ヒモと尾行少女
人間と魔族との長きに渡る種族戦争が終結して、十年あまり。その十年という短い歴史は、発展と改革の歴史だったと断言して良い。
王都『エルギア』は、『エルトリア』の大陸全土で、戦後最も繁栄した場所だった。かつての大戦時には、人類を護る牙城として君臨していた巨大な城と、人々が行き交う賑やかな城下町が目立つ場所である。
人間、魔族問わずに多くの種族が住まう『エルギア』が、他の国や町に与える影響はとても大きい。
獣人、精霊、エルフに人口生命体、さらには半妖半魔――この『エルギア』では、かつての戦争によって数を減らした魔族たちとの共存、保護を積極的に行なっている。
理由は至極単純明解。
何故なら、『エルギア』こそ『エルトリア』の大陸で一番初めに人類と魔族の共存を始めた場所であり、魔族を束ねていた『魔王』を討伐した英雄たちの故郷でもあるからだ。
十年前に終戦した『聖戦』と呼ばれる人間と魔族との種族戦争。
百年以上続いたこの戦争を終結に導いたのは、異界から
『エルギア』元国王リーヴァー王の私兵として多大な戦果を上げた彼らは、いつしか民衆から英雄と呼ばれる様になり、その期待に応えるように魔族を束ねていた魔王を見事討ち滅ぼして戦争を終結へと導いた。
そして、
戦争から十年が経った現在では、少年の思想である魔族と人間の共存の道を歩む為の方法を日々模索している。王都『エルギア』もその一つであり、『エルギア』に住まう魔族には等しく市民権と人権が与えられ、人間と同様に、学び、働き、暮らすことが許されている。
共存の道は、『エルギア』に大きな発展をもたらした。
ある人間は魔族の知識を借りて、医療技術を大きく発展させ。
ある魔族は人間と協力して貧しかった土地を豊かにし。
またある者はより単純に、人間と魔族という種族の壁を越えて
王都『エルギア』は、魔族と人類が共に生活する為の場所であると同時に、平和の象徴でもあり、新時代の先駆者でもあった。
「――腹へったなぁ……どっかに金とか落ちてないのかよ」
ぎゅるる、ぎゅるる、とやたら煩い腹の虫に虚しさを感じながら、ルアードは舌打ちを一つ落とす。
仕事を終わらせた男たちの腹を満たす為に、何処も彼処も良い匂いが漂ってくる。香ばしい肉の焼ける匂いが空腹を刺激し、ほのかに鼻を刺激する酒の香りが一日の疲れを吹き飛ばす。
それら全てがルアードの肉体に――主に胃袋に深刻なダメージを与えてくる。正に生き地獄だ。
――リーズの機嫌は治っているだろうか?
そんな不安がルアードの頭を過ぎった。機嫌が治っていなければ、帰ったとしても当然食事にはありつけない。それは非常にマズい。機嫌が治っていることを願うばかりだ。
徐々に賑わう人混みを掻き分けながら、ルアードは夕暮れ時の城下町を歩いている。
そして何気無い仕草で背後を確認し、困ったようにため息を吐いた。
「何処の誰だよ……ったく」
――誰かに尾けられている。
酒場『ルシエ』を出てからずっと、やたらと熱烈な視線をルアードは感じていた。
人混みの中からでもわかるほどの熱視線。その正体は、真っ黒いマントを羽織った少女だ。
彼女が羽織っているマントはやたらと大きく、小柄な彼女の体躯をすっぽりと覆い隠していた。自己主張するかの如く、木製の巨大な杖を大事そうに抱えていて、控え目に言って、かなり目立つ。加えて、趣味の悪そうな三角帽子が、更にその異質さを際立たせていた。魔術師というよりは、魔女と言った方がしっくりくる風体だ。
顔はマントと三角帽子の所為で、遠目からはよく見えないが、少なくともルアードの知り合いに魔女擬きの少女はいない。
彼女はルアードが何度か足を止めて振り返れば、その度に自分も足を止め、いそいそと物陰に隠れる。しかし、自己主張の激しい身なりの所為で全くと言っていいくらいに隠れていない。道行く人々の視線は、不審者半分微笑ましさ半分といったところだ。明らかに尾行されている。されているが、これほど間抜けな尾行をしている本人は、ルアードに気づかれていないつもりらしい。
「……まさか、家まで着いてこないよな?」
ありえそうな可能性を検討して、ルアードは頭を悩ました。
同居人のリーズは基本的にお人好しの化身みたいな女性だ。もしかしなくても、ストーカー紛いな少女をほいほいと家へ上げるだろう。そうなると非常に面倒くさいことになるのは明白だ。
ただそれにしても、少女が自分を尾けている理由がわからない。ルアードに用事があるのなら、声の一つでもかければいいのに、それをしないのはどういうことだろう。
一応、本当に一応の理由として、自分が尾け回される原因に心当たりが二つほどあった。だがそれは、どちらもあまり考えたくない可能性でもある。
「…………仕方ないか」
はあ、と長い溜息をついて、ルアードは仕方なく此方から少女に声をかけることを決めた。ずっと尾けられても困るし、変な噂になったらもっと困る。それならば、自分から声をかけようと思ったのだ。
足を止めて、ルアードは少女のいる方へと振り返る。また隠れるんだろうな、と確信しながら少女を探すと、そこにはある意味では予想通りな光景があった。
魔女擬きの少女の行く手を遮るようにして、見知らぬ男が立っていた。年齢はルアードと同じか、或いは少し上程度。身なりは綺麗で、右腕にはシンプルな腕章が付けられている。わかりやすく言えば、自警団だ。おそらくは見回り中に不審人物がいるとでも連絡を受けたのだろう。怪しさ満点のあの格好では、当然といえば当然だった。
「――君」
「ひや、ひゃい!」
風に乗って二人の会話が聞こえてくる。自警団の男はあくまで紳士的に対応していたが、魔女擬きの少女はびくびくと怯えていた。
少女は必死に自分の無実を主張しているようで、目的や身分を確認する紙を自警団の男に見せている。しかし、証拠不十分なのか、一度詰所に連れていかれるらしく、男は少女の腕を掴んでいた。連れていかれたくないのか、少女は言い訳のような何かを口にしながら、必死に抵抗している。
夕暮れ時、人が集まる中で半分泣きそうな顔で抵抗する少女の姿は、ずいぶんと弱々しく見える。遠目から一連のやりとりを観察していたルアードは、自分がなにか悪いことをしているような罪悪感に襲われた。
その罪悪感に負けて、少女の動向を見ていたのがいけなかったらしい。
「あっ……」
「げっ……」
きょろきょろと助けを求める少女と、偶然にも目が合う。声を出したのは失敗だったと、ルアードは目を合わせた瞬間に理解した。
ルアードと少女はしばらくの間、互いに見つめ合う。やがて、少女は迷子の子供が母親を見つけたような安堵の表情を浮かべる。
「け……『賢者』様!」
上擦った声で彼女は、ルアードにとって一番の禁句を叫んだ。
目蓋に涙を浮かべ、手を引く自警団に「あの人です! あの人ですよ!」とルアードを指差す。
一方、興奮する少女とは対照的に、ルアードはひどく落胆していた。先ほどまで抱いていた罪悪感も消え、代わりに少女に対してひどい嫌悪感を抱く。
彼女がルアードを尾行していた理由は、今の一言でよくわかった。考えていた二つの理由。その内の一つがどんぴしゃりだった。この魔女擬きの少女は、『賢者』と呼ばれる魔術師を探していたわけだ。しかも仇討ちや名売り目的の賞金稼ぎの類いでもなく、よりにもよって自分を慕う側の人間だった。
この時点でルアードは目の前の少女と一切関わらないことを決めた。あの身なりで自分を『賢者』様などと大層な呼び方をしている理由は、自分に魔術師の師をして欲しいとかの話に違いない。
「――冗談じゃない」
吐き捨てるように口から溢れた言葉。そこには様々な感情が混じっていた。
未だに大声で「『賢者』様! あの、『賢者』様! もしもーし?」と叫ぶ少女を無視して、ルアードはその場から逃げようと再び踵を返す。
「な……!? 待って、待ってください、『賢者』様!」
割と真面目に切羽詰まったように、少女が再びその名を呼んだ。
ルアードはうんざりと顔をしかめる。大陸最強の魔術師こと『賢者』は、十年前に引退したのだ。なんなら戦死扱いにしてもいいとすら本人は思っている。戦争時にあまり表舞台に出ていなかったのもあって、ルアード・アルバが『賢者』だと知る者は少ない。
少なくとも現在の『エルギア』で、ルアード・アルバが『賢者』だと知っているのは、ルアード本人以外にはごく僅かの関係者しかいないはずだ。
それなのに、何故この少女はルアードの正体を知っているのか。そんな疑問も、目先のトラブルの前には霞んでしまった。
他人のフリをしよう。実際に名前も顔も知らない赤の他人だし。
今日見たことは速攻で忘れようと心に決めて、ルアードは普段の彼からは想像もできない爽やかな笑顔を貼り付けた。
「あの、すみません。たぶんそれ、人違いですよ」
「え? 人違い? え、え……?」
「じゃあ、僕はこれで失礼しますね」
「え……あの、え、え?」
少女が困惑したようにルアードを見つめた。人違いだと言い張るルアードの出任せを、本気にしたらしい。
騒ぎを聞きつけた野次馬が、ざわざわと騒ぎ立てる。
これ以上は目立ちたくないルアードは、困惑している少女を自警団に任せて、早々に帰路に着こうとした。
そんな時だ。
穏やかな夕暮れ時の城下町に相応しくない叫び声が突然轟いたのは。
「泥棒だぁ!」
喉が張り裂けそうなほどの悲痛な、助けを求める様な声が聞こえ、穏やかだった城下町に悲鳴が上がる。
「誰かッ! そいつを捕まえてくれ!」
声のする方に目を向ければ、一人の男が倒れていた。おそらくは先の叫び声の主は彼だろう、とルアードは当たりをつける。
倒れる男性の数メートル先には、もう一人の男がいた。
脇に小包らしき物を抱え、人混みを切り裂く様に走っている。
おそらくは盗み。戦後、戦前問わずに、こうした城下町では決して珍しくはない行為だ。
「……ったく、盗みするならもうちょい
軽い口調とは裏腹に、ルアードに焦りの色が浮く。小包らしき物を抱えて走る男の獣耳や、口元に生える牙が、盗人が魔族であることを教えているからだ。しかも気性の荒いことで有名な獣人種ときている。
単純な筋肉としての力で、彼ら獣人種に勝てる種族は少ない。戦争時はその力を活かして、魔族軍の傭兵になる獣人種も多かった。
そんな獣人種が、夕暮れ時の城下町で人の波をかき分けて爆走している。
戦争終結後の現代において、魔族が人間に危害を加えたり、犯罪を犯したりすることはあまりない。そんなことをすれば、たちまち王族所属の衛兵たちが大挙して押し寄せてくることになる。だから、この騒ぎも直ぐに終わるはずだ。
問題は、その獣人種がルアードのいる方向へと向かっていることだった。万が一にも、騒ぎに巻き込まれたら、ルアードにもとばっちりが来るのはわかりきっている。
そんな面倒なのはごめんだ。
関わらないのが正解。
ルアードは巻き込まれる前に、急ぎ足で今いる場所から離れようとした。
離れようとして、そういえば自警団のやつがいるじゃないかとか思い出してしまい、ルアードは一度足を止めて振り返る。そして、そこで目にした光景にぎょっと目を剥いた。
爆走を続ける獣人種の行く手を塞ぐようにして、先ほどの魔女擬きの少女が立っていたからだ。黒いマントを翻し、趣味の悪い三角帽子を摘み、力強く杖を握る姿は、自分は正義の魔法使いだと言っているようだった。
「どけぇっ!」
迫る獣人種の男が吠える。
魔術で獣人種の足を止める気なのは、直ぐに理解できた。
確かに、魔術ならば筋力で劣る人間でも獣人種を抑えることは可能だ。そして、目の前の少女は格好や挙動はともかく、曲がりなりにも大陸最強の魔術師に関わろうとする人物。必然的に魔術の腕もそれなりに自信があるのだろう、とルアードは考えた。
「――っすぅ……」
少女が息を大きく吸うと、空気中の『マナ』が、少女の握る杖へと集まっていく。杖の先に収束される魔力の波動が、大気を揺らす。そして、
「《爆ぜろ・炎の矢よ》」
次の瞬間、こちらに向かっていた獣人種の男は、巨大な爆発によって勢いよく吹っ飛んだ。
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