酒場『ルシエ』
漆黒の髪を煌めかせて、少女は壇上で演奏者たちが奏でる派手な音楽に合わせ、足を打ち鳴らして躍動する。少女が首を振る度に、足を蹴り上げる度に、舞台下にいる男たちが歓声を上げ、口笛を鳴らした。
少女の衣装は、普段の彼女を知る者からしたら信じられないくらいに露出の多いデザインの服だ。へそ周りが剥き出しの短い上衣と黒のレザーパンツ。耳には高そうなイヤリングを付けている。
しかし、それらの衣装は踊りの魅力を引き出すアクセントにしかならない。それほどまでに、少女――ステラ・カルアナのダンスは人を魅了する。時に激しく、時に自由に、それでいてしっかりと見ている男たちの腹の底に響いてくるダンスが、壇上を彩っていた。
「なんつーか……うん。あれ、本当にウチのバカ弟子?」
「その気持ちはわかるわね。私なんか、何回そう思ったことやら」
壇上から少し離れたバーカウンターで、ルアードと店主のカナリアが呟いた。
信じられないことに、今壇上で人々を魅了するダンスを踊っている踊り子は、ルアードの弟子見習いのステラである。
リーズの家に居候することが決まり、問題になったのは当面の金銭だった。
なにせステラは本当の意味での無一文だ。今後の生活の為にも、早急にステラは金を稼ぐ必要があった。
とはいえ、普段は魔術の修行がある身。定期的に稼ぐことができて、ある程度の融通が利くような仕事場がそう都合良く見つかる筈もなく。最終的にステラはリーズの経営する酒場『ルシエ』に泣きついたのである。
しかし、ステラはある意味で予想通りだった。
「お皿は割るし、注文は間違えるしで、いくらルアードの頼みでも流石に困ったわよ」
「面目無い」
手始めに皿を十皿とジョッキを五個叩き割り、注文を取らせれば酒の銘柄がわからないのも合わさって注文を間違いまくる。
初めのうちは苦笑気味だったカナリアの表情筋はみるみるうちに死んでいき、初日から本気でこいつどうしようかと頭を悩ますことになった。
「それにしても、あのバカにあんな特技があったなんてな」
壇上で二曲目の踊りを始めるステラを見て、ルアードは言う。
この使えない従業員の使い道を悩みに悩んで、半分くらいヤケになって、カナリアとルアードはショーの踊り子役をやらせてみたのだ。
運動神経は悪くないし、ダメで元々。そんな気持ちで躍らせたのだが、なんとこれが大当たり。
独創的かつ優雅な踊りから、痛快なステップを刻むダンスまで、実に幅広いレパートリーの踊りをステラは二人に見せつけた。これにはルアードも素直に絶賛。カナリアも直ぐにショーに出演させてみようと、演奏者たちに急いで依頼したのだった。
そして、今日はそのステラのデビューの日だ。
「ありがとうございました!」
やがて演奏が終わり、割れんばかりの拍手に包まれたステラが優雅に一礼して舞台を降りた。そして飼い主を見つけた忠犬よろしく、声をかけてくる酔っ払いたちを笑顔であしらいながら真っ直ぐにルアードとカナリアの方へ歩いてくる。
「師匠、カナリアさん! どうでしたか?」
「良かったぞ」
「最高のショーだったわ。今後は定期的にお願いしたいわね」
「えへへ、ありがとうございます」
敬愛する二人に褒められて、ステラは心底嬉しいそうに微笑んだ。
バーカウンターに座るルアードとステラに、カナリアからグラスが回される。焼けるようなテキーラが、ルアードの喉から腹へ染み渡っていく。
「おまえ、踊りなんて何処で覚えたんだよ?」
「『メイガス』に居た時です。こう見えて、二年くらいは踊り子で生計を立ててました」
炭酸水で割った林檎酒で喉を潤しながら、ステラは上機嫌に答えた。
「なんでそのままそっちの道に進まなかったんだか」
「愚問ですよ、師匠。私は魔術師になりたいんです。まあ、踊るのは好きですけどね」
「さようで」
そう言って、ルアードはグラスを静かに傾ける。喉が焼ける感覚に、不思議な心地良さを感じていると、不意打ち気味に見知った赤毛の男に声をかけられた。
「よう、ルアード」
「げっ……なんでいんだよ」
背後から聞こえてきた声に、ルアードは面倒くさそうに眉を寄せる。
そこに立っていたのは、カインツ・アルマークだった。仕事は終わりなのか、普段の自警団の制服ではなく、半袖のシャツを着ている。
「俺が居たら悪いのか?」
「天下の『剣聖』様が、こんなしみったれた酒場に来るなって言ってんだよ」
私服姿のカインツ・アルマークに、ルアードは笑い混じりにグラスを投げる仕草をしてやる。カインツも悪ノリして、大げさに避ける真似をしてくれた。
「いらっしゃい、カインツ。ウイスキーでいいかしら?」
「ああ、ロックで頼む」
グラスに氷を落として、その中に茶色の液体が注ぎ込まれる。カラン、と氷の溶ける音を楽しんだ後、カインツはグラスに口を付けた。
「本当に弟子にしたんだな」
「おいおい、おまえが弟子にしてみろって言ったんだぞ」
「言ったからこそ、気になっていたのさ。その様子だと、うまくやってるみたいで安心した」
「おかげさまでな」
プイと不貞腐れたように、ルアードは口を尖らせてそっぽをむく。それを見て、カインツは静かに笑った。
「ところで、ルアード」
「なんだよ?」
「アレは止めなくていいのか?」
「あれって……げぇっ!?」
カインツが指差した先を目で追って、ルアードは絶句した。ちょっと目を離した隙に、ステラがグラスの中身を一気飲みしている。周りの酔っ払いたちが面白そうに煽りを入れ、ステラがそれに答えるように空のグラスに新しい酒を注いでいた。問題なのは、注いでいる酒の銘柄が、林檎酒がジュースと錯覚するくらいに度数が高い酒だという点だ。
「ばっ!? なにやってんだ、おまえ!」
「あ、ひょうわらはらひふへぎゅ」
「いやわかんないから」
首を振ると、ステラは何が楽しいのかケラケラと笑い転げ、ルアードの肩をバシバシと叩く。加減がないので、地味に痛い。カナリアから話を聞くと、どうやらステラは林檎酒と間違えてルアードのテキーラを飲んでしまったようだ。それをきっかけに、ステラは片っ端からアルコールを摂取し、ものの数秒で見事に出来上がったらしい。
「ひょうほほんへくらはに」
「カナリア、水! バケツで持ってこい!」
顔を真っ赤にして、やたら上機嫌に枝垂れかかるステラを鬱陶しそうに払いながら、ルアードはカナリアに水を要求した。しまいには服を脱ごうとする始末。必死に脱ぐのを止めようとルアードが頑張れば、後ろから非難の声が飛んでくる。
勘弁してくれ、とルアードはため息を吐いた。と。
ぎいっ、と靴が床を鳴らす音がして、ルアードとカインツは音の方へ振り向いた。
騒がしい店内で、誰かがじっとこちらを見ている。
女だ。若い女性が黒のロングコートで身を包みながら、ルアードたちを――正確にはカインツを睥睨していた。
「『剣聖』カインツ・アルマークですね?」
女にしては低い声。酒灼けしたような声色の女性の瞳が、カインツを射抜く。その瞳の奥には、明確な敵意が滲み出ている。
「そうだが。俺に何か用か?」
「――十年前の復讐に来ました」
「つッ――!」
瞬間、カインツの表情が険しいものに変わった。
騒音の中、この場だけが世界から切り取られたような緊張感が走る。
「皆さん! 急いでわたしから離れてください!」
女が叫んだ。
その声に周りが遅まきに気づき、賑やかな空気は霧散し、奇異の目が女へと向けられる。それを女は気にも留めず、
「この男は! 沢山の
女の目は焦点が合っていない。言葉から隠しきれない怒りが滲み出ている。
女の言葉に、ほんの一瞬だけ反応した者達がいた。女と同じ、魔族の客たちだ。肩を抱き寄せ、一緒に酒を飲んでいる仲間は、十年前なら下等生物と馬鹿にしていた種族だった。
女は、それを思い出させようとしているのだ。
「ちょっと! 演説なら他所でやってよね! 営業妨害よ!」
激昂したカナリアが、女に詰め寄ろうとする。
だがそれを、ルアードは右腕を伸ばして制止した。明らかに普通ではない。女の瞳には、確かな狂気が見えていた。
ロングコートを脱ぎ捨て、女は高らかに宣言する。
「故にわたしはァ! わたしの全存在を懸けてェ! この偽りの英雄に裁きを下しまァす!」
女の胸に光が灯った。それが『ヘカ』の輝きだと、魔術師のルアードは瞬時に理解する。
そして、その組み込まれた術式も――その魔術で目の前の女が何をするのかも理解してしまった。
ルアードはグラスを女に投げつけ、喉の奥から叫んだ。
「――カインツっ! そいつから離れろ!」
「ちッ――!」
まるで最愛の恋人との抱擁をするように、女はカインツに抱きついた。
視認できるまでに膨れ上がった『ヘカ』の熱量が、女の体の内側から漏れていく。
――女は、心底嬉しそうな笑みを浮かべて、
「立てよ、魔族!」
その一言を最期に、女はルアードの目の前で爆発した。
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