードはあの場での発言を控え、ステラに意見を求めてみることにした。
「おそらくは着眼点がズレていたんだ」
栽培場跡地から少し離れた開けた場所でそう言ったのは、他でもないルアードだ。
「着眼点……ですか?」
一歩下がった場所にいたステラが予想外な言葉に首を傾げた。それにルアードが応える。
「俺はずっと被害者のニーナ・アシュトルフォが殺された理由や、殺害方法ばかりに目が行っていた。だが、本当に調べるべきポイントはそこじゃなかった」
「はあ」
「事件のトリックや証拠よりも先に、何故魔導具が今回の件に絡んでいるかを考えるべきだった」
「???」
「……はぁ。やはりバカはバカか。すまない、猿以下の知能しかないおまえに難しい話をした俺の落ち度だな」
「ちょおおい! いくらなんでも酷過ぎでしょうが!」
何時もみたいに騒ぎ出したステラに、ルアードはため息を吐く。
「要するに、だ。魔術学院なんて陸の孤島に、どうして魔導具なんて法外なブツがあるのかってことだよ」
「それは……ニーナさんを殺害するのに必要だったからでは?」
「何故だ」
「いや、何故と言われても」
「ただ殺すだけなら、いくらでも方法はある。刺殺や毒殺、なんなら金を払って専門家に暗殺を依頼することだって可能だったはずだ。なのに、何故魔導具を使った」
確かにその通りだ。当たり前過ぎて見落としていた。
簡易でお手軽なものから、緻密で本格的なものまで。殺人の方法など、素人のステラが想像できる中だけでも豊富すぎるほどに存在している。なんなら直接的ではなく、間接的に魔術を使うことでスマートに殺人をすることだってできた筈。
しかしだからこそ、今回の事件は色々な意味で解せない。犯人の目的がなんであれ、こんなに回りくどいやり方を選択する意味は皆無に等しい。仮面の魔術師の行動は、ただ悪戯に状況を掻き回しているようにしか見えなかった。
「……それに気に入らないんだよな」
「気に入らない?」
「何日も発見されず、証拠らしい証拠も見つからなかった最初の犯行とは全く違う。奴は俺たちの前にあっさり姿を見せて、凶器まで教えてくれた。しかも二回目の殺人は、まるで見つけてくださいとばかりに派手な立ち回りだ」
一貫性が無い。今回の事件をまとめると、その一言に集約した。
当初のルアードたちは犯人像や事件に使われた凶器、果ては殺害時刻までが不明な怪事件とカインツから訊いていたのだ。しかしその直後に犯人がルアードたちの前に現れ、凶器まで見せてきた。しかもその夜には見せしめの為か二度目の殺人をする行動力の高さ。
最初、ルアードには魔導具を持つとされる仮面の魔術師の目的が見えなかった。
人の行動には、全て動機となる本能・欲求・願望・観念・信条・価値観などが関わっている。
それを、行動原理と呼ぶ。
仮面の魔術師はそれが見えない。チグハグで歪な犯行。
そんな中でも唯一見えてきたのは――
「むむむ……」
腕を組み、唸るような声で考え始めるステラ。その表情は真剣で、思考のし過ぎで頭から湯気が出ていた。
「なあ、ステラ」
「はい?」
場違いだとは理解していても、その仕草にルアードはつい口元が緩んでしまう。その愚直さは魔術師として相応しく、逆に不相応でもある。
やはり彼女が適任だ。そんな確証が持てた気がした。
「今の話をした上で訊くが――おまえは……誰が犯人だと思う?」
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