参考人その三
シャーロットに付き従って校舎の外に出ると、小さな広場にたどり着いた。こんなところに広場なんてあったのか、と元在校生のルアードは一人驚く。自分が在籍していた頃に知っていたら、さぞかし便利なサボり場として利用していただろう。ひっそりと隠れるように存在するこの場所は、現学院生でも見つけることは難しい。
そんな広場を改めてルアードは見回す。
広場には木製のシンプルなベンチが置かれていた。小さいながらも屋根もあって、野ざらしのわりには小綺麗な印象を受ける。シャーロットは躊躇う素振りも見せずに制服のスカートを整えて、上品にベンチへ腰掛けると、ローブに隠れていたカバンから一本の水筒を取り出した。
「座りませんの」
「…………」
「どうかしまして?」
「あ、いや、お茶を飲むっていうから、てっきり喫茶店にでも行くもんかと」
予想外の場所に案内されて固まっていたルアードがそう言うと、シャーロットは苦笑した。
「残念ですけど、学院の喫茶店はこの時間にはもう閉まってますの。まあ、貴方と二人きりでお話しがしたかった、というのもありますけど」
照れ隠しのように微笑みながらそう言われて、ルアードは途端に背中が痒くなった。女にそんなことをそんな表情で言われたら、どんな鈍い男だって一撃だ。それはルアードとて例外じゃない。
自分の顔に熱がこもるを自覚しながら、ルアードは火照りを誤魔化すようにわざとらしく大きな音を立ててシャーロットの隣に座る。
「本当はお茶菓子も用意できたら良かったのですけど」
カバンから取り出した水筒の中身は紅茶だった。まだほのかに湯気が出るそれを、シャーロットは手慣れた手つきでカップに注いでいく。
「お待たせしましたわ」
程なくしてベンチの上には、二人分のカップが並べられる。そのうちの一つを口に運んでから、シャーロットは話を切り出した。
「調査は順調ですの?」
ルアードは頷き、答える。
「すこぶる順調だよ。今、犯人の素性を調べているところだ」
「そう……ですの」
一息ほどの間を置いて、
「あれだけの目にあったのに、まだ調査を続けますのね」
あれだけの目にあったのに。それが何のことを言っているのかは、ルアードにも直ぐにわかった。
「殺人事件の犯人が栽培場を爆破した。学院中がこの話題で持ちきりですわ。もっとも、先生方はただの事故だとおっしゃってましたけど」
「まあ、無理があるわな」
ルアードがシャーロットの言葉を肯定するように言った。
彼等も馬鹿ではない。ましてや、『エルギア』魔術学院にいる生徒は例外なく将来有望な見習いばかり。栽培場で起きた一件が、学院を騒がしている殺人事件と無関係な事故だと説明したところで、誰も信じないのはわかりきっている。
「生徒の中には自分が犯人を捕まえてやるんだ、と躍起になっている者もいますわ。……亡くなった方の元ルームメイトさんなんかは特に」
「そうか。なら、教員たちに目を光らせるように言わないとな。余計な被害者が出たら困る」
「ですわね」
そこで一旦会話を止めて、ルアードはもう一つのカップに手を伸ばした。
「じー…………」
「あの、そんなにガン見されたら飲めないんだけど」
「お気になさらず」
「いや、だから……」
「お・気・に・な・さ・ら・ず」
じっと、何かを期待しているような表情のシャーロットに困惑しながら、ルアードは紅茶を口に含んだ。高級な茶葉を使った、上品な味……とでも答えれば良いのだろうが、生憎と紅茶にそこまでの拘りも知識もないルアードには、昼間に飲んだのよりも若干美味い程度の違いしかわからない。しかし、ルアードはここで素直にそう答えたら、どんな目にあうのかを長年の経験から知っていた。
「……うまいな」
「でしょう! わたくし一押しの茶葉なんですのよ!」
当たり障りのない感想をチョイスしたつもりなのに、シャーロットは最高級の褒め言葉を受け取ったような態度で得意げに胸を反らした。その表情はとても嬉しそうだ。
――ああ、そうか。シャロの場合は違うのか。
たかが紅茶でそこまで喜べるのか、とルアードは思ったが、よく考えなくても彼女の場合はそうなのだと思い直す。
尊敬する父親を戦争で失い、誇りだった家名は汚され、唯一の味方だった人物もいなくなったシャーロットは――どれだけ努力し、結果を出しても、他人に褒められたことがないのだと。
それなのに何故彼女は、
「なあ。シャロ」
会話を再開しようとして、次の言葉を躊躇っていることに気づく。微妙に居心地が悪く、歯切れの悪い言葉しか出でこない。
そもそも、彼女がこの二人だけのお茶会を開いたのか。その意図を、ルアードは測りかねていた。
心当たりは……山ほどある。
シャーロット・フォーサイスとルアード・アルバには、簡単に説明できないだけの過去があった。それらの中から誘いの理由を探してみるが、向こうから話を切り出さないのでどれも推測の域を出ない。
だからその前に、――ルアードはどうしても彼女に訊きたいことがあった。
「おまえ、何で
「あら? 魔術師の家系の者が魔術師を目指すことが、そんなに珍しいですの」
「いや、だって……」
ルアードは思わず口元を押さえて言葉に詰まった。
例えばステラのように、純粋な憧れで魔術師を目指すのとは訳が違う。シャーロットが、『愚者』のフォーサイスの烙印を押された者が世間の目と戦いながら魔術師を目指すことは、文字通りの意味で茨の道だ。
「辛く……なかったのか?」
「辛かったですわよ。入学して直ぐに後ろ指を指されましたし、簡単な魔術すら失敗することは許されない毎日でしたわ」
「ならなんで……」
その道を選んだのか。ルアードは自分の心臓が早鐘を打っているのがわかった。
次の言葉をルアードが選ぶよりも早く、シャーロットは答える。
「復讐の為ですわ」
「…………」
途端、ルアードの鼓動が早くなる。会話を続けるべきか迷った。しかしシャーロットの表情は言葉とは真逆に、柔らかな微笑みを浮かべている。
「お父様は偉大な魔術師でしたわ。聡明で、誰よりも魔術師の未来を見据えていた。それは、他でもない貴方が一番良く知ってはいなくて?」
「ああ」
ルアードは短く返事をした。
シャーロットの父親は『愚者』ではない。むしろその逆だ。彼以上の魔術師をルアード・アルバは知らない。
「師匠は凄い魔術師だよ。弟子だった俺が、一番それを良く知ってる」
ルアードはシャーロットから目を離して、夕暮れの空を見上げた。
十年前。『聖戦』の時代。旅の途中で偶然知り合って、そのま強引に弟子入りをした。
生まれて初めて強くなりたいと願い、生まれて初めて他人に本気で頭を下げた。
期間にすれば、僅か二カ月あまり。だが、その二カ月がなければルアードは『五人の英雄』にはなれなかった。
「いきなり雪山に二カ月も放り込まれて、何度も何度も死にかけてさ」
当時の師匠のゲスな笑顔を思い出して、恐怖と怒りでカタカタと震えだす。
「それが終わったら攻撃魔術を体で覚えろ、とか意味不明な理由で殺されそうになってよ」
あの時に見た走馬灯が、一番ヤバかった気がする。薄れゆく意識の中で見た悪どい顔をした師匠の顔が、今でも夢に出てくるのだからタチが悪い。
「ああ……魔術で金稼げ、とかわけわからん修行もあったっけ……」
「ちょっと、大丈夫ですのっ!?」
だんだんと瞳のハイライトが消えていくルアードを本気で心配するように、シャーロットが声を荒げた。結果的に生きていたから大丈夫。そう言って、ルアードは力なく笑った。
とつとつとルアードが語り始めた思い出話は、まるで昨日のことのように鮮明で強烈な体験ばかりだ。辛かったことの方が多かった。だけどそんな日々が新鮮で、その全てが血肉となったのだ。
それは間違いなく、『賢者』になるよりも前、未熟で無鉄砲な魔術師だったルアードだけが知っている記憶だ。
だからこそルアードは――偉大なる師匠から『賢者』の称号を奪い、『愚者』の烙印を押した自分が許せない。
「……本当に、俺の師匠は凄い魔術師だったよ」
最後にそう言って、ルアードはカップに残っていた半分ほどの茶を飲み干す。シャーロットは、そうですの、とだけ答えてまだしばらく無言だった。
やがて、空になったカップに新しく紅茶を注ぎながら、シャーロットは言う。
「わたくしは『五人の英雄』を許せませんわ。お父様を奪い、あまつさえ不名誉な烙印を押した彼等を、わたくしは生涯ずっと憎み続ける……けれどそれは、わたくしの中だけに留めておくべき憎悪ですわ」
世界を救った英雄たちを、生涯ずっと憎み続ける。
ルアードは自分の中の感情が掻き乱されていくのを自覚したが、シャーロットは動じる気配をみせない。
もしかしたら、彼女は自分の正体を知っているのだろうか?
確かめることのできない疑惑に支配されるルアードを、疑うでも探るわけでもなく、あくまで自然にシャーロットは言葉を続ける。
「結局のところ、わたくしは何がしたいのか。それはわたくし自身もよくわかっていませんの。だから、お父様が何故『愚者』にならねばならなかったのか。先ずはそのことから知ろうと思いましたわ」
だから魔術師を目指している。
では彼女が言う復讐とは何か?
注ぎ終えたカップを手渡し、シャーロットの視線が真っ直ぐにルアードを射抜いた。復讐すべき相手は、憎悪を向けるべに怨敵はここにいると、いっそ楽になりたくて、一思いに自白したい衝動に駆られる。
「魔術を知り、魔術師の地位を確約して……いずれはお父様のような魔術師になる。わたくしはその為なら、どんなことでもするつもりですわ」
シャーロットの瞳には、はっきりとした信念が宿っていた。その原動力を知らなければ、純粋に彼女のことを応援できたのだろう。
何が彼女をここまで変えてしまったのか。あの屋敷で二人きりで過ごしていた頃の彼女は、もう何処にもいない。
そうしてしまったのは、他でもない自分なのだ。
「そうか……」
それっきり、会話らしい会話は特になかった。
ちびちびと居心地が悪そうに紅茶を飲むルアードを、なぜか機嫌の良いシャーロットがじっと見つめている。そんな謎の構図は、水筒の中身が空になるまで続いた。
事件が全て終わった後、ルアードはシャーロットがお茶会に誘った理由を、彼女が本当に伝えたかった真実を知る機会を自ら手放していたことを後悔することになる。
あの時のシャーロットの言葉にもっと真っ直ぐに向き合うべきだった。
――それさえしていれば、犠牲者は一人で済んでいたかもしれないのに……。
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