惨劇の始まり

 目の前の光景が現実のものだと理解するのに、ルアードは数秒の時間が必要だった。

 頭では理解していても、自分の目と心がそれを否定しようとしている。

 王都『エルギア』の中心地は、人が賑わう場所だった。

 住宅地が並び、露店が並び、人々で賑わう。そんな場所だった。

 ルアードにとっての日常。在ることが当たり前の光景。


 ――それが、今は地獄となんら変わりない光景に変わっている。


 地面には抉れたように出来た巨大なクレーター。露店は壊れ、多くの人が怪我をし、流れ出した血の臭いが大気に満ち溢れている。治療の為に自警団の団員たちが忙しなく動き回っているが、それでも人手が足りない。

 おそらくはクレーターの中心部が爆発地なのだろう。そこを中心に、被害は広がっていた。

 ルアードはその惨状を前に、自分の奥歯を強く噛んだ。平和ボケにも程がある。街中での自爆テロなど、『聖戦』の時代ならば真っ先に思い浮かぶはずなのに、それを真っ先に頭から消してしまった自分を心底殴りたいとルアードは思った。

 人混みを掻き分けて、先に向かっていたステラを探す。人が多過ぎて、前に進むことすら困難だ。


「《影よ・汝の名を示せ》――」


 目で探す時間が惜しい。ルアードは意識を『マナ』の感知に集中させる。見えない点がルアードの瞼の裏側に映り、人間と魔族を分け、そこから更に男と女に分け、ついにはステラ・カルアナという人物を探し出した。


「――見つけた」


 爆発地のクレーターのすぐ近くにステラはいた。

 ステラは、小さな子供を抱きしめるように抱えて、その場にうずくまっている。体を丸めるようにして、まるで腕の中にいる子供を守るように。

 肩を震わせ、胸の中の黒い感情が漏れないように……

 その瞬間、ルアードは何があったのかを直感的に理解してしまった。


「最悪だ」


 呟いて、ステラのいる場所に到着する。ステラは背中越しにルアードに気づいた。


「……師匠」


 その声はとても弱々しく、それでいて怒りが込められていた。


「自爆したのは、その子の親族か?」

「はい。買い物帰りに……この子のお母さんが突然豹変して……この子の前で……」


 ステラの腕の中で、子供は泣いていた。脇目も振らず、何が起きたのかを理解しないで、母親が目の前で死んだという、ただ一つの真実に涙を流していた。時折聞こえてくる、「ママー、ママーッ」と泣く声が、やり場のない怒りと無力さを膨張させる。


「クソッ……!」


 ルアードは八つ当たりのように、近くにあった壁を力任せに殴った。無論、それで気が晴れるわけもない。

 おそらくは、こんな惨状が『エルギア』の各地でほぼ同時に起きているのだろう。

 突然の豹変。そして自爆。連鎖する負の感情。

 漂う血の臭いと悪意に、ルアードは十年前に逆戻りした気分になった。

 グルグルする感情に、吐き気と苛立ちを感じ始めた頃、


『――仮初めの平和に縛られた愚かな愚者よ』


 不意に、空から声が聞こえた。

 この場に居る者たちの動きが止まり、誰もが例外なく空を見上げる。

 そこには何もなかった。ただ、誰かの声だけが、風に流れて聞こえてくる。


「師匠……これは?」

「風の魔術だ。たぶん、術者の声を風に乗せて、『エルギア』中に飛ばしてるんだろ」


 つまり、声の主は魔術師だ。この惨劇の直後に聞こえてくる悪趣味な名乗りの口上に、ルアードは無意識に拳を強く握り締めた。


『……今、この瞬間に、勇敢なる八人の同志たちが断固たる意志と想いでこの紛い物の世界に鉄槌を下した! 我らが願うは『エルギア』の真の解放! この地に住まう下等生物たる人間たちに告げる! いますぐこの地を我ら誇り高き魔族に明け渡し、即刻去れ!』


 無茶苦茶だ、とルアードは思った。回りくどく、下手くそな演説だが、要するに『エルギア』を魔族の独占国家にしろと言っているのだ。そんな横暴が通るはずがない。

 しかし、声の主はそんな横暴を無理矢理に通そうとする。


『期限は明日の正午。要求に応じなければ、更に百人の同志たちがこの仮初めの平和に鉄槌を下すだろう!!』


 ――悪意が嗤った。

 その瞬間をルアードはたしかに感じた。


「そういうこと……かよ……だから、自爆テロだったのか」


 ようやく全ての謎が繋がった。

 何故暗殺ではなく、自爆テロだったのか。その答えがこれだった。

 連中の狙いは『五人の英雄』の抹殺ではなく、最初から『エルギア』そのものだったのだ。

 しかも、タチの悪いことに、この要求は最悪の場合


「……百人の魔族が、自爆する?」


 しばし硬直していたステラは、ようやくそう口にした。今の言葉を理解するのにひどく時間がかかったようだ。

 それはある意味至極当然だった。ステラは今の平和な時代しかしらない。だから、こんな方法を実行するという考えそのものがステラには思いつかないのだ。


「そんなことをして、何の意味があるんですか。ただ悪戯に被害が広がっていくだけじゃ……」

「普通はそうだ。だが、それが『エルギア』で起きたってことと、その方法が自爆テロなら話は変わってくる。少なくとも、このふざけた演説の後に人間たちは魔族をどう見る? 間違いなく、生きた爆弾にしか見えなくなるに決まってる」


 ルアードは自分の推測を口にした。

 人と魔族の唯一にして、絶対の違いは、体内で魔力を生成する器官の存在。それが今この状況では、生きた爆弾として認識されている。

 いつ爆発するかわからない爆弾を抱えた存在と一緒に居れるか? 答えは――無理だ。


「連中の本当の狙いはそこだ。要求が通れば、完全魔族国家の設立。失敗しても、人間と魔族の関係は間違いなく壊れる」


 一度生まれた不安や疑心は、決してその人の中から消えたりはしない。

 それがたとえ、魔族との共存を目指している『エルギア』の民だとしても……


「そんな……」


 あるかもしれない未来を、ステラは直ぐに想像した。

 最悪の場合、『聖戦』の再現、否、それ以上の戦争が起きるかもしれない。


「なんとかならないんですか! 魔術で爆発する前に止めるとか!」

「無理だ……いくらなんでも数が多過ぎて、解呪が追いつかない。爆弾みたいに目で見えない所為で探すこともできないし、ぶっちゃけ打つ手がない。出来ることなんて、それこそ今すぐ『エルギア』から避難するくらいしか……」

「師匠、それ……本気で言ってますか?」


 不意打ちのように、低く冷たい声がルアードの頬を打った。

 ステラは感情に任せて叫んだ。


「『聖戦』を終わらせた貴方が……どうして逃げろなんて言うんですか! 魔術師の最高峰である貴方が! 『賢者』と呼ばれた貴方が! 目の前の悪意にあっさり屈するんですか!」


 泣き噦る子供を抱きしめて、一気にまくし立てるステラを、ルアードは呆然と見つめた。その瞳にあったのは、純粋な怒り。それは悪意に向けられた感情だった。盗っ人の魔族に立ち向かった時よりも力強く、そして美しい瞳にルアードは息を呑んだ。

 その瞳の輝きが、かつての盟友を思い出させる。反射的に足を一歩、後ろに引いていた。


「私は魔術で沢山の人を救いたい。だから魔術師を目指してます。その力を、その知識を、困っている誰かのために使いたい! 悪意に屈しない――正義の魔術師に私はなりたい!」


 眩しい。素直にそう思った。


 若さ故の未熟さと、笑うことができなかった。


 世界を知らないと、反論することができなかった。


 それが偽善だと、ルアードは否定できなかった。


 それほどまでに、ステラ・カルアナの瞳と意思は美しい。


「……なのに、どうして貴方がそんなことを言うんですか」


 激しさを抑えて、ステラが呟く。


「私の目標が。私の目指している至高の魔術師が、そんなことを言わないでください」


 ステラの目には涙が溢れていた。

 その姿を、ルアードは直視できずに、目を逸らした。逃げ出したいとすら思ってしまう。

 別にルアードは正義感に溢れた青年ではない。英雄と呼ばれるようになったのも、『聖戦』の時代に自分が気にくわない相手に喧嘩を吹っかけていたら、『賢者』なんて大層な二つ名と一緒に勝手に付いて来ただけだった。英雄という肩書きも、『賢者』なんて名前も、自分には文不相応だ。

 楽して、自堕落な生活を送るのが一番。それが今のルアード・アルバの望みだった。

 だが、それならば、どうしてこんなに胸がざわつくのか。

 もしもこの場に『勇者』が居たら、迷わず動くのだろう。彼はそういうやつだ。

 そんな『勇者』と、ステラが被って見えた。


「この子をお願いします。私、カインツ様のとこに行って、何かお手伝いをしてきますから」

「待てよ。行って何になる」

「それでも、私はじっとして何にもしないのだけは嫌なんです」


 小さな笑みを浮かべて、ステラは走り去る。

 その時、ルアードはようやくステラのことを少し理解できた気がした。

 彼女は止まらないのだ。

 『メイガス』から『エルギア』に来た時も。

 ルアードに弟子入りをする時も。

 魔術師の厳しい修業中も。

 彼女は逃げることを良しとせずに、泣き言を言いながら、身体中を傷つけながら、真っ正面から立ち向かっていた。

 それこそが、ステラ・カルアナの力なのだと、ルアードは理解する。

 その力強さは、今のルアードには眩し過ぎた。


「俺は……」


 気付けば、ルアードの予想通りの光景が広がっていた。魔族から逃げ出す人々が視界のあちらこちらに見える。走る気力はない。混乱の中で、それを他人事のように感じながら、泣き続ける子供を自警団に預けて、ルアードはリーズの家に向かって歩いていた。


「魔術師はもうやめたんだ。なにが正義の魔術師だよ、アホらしい」


 まるで自分に言い聞かせるように、ルアードは呟き続けた。

 家には誰もいなかった。リーズは出掛けているのだろう。この非常事態に、カインツの元に行っているのかもしれない。外の騒々しさから隔絶された静けさはルアードの心に違和感を覚えさせる。ルアードは近くにあったソファに寝転がった。

 天井をぼんやりと眺めていると、まとわりつく違和感が薄れていく感じがする。だがそれと同時に、新しい違和感が浮き上がってしまう。

 違和感の正体はわかっている。自分自身の行動に対する違和感。

 民の危機に、平和の崩壊を前にして、自分が何もしていないという違和感だ。


「十年前の俺なら、どうしてたのかな……」


 ぽつりと呟いて、ソファに深く沈む。

 旅の途中、魔族に支配された地域に行った時、気に入らないから、と『勇者』と一緒に支配していた魔族の城に殴り込みに行ったことがあった。気に入らない。そんな単純過ぎる理由で、たった二人だけで三十人近い魔族と戦った。

 人間が魔族を監禁していた村があった時も、なんとなくムカつくから、と魔族を逃したこともある。

 誰の味方でもない。自分だけの味方として、自由に生きていた。

 しかし、今のルアードには、そんなことをする資格はない。


「嘘……ついたな……」


 ルアードはステラに嘘をついていた。

 何とかする手立ては――確かに存在するのだ。ただ、それをすれば、『賢者』の存在が再び表舞台にバレてしまう。十年前、平和の為に『賢者』は自分から死を選んだ。ここにいるのは、ただのルアード・アルバで、『賢者』ではない。

 だから、ルアードは何もしない。


「……ッ!」


 そこまで自分に言い訳を重ねたところで、ルアードは近づいてくる気配に気づいた。

 『ヘカ』の流れを感じ取り、近づいてくる気配が魔族だとわかる。


「――あ、先に帰ってたんですね」

「リーズ……?」

「はい。なんですか、ルアード」


 扉を開け、姿を見せたのは、見慣れた銀髪のエルフだった。

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