尾行少女とトラブル
小気味いい爆発音が夕暮れの城下町に響き、獣人種の男が悲鳴を上げて吹っ飛ばされる。
「あ、あれ?」
吹っ飛ばした張本人の少女が、焦った様な声を発した。こんな筈では、と困惑の表情を浮かべている少女を見て、外野のルアードはなんとなく少女の心中を察する。
おそらくは『火』の魔術を使ったのだと思う。
僅かに空気中に残った『マナ』の残り香と、爆発の際に起きた火花を見て、ルアードは瞬時にそう理解した。だが、実際に何の魔術を使用したのかまでは、ルアードにも正確にはわからない。わかっているのは、魔女擬きの少女が放った魔術が、派手に失敗したということだけだった。
魔力の流れは感じられた。組まれた術式は遠目からな所為で正確な解析はできないが、特に問題があるようには見えない。可能性があるとすれば、彼女の才能が非常に残念であるということだろう。いずれにしても、あの少女が魔術の才能に恵まれていないことは間違いなかった。
もしかしたらあの少女は、実はとんでもない才能を秘めていて、その才能に振り回されている大器晩成型の未熟者なのかもしれない、と想像して、いや、それはないな、とルアードはすぐにその可能性を否定する。目の前で魔術の発動を失敗して、おまけに自分で生み出した煙で半泣きになっている天才は、たぶんいない――かつての仲間、『勇者』以外にはいないはずだ。
「しょぼっ……」
ルアードは少女の魔術への素直な感想を溢す。控えめにいって、しょぼい。術式の展開速度、循環する魔力の質、そして威力。全てにおいて落第点だ。
それでも爆発の勢いだけはよかったらしく、獣人種の男はごろごろと地面に転がった。しかし、爆発が派手なだけなので、当たり前だが、見た目ほど大したダメージは受けていない。獣人種の男はすぐさま立ち上がり、魔術を放った少女を睨みつけた。
「てめぇ……魔術師か!?」
牙を剥き、威嚇するように喉を唸らせて、獣人種の男が怒鳴る。
もとより獣人は好戦的な性分の魔族である。本能的に戦いのスイッチが入りやすい。有り体に言えば、頭に血が上りやすい。
「……人間の魔術師如きが魔族の邪魔を……!」
その罵声に少女は眉を寄せた。遠目にいるルアードも同様に眉を寄せる。
戦争の時代から現代に至るまで、人間の魔術師は魔族から嫌われていた。
太古の昔、魔族のみにしか扱えなかった魔術を人間が使っているという事実を受け入れられない魔族は多い。中には魔術を魔族だけが扱う神聖なものだと主張する魔族もいる。
戦争中、ルアードも様々な魔族から、とりわけ魔術を扱う魔族から何度も呪詛紛いの言葉と殺意を向けられた。無論、その度に返り討ちにしたが。
男もその一人なのだろう。或いは単純に盗みを邪魔されて腹が立っているのか。
男は怒りに表情を歪ませ、魔族としての本性をあらわにする。
「殺すっ……!」
男が殺気を込めてうめいた。毛を逆立て、瞳が血走り、男の体内から『ヘカ』が溢れ出る。荒れ狂う魔力の本流を前に、近くにいた人々が一斉に逃げ出した。
「こんな場所で魔力を使うなんて――!」
少女が怒りの表情で叫んだ。内心でおまえが言うな、とルアードは思った。
魔族と人間の決定的な違いは、体内に魔力を生み出す器官があるかないか。ただそれだけである。寿命や容姿といった違いは、全てその器官が作られる過程での副産物でしかない。
魔族は自らの体内に、『ヘカ』と呼ばれる魔力を生み出す器官を持っている。
その『ヘカ』の存在こそが、魔族が魔族たる所以だった。
人間の魔術師が大気中に在る魔力――『マナ』を触媒にして魔術を使うように、魔族は体内に在る『ヘカ』を使って魔術を行使する。
その使い方は様々だ。魔術の扱いに長けていない魔族でさえ、『ヘカ』を使えば人間の身体能力を軽く超えることができる。魔術に詳しい――魔族の魔術師ともなれば、村一つ丸ごと消し飛ばすような、大規模な魔術を使うことも可能だ。
目の前の盗人である獣人種に、当然そこまでの魔術の才はない。せいぜい肉体を強化する程度だろう。だが、その肉体強化の魔術を使うだけで、この場にいる人間が誰一人として目の前の男を止めることができなくなる。
一般常識に正面から喧嘩を売りつけ、成立している概念を鼻で笑い、物理法則に中指を立てる。それこそが魔術なのだ。
どうする、とルアードは困惑した。
普通に考えれば、獣人種に襲われている少女を助けるべきだ。が、助けるべき少女は、自分に厄介ごとを持ち込んできた少女でもある。ここで彼女との関係を作ってしまえば、確実に面倒なことになるのは明白だった。
そもそも彼女は、ルアードのことを尾け回していたのだ。しかもその理由は、魔術師としての自分に用があるときている。最悪の場合、弟子入りを頼まれる可能性まで考えられた。だからこそ、ルアードは少女に関わらないと決めていたのだ。
だがしかし、このまま彼女を見殺しにするわけにもいかない。
相手は魔族だ。しかも彼女は魔術師として未熟者どころか、才能を地平の彼方にでも捨てたのかと疑いたくなるような腕前。ついでに言うと、強気な口調や態度とは裏腹に、先ほどから少女の足はプルプルと小刻みに震えている。
このままでは、少女は数秒後には肉の塊になってしまう。
辺りを見渡しても、未だ衛兵が到着する気配はない。使えない衛兵共だ、とルアードは内心の舌打ちを噛み殺し、目の前で起きている殺気溢れる(一方的な)やり取りをどう収めるべきか首をひねる。
刹那――滑るように獣人種の男の影が消え、魔女擬きの少女の背後に忍び寄った。魔術、というよりはシンプルな身体能力の高さによる強襲だ。
「ひっ……!」
「――ちっ!」
少女の悲鳴とルアードの舌打ちはほぼ同時。
魔力によって強化された瞬発力が、数メートルの間合いを一瞬のうちに消失させる。影が走り、銀色のきらめく牙が少女の首を嚙み殺そうと襲い掛かった。ほんの瞬きの間に、少女の首は肉体と離れ離れになる。
――はずだった。
「そこまでだ」
快音が鳴り響き、今まさに少女の命を奪おうとした獣の牙が、突然跳ね上げられて起動を変える。
「えっ!?」
殺気に当てられ、硬直して動けない少女の目が、驚いたように見開かれる。
そこに立っていたのはルアードだった。
見るに見かねたルアードが、 僅かに身を屈める魔女擬きの少女を庇うように立ち、右手に広げた魔法陣の輝きで獣人種の牙を弾いたのだ。関わるつもりは毛頭なかったのだが、さすがに命の奪い合いを見過ごせるほど無関心ではいられなかった。そこの獣人種の男だって、盗みに加えて殺しの罪まで重ねる必要はない。
「っツ! てめぇも魔術師か――!?」
獣人種の男が、愕然とした表情で後方へ跳んだ。突然現れたルアードを警戒するように距離を取り、身構える。
ルアードは面倒くさそうに右手をぷらぷらと揺らし、
「元・魔術師だよ。それよりも、そこのあんた。今回は見逃してやるから、さっさと失せろ」
ルアードは忙しない口調で、正面にいる魔族の男を怒鳴った。
本人的には、せめてもの優しさのつもりだった。だが、男はそれを挑発と受けとったらしい。
「誰が!」
男が咆哮を上げて、今度はルアードに飛び掛かる。大地を蹴り上げ、距離をゼロに詰め、ルアードの首を狙う。
「遅いな」
超人的なスピードを前にしても、ルアードに焦りの色はない。
覚めた瞳で、ルアードは右手をすっ、と上げた。
魔法陣が右手に浮かび上がり、大気中の『マナ』が震える。
「《縛れ・鋼の鎖》」
直後、魔法陣が光を灯し、その光が男を捕らえる。
「な……!?」
驚く獣人種の男を無視し、ルアードは右手を一閃。光が鋼鉄の鎖に変化し、男を縛り上げる。
それは瞬きする暇すらないほどの、文字通り一瞬の出来事だった。男の四肢は完全に縛り上げられ、身動き一つできないでいる。残った僅かな『マナ』の粒子が煌めき、霧散した。
「このっ……! 離せ! 離せこらッ!」
四肢を縛り上げられた獣人種の男が、怒りの形相で叫び散らす。しかし、ルアードは何処吹く風と言わんばかりに、面倒くさそうにため息を一つ落とした。
「自警団の人。あと頼みます」
「え、え? 俺……ですか……は、はぁ」
物陰に隠れていた自警団の男は驚いた顔で頷き、縛られた男の元に駆け寄って行く。後の処理は彼に丸投げすればいいだろう。ルアードはやれやれと息を吐いて、後ろを振り返る。
そこには半泣きでルアードを見る少女がいた。今更になって、恐怖心が湧いたらしい。
「おまえもさぁ……喧嘩するなら相手選んでからにしろよ。見てるこっちがヒヤヒヤしたっての」
呆れたようなルアードの言葉を聞いて、少女はしゅんとうな垂れた。杖を握りしめたまま、彼女は口元を八の字に歪める。
その時になって、ようやく少女の三角帽子が無くなっていることにルアードは気づいた。先のやり取りで、何処かに飛んでいったようだ。
まだ幼さを残しているが、綺麗な顔立ちの娘だった。
細身で華奢な体つきだが、儚さは感じらず、むしろ活発な印象を与える。そんなふうに思えたのは、小さな顔立ちに対して、やたら大きな瞳のせいかもしれないが。
そして、なによりも目を惹くのは『エルトリア』の大陸では珍しい黒の髪色。
そんな少女は、おっかなびっくりな様子で口を開いた。
「あ、あの、ありがとうございます。『賢者』様に助けていただけて、光栄です」
ルアードはますます気怠い表情になって、
「助けたっていうか、見てらんなかっただけだっての。それよりもおまえ、なんで俺が『賢者』だって知ってるんだ?」
「……それは、その……調べました!」
「調べた? どうやってだよ」
「『賢者』様に所縁ある人物を片っ端から探して、その方たちから情報を集めて! それから『賢者』様がいる場所を――」
「ああ、もういい。要するに、口の軽い知り合いが原因ってわけだな」
せめてその情熱を別の方向に向けてくれたら良かったのに、とルアードは少女の言葉を遮りながら深いため息を吐く。誰が自分の正体と居場所を教えたのかは気になるが、わざわざ探し出して問い詰めるのも面倒だ。
でもっ、と少女は大きな声でルアードに詰め寄り、
「私が『賢者』様を探していたのは、決して野次馬な理由じゃありません。魔術師として、心から尊敬する『賢者』様に頼みたいことがありまして――」
そこまで言って、少女は自分が取り返しのつかない失言をしたのだと気づいた。少女を見るルアードの瞳が急激に冷めたものに変わっていたからだ。
ルアードが冷めた、低い声で訊く。
「もしかしなくて、それは俺に弟子入りしたいとかって話か?」
「あ、はい」
図星を突かれて、少女は反射的に肯定の言葉を発する。少女の立場で考えてみれば、ルアードは探しに探してようやく出会えた憧れの存在だ。その内情はルアードも理解できなくもない。
だが、
「悪いが、俺は弟子を取るつもりはない。魔術師として誰かに自分の魔術を継承させる気もないし、なにより俺は魔術師をもう辞めたんだ」
「え、辞めたって……」
唖然とする少女を眺めて、ルアードは再び深くため息をついた。その直後に、遠くから衛兵らしき人物たちの声が聞こえてくる。
やっと来たのか、と呟いて、ルアードは衛兵の遅過ぎる対応に呆れた。
「ま、待ってください! 私、一人前の魔術師になりたくて『
「……魔術学院にでも通え。金かコネがあれば誰でも入れる」
あたふたと慌てる少女を無視し、ルアードは心底どうでもよさそうに言い捨てた。
衛兵に事のあらましを説明するのも面倒になったルアードは、いそいそと人混みに向かって歩き出す。
「あ、ちょっと……」
立ち去ろうとして、少女に手を掴まれた。
口を酸欠した金魚みたいにパクパクと動かす少女に、ルアードは若干の苛立ちを覚える。咄嗟に引き止めたものの、上手い言葉が見つからないのだろう。
面倒くさいなあ、と思う。
衛兵の足音が近づいてくる。身に疚しいところがないとはいえ、長居する気にはなれなかった。衛兵に捕まったとなれば、リーズに何を言われるかわかったものではない。
ルアードは無言で少女の手を振り払う。
その行為に驚いたのか、少女は特に返答もなしに、目を見開いたまま固まった。
「…………っち」
それでも手を伸ばそうとする少女をルアードは無言で睨みつけて、今度こそ少女に背中を向けて走り去った。
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